万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

イスの偉大なる種族はタイムトラベラーの鑑だ

SFの道具立てとしてのタイムトラベルだが、あれ、現実的には病原菌がすごく問題になると思う。
考えてもみてほしい。大陸から離島へと人が渡っただけで、それどころかヨーロッパから新大陸へ人が渡っただけで大陸から持ち込まれた病気が流行してえらい数の死者が出てきたっていう歴史があるわけだ。
この現象が、時をまたいだ形で起こる。まだ現在では問題になっていない未知の病原体が未来から持ち込まれたり、はたまた現在では症状がおとなしくなている病気がまだ猛威を振るっている頃の活きのいい病原体が過去から持ち込まれる。
また、現在から過去もしくは未来へ持ち込んでしまう病原体も問題となるだろう。
火星探査機についていた微生物が火星を汚染してしまうかもしれないなんて心配が本気でなされる時代だ。現在の微生物が他の時代を汚染する危険性を軽視していいはずがない。
一番安全なのは、肉体はそのままに、意識だけを過去はたまた未来へ移すという方法だが……なんか、クトゥルフにいたね、そんなの。イスの偉大なる種族だっけか。
イスの偉大なる種族こそが、タイムトラベラーの鑑と言えるだろう。

ティプトリー「接続された女」を落語にしたら/桂ぽんぽ娘「乱子の恋」

先日足を運んだ落語会で、桂ぽんぽ娘さんの「乱子の恋」という新作落語を聞いた。ぽんぽ娘さんは今までメイド漫談しか聞いたことがなかったのだが、あのティプトリーの傑作短編「接続された女」を現代劇に(それも少し昔の、ちょっと懐かしい現代劇に)したかのような見事な出来で、すっかり感心してしまったのだ。
過去に様々なアルバイトをしたぽんぽ娘さんがテレクラのサクラのバイトをしたときにいた、ものすごいやり手の先輩乱子さんの話、という道具立てである。本当にそういう人がいたかは知らない。そもそも本当にテレクラでバイトしていたかも知らない。


聞いた人も多くはないだろうから、簡単にあらすじを書いておく。
乱子さんの外見は、ものすごく太っていてしかも前歯がない、と描写される。うひゃあ。しかし、そのアルバイト先では断トツでナンバーワン。納豆巻をしゃぶることで淫靡な物音を演出しつつ、ものすごく稼いでいる。
そんな乱子さんに、気になる男性が現れた。テレクラの客なんだけれど、Hな話題じゃなくて身の上話や世間話をしてくるそうだ。
他の客とはちょっと違う雰囲気を持ったその男性に惹かれてしまった乱子さん。ある日とうとう、直接会う約束をする。もちろんご法度なんだが、それでも。
そしてしばらくして、目を真っ赤にはらした乱子さんが帰ってきて……といった内容。


どうだろう。見事なまでに「接続された女」の要素が凝縮されてはいないだろうか。
接続された女」の主人公P・バークは、その外見が人並み外れてアレなために不幸な目にあい、人生に絶望して自殺を図る。乱子さんも、その外見ゆえになりたかった職業につけず、挙句の果てにテレクラのサクラなんぞをやっている。つまりだ、両者ともそのハンデキャップゆえに社会から疎外されちゃっているのだ。
P・バークは自殺しようとしたところを命を助けられてしまい、「デルフィ」という美少女のアバターを操る役目を与えられる。美少女を操る役になったわけだ。そしてそこで、デルフィがスターダムに駆け上がるという形で隠れた社会的な成功を得る。
乱子さんはどうかというと、テレクラのサクラで断トツのナンバーワンだ。こちらも、「声」という虚構を用いて、社会的には公にできないような形での成功を得る。
P・バークはその後、禁断の恋に落ちてしまう。しかし相手の男が恋しているのはデルフィ。自分ではない。しかしそれでも思いを抑えることができない。社会から疎外され続けてきた自分をとうとう慕ってくれる人物が現れたのだ。無理もない。この状況も、乱子さんのそれと見事に重なるのはもう言うまでもないだろう。
そしてP・バークの恋も、乱子さんの恋も、間に一枚、虚構の存在を挟んでいたがために、必然的に悲劇的な結末を迎える。


さあ、どうだどうだ。
接続された女」と言えばサイバーパンクの先駆的作品としても名高い傑作だ。それゆえ、ついつい情報化社会に絡めて語ってしまいがちだ。
ところがどっこい、「テレクラのサクラ」という、2016年の今となっては懐かしさを感じる道具立てで、見事に再現できてしまうのだ。おまけに、一見メロドラマ的な要素のみを抽出しているようで、しっかり「虚構の自己を演じるが故の悲劇」という大事な要素もしっかり取り入れている。面白うてやがて悲しき、見事なコメディになっているのだ。
接続された女」が好きで、なおかつ「乱子の恋」を聞いたことがあるというと日本でも下手をしたら十指に満たない気もするのだけれど、聞いていて感心しっぱなしだった。お見事でした。

今更だけれどICE CUBEの1stアルバムの邦題が神がかっている件について書いておこうかと

今更、なんですが。
ICE CUBEの1stアルバムの邦題が神がかっている件について、きちんと書いておいたことがなかったので書いておこうかと。本当、知っている人には今更なんですが。


近年は俳優としても活躍しているICE CUBEと言えばいわゆるギャングスタラッパーの代表格。
Dr.DreやEASY Eが所属していたことでも知られる伝説的なグループN.W.A.のメンバーでもあります。
暴力的で社会に対して大きな不満や苛立ちを抱えている黒人の若者、その心情にスポットライトを当て、瞬く間に全米を席巻したギャングスタ・ラップ。その火付け役がN.W.A.です。
そんな中で、見た目からして「なんか常に怒っていそう」な通称「8時20分眉毛の男」ICE CUBE。高めの声でテンションの高いラップを披露する姿は、周りを薙ぎ払う機関銃を連想させるような。
正直、私は東海岸からHIPHOPに入門したもので、西海岸はコンプトン初のギャングスタラップ・ムーブメントにはそれほど詳しくないのですが、それでもN.W.A.やICE CUBEDr.Dreはさすがに無視できないし、ICE CUBEとCOMMONのビーフ*1ICE CUBEがMACK 10、WCと結成したWestside Connectionのヒットなどは印象に残っています。
私個人としてもICE CUBEはリスペクトされてしかるべき超大物だと思いますが、実は聞いている回数としては1stアルバムよりもベスト盤や2nd、3rdの方がずっと多かったり。いや、2ndと3rdは、本当に今聞いても思わず圧倒される熱量を持った傑作だと思うですよ。評判のあまり良くなかった4thも“Bop Gun(One Nation)”“You Know how We Do It”はレイドバック感がたまんない名曲だし。
ちなみに2ndアルバム“Death Certificate”の邦題は「生と死」。3rdアルバム“Predator”の邦題は「略奪者」。4thアルバム“Lethal Injection ”の邦題は「致死量」です。


ではN.W.A.脱退後の記念すべきICE CUBEソロ1stアルバムのタイトルは何かというと

“Amerikkkas Most Wanted”

で、これを邦題ではどう訳したかというと

「白いアメリカが最も望むもの」



お見事!
いや、20数年、書くタイミングが遅いですが(笑)、お見事です!
原題の意味は「アメリカの最重要指名手配」といったところでしょうか。暴力にあふれたギャングスタラップは昔から批判にさらされており(例えるならば「クローズ」や「白竜」を暴力的な漫画だ、社会的、教育的によろしくない、と批判するようなもの)、そういった声を煽るような挑発的なタイトル。
で、邦題の「白いアメリカが最も望むもの」の「白い」はどこから来たのかつったら、もちろん原題の“America's”とすべき部分を“Amerikkkas”と表記しているところからきているわけです。CをKと表記する類の表記の揺らぎはHIPHOPでもよくある話ですが、わざわざAmerikkkasとKを3つ並べ、あの「KKK」を連想させるように作ってある。
これをうっかり「アメリカカカの最重要指名手配」とかいう邦題をつけちゃってたら、邦題迷作・珍作の輝かしい歴史にノミネートされたと思うのですが*2、これをスマートに処理した。本当に神がかった邦題だと思うのです。
でも、繰り返しになるけど2ndや3rdの方が好きだけどな!




*1:もめごと。暴力沙汰に発展せず、お互いに作品で非難しあいファンたちがジャッジするというのが理想です

*2:またね、ご多分に漏れずHIPHOPでも変な邦題、多いんですよ! 「恋の呪文は1234」とか「スタコラ大作戦」とか

え? 王様普通に服着ているんじゃない? 「伊藤計劃『ハーモニー』が崩壊したぞ!」と喜んでいるのはとても微笑ましいです

anond.hatelabo.jp
最近はめっきりブログとかも見なくなったんだけれど、たまたま上記リンク先の文章を目にしましてね?

まあ、最近おっちゃん読書量落ちてるし、ちょい鬱気味で何するのもおっくうなんで、手短に思ったことを書いて済ませますが。


いや、言うても最近は記憶力の減退著しいもんでね。読んだ当時の私はどんな感想書いていたのか読み返してみたんですわ。
またまた伊藤計劃「ハーモニー」について/俺の幼年期はまだ終了してないZE! - 万来堂日記3rd(仮)
そしたらね、この、今見ると恥ずかしさで自殺したくなるような情けないタイトルのエントリに、こんなこと書いているのね、私。

「ハーモニー」の世界では、WatchMeだかなんだかいう、ナノテクだかなんだかを各人が体内に飼ってる。で、そのテクノロジーが利用される形で、最終的に人類は「自己」を失うってのが大仕掛けだ。
エピローグでも、全世界数十億の人類から意識が消失したとはっきりと明記されている。




そうそう。お気づきかと思いますがね。「全人類」とは書いていないんですな。
今日やっとそのことに気がついたのは、我ながら迂闊もいいところなのだけれど。


つまり、当時の私は「うお! 作者のミスリードにまんまとひっかかった! ていうかこれ続篇フラグじゃね!? うおーーーーっ!?」
って思ってたんですな。これが遺作になっちゃったけどね。
んでね、この「作者がエピローグに仕掛けたミスリード」を、冒頭でリンクした増田は意図的なものでなくミスであると断定し、伊藤計劃は病身だったからしょうがねえけど早川書房は仕事しろよと、まあ、なんともえらいこと言っています。この全能感。しびれるねぇ。



んで、「ハーモニー」のアイデア独創的だとは思わないとか書いてあってだね。先駆的な小説の名前とか挙げてあるんだけどさ。この、知識をひけらかしているつもりで『僕は小説しか読んでいません!』と恥をさらしている感。本当たまらないね。憧れる。
哲学的ゾンビでも、ベンジャミン・リベットの「マインドタイム」でも、カーネマンの「ファスト&スロー」にまとめられている意思決定に影響を与えた要因と実際の帰属(自分がこうだと思った理由)の食い違いでも、それこそぐぐぐぐいっと遡って心理学における行動主義の勃興と内観の否定でもいいけどさ。昔から割とホットなトピックなわけだよ。目新しくない? いまさら何言ってんだ。扱うにしても少々底が浅いってんならわかるが。


んでな、もっともうひょーってなったのが下記の点。引用しますとね。

SFを評価する上で、アイデアは確かに重要だ。
 けれど、その作品のプロットや構成が、最低限成立しているかどうかくらいは、アイデアの好き嫌い以前に、ちゃんと見極めるべきだ。

ともあれ、これほどまでに構成の破綻した作品を日本SF大賞の受賞作にしたり、オールタイムベストの1位に選んでしまうのは問題だろう。

 いくらなんでも、あれだけ多くのSFファンやSF評論家が持ち上げているのに、誰一人として欠陥に気づかないというのは、どう考えてもおかしい。
 みんな、欠点に気づいていながら、それを指摘してしまえば伊藤氏のファンから一斉に反発を食らってしまうために、沈黙しているのではないか?
 あるいは、伊藤氏が亡くなってしまっていて、作品の欠陥を指摘したところで訂正の機会がないから、批判するのは忍びないと感じているのではないか?
 だとすれば、これはまるっきり、童話の「裸の王様」だ。

もしも、「この『ハーモニー』という作品は、これだけ小説としては崩壊しているけど、それでも僕は好きなんです」と言える読者がいるのなら、僕もそれは否定しない。作品の出来不出来と、個人的な好き嫌いは必ずしも一致するものではないからだ。

この屋上屋を重ねる自己完結感! 力強い!

つーか、これはちょっと真面目に書くとね。この「プロットとして破たんしていない=小説/作品として優れたものである」という価値観ね。これ、私も覚えがある。覚えはあるんだけれど、小説のみに関わらず多くの作品に接していくうちに揺らいでいつの間にか消えてしまっていた価値観なんだわ。
別にね、ストーリーが破綻してても、それ以上に面白ければいいし、あまつさえそのストーリーの破綻が作品の魅力にプラスに寄与してたりすればむしろそれは美点ですらあるのよ、というのが現時点での私のスタンス。つじつまの合う合わないは、大きいけれど一要素でしかない。
だもんで、「ストーリーに矛盾がある=小説として崩壊している」という元増田のスタンスには賛同しかねるのよね。

だもんで、このエントリの結論としては
「いよっ! 裸の元増田! ナイスバルク!」
であります。



じゃあおっちゃん、秋刀魚漁に戻るさかいな*1

*1:艦これ

RHYMESTER「Bitter,Sweet & Beautiful」と「ネイバーズ」 或いは大人としてのけじめについて

RHYMESTER「Bitter,Sweet & Beautiful」が7月末に発売になった。
今作は非常にコンセプチュアルなアルバムということで、「コンセプトアルバム」という言葉から連想されるような具体的なストーリー設定があるわけではないが、かなり明確な意図をもって楽曲が作られ、また配置されたアルバムであるようだ。そんな中、アルバム通してのメッセージが強く打ち出された楽曲ではBACHLOGICやMummy D、DJ Jinといったメンツがかっちり固め、予想外の展開を見せるような……いわばライムス自身が言うところのNew Accident的な楽曲では大きくフューチャーされたPUNPEEが大活躍している。おっちゃんな、もうバイタリティが乏しくなってるもんで最近のシーン全然詳しくないんだ。だもんで、正直最初はPUNPEEの楽曲に違和感が拭えなかったけれども、繰り返し聞いているうちに好きになりつつあるでよ。


でね、ライムスのインタビューも各所で展開されているし、公式サイトでも自身による全曲解説が掲載されている。んで、このインタビューが分かりやすいかなと思うのだけれど

RHYMESTERがもの申す 「ダサい」方向に進む現状に異議アリwww.cinra.net

―アルバム『Bitter, Sweet & Beautiful』のテーマは「美しく生きる」。これはどういう経緯で生まれたものなのでしょう?

宇多丸:そのキーワードは最初からあったんだよね。まず集まって飲みながらどういうアルバムにしようかざっくばらんに話したんだけど、アダルトでメロウな感じの音でいきたいっていうのと、もう1つはヘイトスピーチの問題が取り沙汰されるようになった時期というのもあって、「いつから日本はこんなことになっちゃったんだ」と感じていて。そういう風潮に対するカウンター、大きく言えば不寛容というものに対する有効なカウンターとは何か、と。そういう現実を踏まえた上で、酸いも甘いも込みで、せめて美しく生きようとすることはできる、みたいなことは言えるんじゃないかって。

Mummy-D:美しく生きようというのも、別に崇高な美しさとかじゃなくて、「ダサいのはダメだよ」くらいの意味なんだよね。「きらびやかな生活、グラマラスなライフを送ろうぜ」という意味ではない。ヘイトスピーチもそうだけど、「それはダサいじゃん」って。「せめて美しくあろう」と。その「せめて」がつくんだけど、それだけは間違ってないはずだよね、というコンセプトは最初からあった。

JIN:自分自身、正しさとか正義の危うさについて考えることもあったので、「美しくあろう」という話が出た時には、「そうそう!」と思いましたね。実際はタイトル曲(“Beautiful”)がほぼ最後にできた曲なんですけど、そういう経緯も含めて太いコンセプトだったんだなと思います。


ライムスと「ヘイトスピーチ」というと、どうしても避けては通れない曲がある。前々作「POP LIFE」に収録された「ネイバーズ」だ。


ザ・ネイバーズ - YouTube

歌詞はこちらhttp://www.kasi-time.com/item-52782.html


かなりコミカルな曲調で、ダブルミーニングや皮肉たっぷりで中国を揶揄したある意味ライムスらしい曲なんだけれども、上記インタビュー内で言及されたテーマを扱うのなら、この作品がメンバーの脳裏に浮かばなかったわけがない、と思うのである。
というか、このアルバムは自分たちの過去の作品である「ネイバーズ」に対するケジメ、その克服である一面があるんじゃないかな、などと。

近年、ライムスの楽曲には政治的なメッセージが込められていることが多い。震災前に作られたにもかかわらず震災後の心情にあまりにフィットした、シリアスな情勢の中で音楽が持つ力について高らかに歌い上げた「そしてまた歌いだす」。様々な情報や誹謗中傷が渦巻く中で自分で調べ、考え、選択するんだという熱いアジテーションであるところの「The Choice is yours」。幼児虐待問題について、親だけではなくコミュニティの問題として捉えなおすべきだという「HANDS」。そしてアルバム丸ごと使って寛容であること、Beautifulであること……この「beautiful」という言葉をどのように「和訳」するかは悩ましい問題だ。個人的には「気高さ」「高潔さ」に近いところだと考えるが……を前面に打ち出した今作。
ただ、このような楽曲群の中で「ネイバーズ」は浮いてしまっているように感じる。発表されたのは2011年。まだヘイトスピーチはそんなに問題になっていなかったし、その実態はどうあれ日本の右傾化がトピックに挙げられることも今より少なかった。
楽曲としては愉快さや痛快さが楽しめる、むしろ好みの曲なんだが、政治的な問題に対する態度、アティチュードを扱った楽曲群に対して、「ネイバーズ」は表層的なトピックを笑い飛ばして終わってしまった感がある。
それもライムス自身が曲で言及しているように「このふざけた世界を笑う」行為であり、「あり」か「なし」かでいえば圧倒的に「あり」であるところの在り方なんだが、今のライムスの方向性とは、ちょいと、不整合に思えるんだな。

逆に、ですよ。過去に「ネイバーズ」を発表していなければ、ここまで意図的にメッセージ性を持たせたアルバムを作ることはなかったんじゃないか、と。
自分たちの過去の作品・言説を乗り越えるには制作に2年半かけてアルバム一枚丸ごと費やすほどの労力が必要だったんじゃないか、などと。
そんなことをつらつら考えながらヘビーローテーション中です。はい。個人的には9曲目「ガラパゴス」から12曲目「人間交差点」にいたるまでの流れが、もうね、たまんないっすわ。

ケン・リュウ「紙の動物園」/分断と断絶/せめて慰めくらいは

話題作、ケン・リュウ「紙の動物園」をようやく読了した。素晴らしい出来。テーマが重い作品も多く、NHKの「映像の世紀」を見た時のようなシリアスな読後感。
おそらく、それは史実や戦争、紛争、社会問題を扱った作品が多いことにも起因しているだろう。そして収録作品の多くが「分断・断絶された/されていることの哀しさ」を描いている事にも。
表題作「紙の動物園」は親(の世代)との、そして移民と「アメリカ人」との断絶であろうし、「文字占い師」は自国民同士の断絶・分断だろう。殊に「世代間の断絶」というモチーフは短編集全体を通して何度も姿を見せる。
とはいえもちろんそればかりではない。ニヤリとするようなアイデアストーリーも収録されているし、ヒューゴー賞受賞作でもある「もののあはれ」は逆に「断絶しないこと」の重要性をテーマにしてるとも読める(「断絶」というテーマが共通しているので仲間とも言えるけれども)。
ともあれ私が素晴らしいと心打たれたのは、「救いはない。が、慰めはある」といった趣の話が多いところだ。
せめて慰めくらいは、というのが大衆娯楽たるジャンルフィクションの素晴らしいところだろう。
ちなみに、ここから慰めすらも取っ払ってしまうと、ティプトリーの作品群になる。

ちおん舎 新・染屋町寄席

13日。京都へ。ちおん舎 新・染屋町寄席。弥っこ…子ほめ、二乗…ふぐ鍋、染左…寝床、二乗…天神山。

弥っこさん、初めて聞いた。少々口跡に怪しい所もあるが、見た目は細いのにもっちゃり系で、テキストを自分の腹の中にきちんと入れているのがわかり、好感。面白かった。ツッコミの被せが素早いのが印象的。

二乗さんふぐ鍋。ふぐ料理店でアルバイトしていた時に常連で親分さんが良く来ていて、その護衛の若い衆との交流があったという、長いが楽しいマクラ。噺に入ると弾け気味。仕草も大きく、ふぐ鍋を食べそうでなかなか食べないシーンでは高座から前に身を乗り出す熱の入り方。客席から拍手が起こる。米二さんはモノトーンなら、二乗さんはカラー。デッサンは師匠譲りでしっかりしているわけで。でもふぐ鍋についてはなんか吉朝一門っぽかった。

染左さん、寝床。マクラで「二乗さんは丁寧を通り越して卑屈」というところで拍手。「そうだそうだ」ということか(笑)。もちろん、その頼りないところが個性であり魅力でもある。噺本編、普段聞きなれているのはやはり米朝師匠のテキストであるせいか、違う所が多くそれが楽しい。冒頭の丁稚と旦那さんとの攻防戦がおかしく、旦那さんが徐々に機嫌を直していくところもお見事だった。

トリは天神山。2~3度しかかけていないおろしたてのネタだそうで、これから良くなっていくのだろう。丁寧。狐を助けた後の狐に話しかけるシーンが優しい。先日聞いた千早ふるでもそうだったが、「優しさ」というのが二乗さんの噺ではちょこちょこでてくる。

良い会だったのでモスバーガーとラーメン屋で飯食いつつ余韻を楽しみ、帰宅後、艦これ。本日のメンテナンスで摩耶様が改二。かわいい。あとホワイトデー限定ボイス、羽黒のボイスが破壊力がある。