「君の名は。」から派生して考えたこと(前から考えていたこと)をTogetterにまとめたのですが、こちらにも転載しておこうと思います。
togetter.com
「君の名は。」だけではなく、私の中では「おおかみこどもの雨と雪」なんかにも関係してくる問題です。
「おおかみこどもの雨と雪」は、劇場に5回ほど見に行った大好きな作品なんですが、製作者側が想定した作品内のリアリティラインと観客側の思い描くリアリティラインが齟齬を起こしている作品なんじゃないかな、と思っております。そこら辺について書いたエントリはこちらです。
それでは、はじまりはじまりー。
「君の名は。」の感想を検索してちょくちょく読んでみると、辻褄の合わなさでつまづいて、「最高のシーン・最高のシチュエーションだが、みなそれに騙されているんだ! ストーリー破綻してるじゃないか!」的な意見を見ることがある。
— 旅烏@上方落語とウマ娘とHIPHOPとSF (@banraidou) 2016年9月25日
私も例えば20年くらい前だったら、そうだったかもしれない。
そんな私が「最高のシーン・最高のシチュエーション。最高じゃないか!」という風にどんどん軟化しているのはおそらく加齢の影響と、そして無関係なようだが落語にはまった影響が大きい。
— 旅烏@上方落語とウマ娘とHIPHOPとSF (@banraidou) 2016年9月25日
これは落語に限らず、歌舞伎や文楽といった古典芸能もそうだと思うのだけれど(私はそちらには詳しくない)、小説や映画やコミックといったメディアに比べて、より「シーン消費的」であり、またそのことに対して肯定的であるように思うのよね。
— 旅烏@上方落語とウマ娘とHIPHOPとSF (@banraidou) 2016年9月25日
もちろん、伝統芸能においても、見事な伏線や一分の隙もないストーリー展開が評価されないわけではない。でも、同じくらいに最高のシーンや最高のシチュエーションも高く評価されるように思うの。
— 旅烏@上方落語とウマ娘とHIPHOPとSF (@banraidou) 2016年9月25日
中には最高のシチュエーションを実現させるためにわざと辻褄が合わないようにしていることさえ。
さらには歌舞伎・文楽・講談といったジャンルでは、長大なストーリーの中から特定の一部分を切り取って提示する場合が多い。
— 旅烏@上方落語とウマ娘とHIPHOPとSF (@banraidou) 2016年9月25日
まさに、前後をぶった切って美味しいとこだけ味わってください、なわけで。演じる側はより美味しくを目指して工夫するし、見る側もより美味しくされた一部分で心躍らせる。
例えば、そうだなぁ。忠臣蔵で、主君・塩谷判官切腹にギリギリ間に合わないタイミングで、家老・大星由良之助が駆けつけるわけだけど、「いや、見栄とかいいからもっと急げよ!」「そもそも遅刻してんじゃねえよ!」というチグハグさを重視する見方を、私もかつてはしていたんだよ。おそらく。
— 旅烏@上方落語とウマ娘とHIPHOPとSF (@banraidou) 2016年9月25日
そこで「なぜ大星由良之助は遅れたのか?」を過不足なく説明するやり方も高く評価すべきだと思うのだけれど、それがためにテンポが悪くなったりして最高のシチュエーションの破壊力が削がれるようだったら、それは失敗だと思うわけですよ。
— 旅烏@上方落語とウマ娘とHIPHOPとSF (@banraidou) 2016年9月25日
ストーリーが破綻していていいわけではないし「そんな細かいこと!」と軽視するのがいい態度とも思わないけれど、だからと言って「破綻しているからだめだ!」と、あえての破綻がもたらしている効果を軽視するのも同じくらいだめだ、と思うわけです。
— 旅烏@上方落語とウマ娘とHIPHOPとSF (@banraidou) 2016年9月25日
※無難な結論