万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

「君の名は。」を5回観てようやく気がついたことがあるのでみんな聞いてくれ/三葉の父が超重要人物だった/掌になにを書いたのか?

君の名は。」視聴5回目にしてようやく気がついたことがあるので手短に書いておきます。ネタバレですのでまた見ていない方は読まないようにしてください。










ネタバレですからね? 本当よ? まるで見当違いだったらごめんなさいね?

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「君の名は。」から派生して考えたこと/前から考えていたこと

君の名は。」から派生して考えたこと(前から考えていたこと)をTogetterにまとめたのですが、こちらにも転載しておこうと思います。
togetter.com
君の名は。」だけではなく、私の中では「おおかみこどもの雨と雪」なんかにも関係してくる問題です。
おおかみこどもの雨と雪」は、劇場に5回ほど見に行った大好きな作品なんですが、製作者側が想定した作品内のリアリティラインと観客側の思い描くリアリティラインが齟齬を起こしている作品なんじゃないかな、と思っております。そこら辺について書いたエントリはこちらです。

banraidou3rd.hatenablog.com


それでは、はじまりはじまりー。


【ネタバレあり】「君の名は。」の感想。/1200×2/荒唐無稽なファンタジー

君の名は。」2回見て来ました。実は3回目のチケットも予約してまして、開場までの待ち時間にスマホをポチポチいじって、この文章を書いております。

これから「君の名は。」の感想を書こうと思います。ネタバレしますので、まだ見ていない方は注意してくださいね?

 

 

 

 

本当に、ネタバレしますからね?

 

 

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「君の名は。」をようやく見てきて、すっかり堪能しましたよ/次はこんな「運命にどうしようもなく抗うSF」を読んだらどうだろう?(自己責任で)

大ヒット中「君の名は。」ようやく見てきましたよ。
人込み苦手だから空いてから見に行こうと思ってたんだけど、いや、公開四週目のレイトショーでもかなり入っててですね。びっくり。
良かったですよーー! エンターテイメント剛速球。
意外性はないのだけれど「……待って、これってもしかして……やっぱり! そんなぁ! ……え、でもこれって……ああ! やっぱり! そんな! ひどい!!」みたいな。
「くるぞ、くるぞくるぞ……きたぁ!!」を堪能できる映画でした。いや、ベタな展開って、ハマると本当に力強いなとあらためて。
なんか、黄金時代と呼ばれる50年代のSFのいいところをぎゅっと煮詰めたような作品だと思いましたねー。
原案:ジャック・フィニィ、とか原案:ロバート・F・ヤング、とか原案:レイ・ブラッドベリって書いてあったら多分信じる、私。


で、ですね。個人的にはこういう「抗いがたい非情で理不尽な運命に、それでも人間であるがゆえにどうしようもなく抗う物語」って大好きなんですよ。それこそ、まどマギとか。
だもんで私の中では「運命にどうしようもなく抗うSF」の系譜に位置づけられる作品なわけです。
みなさんも今度本屋に行ったら「運命にどうしようもなく抗うSFコーナー」を覗いてみたら幸せになれると思うのですが、聞くところによるとそんなコーナーないらしいですので*1、いくつかそんな作品を紹介してみようかと。

ただ、あまり期待しないでください。
怠惰なもので、結構有名な作品読むのをさぼっている上に、ここ数年読書量が落ちて、シーンを追うことができなくなっていますので……SFの情報はここ数年アップデートされていないと思っていただいて差し支えなく……読書家だったブログ主は、もう3年ほど前に亡くなってしまったんやで……*2


さて、日々必死に生きる人間を、その強大な力で無慈悲に、理不尽に押しつぶしてしまう抗いがたい運命。それにはどのようなものがあるのかをまず考えなければいけません。
んで、考えました。
他にもあるかもですがひとまずここでは3つ取り上げます。すなわち

「時間」
「空間」
「死」


  • 「時間」

「時間」はSFお得意のテーマです。タイムマシンを登場させたり、理屈はよくわかんねえけどとりあえずタイムスリップしたり、理屈はよくわかんねえけどとりあえず過去や未来の自分にタイムリープしたり。作品も枚挙に暇がなく、個人的に印象に残っているものだけでも、映画「12モンキーズ」とか「12モンキーズ」とか、他にも「12モンキーズ」とか、たくさんあります。
……ちょっと待っててね、今思い出すから……そうそう、タキオン通信で過去と通信することで悲惨な現在を変えようとする科学者の苦闘を描いたグレゴリィ・ベンフォードの「タイムスケープ」*3とか、タイムパラドックススラップスティックに仕立て上げたラファティの短編「われらかくシャルルマーニュを悩ませり」*4とか、長命人の悲哀をテーマにしたポール・アンダースンの「百万年の船」*5とか、他にもいろいろと。
ただ、ここで扱うにあたっては「時間」はそのスケールがでかければでかいほどいい。
時間のスケールがでかければでかいほど、それに比べて人間の卑小さ、無力さ、儚さが際立ち、それに抗わずにはいられない人間を応援したくなろうってものですよ! なあ! そうだろ!?

そういった意味では、時間を遡ったり未来へ進んだりは一切しませんが、この作品が実にぴったりではないかと。クラシックですが。

「おもいでエマノン」。梶尾真治先生は「時」を扱ったセンチメンタルなストーリーを他にも複数書かれていますが……そもそもデビュー作の「美亜へ送る真珠」も、時間によって絶望的なまでに隔てられた恋人たちを描いた忘れがたき作品でしたし、「時尼に関する覚書」もおまえ駄洒落じゃねえかと突っ込みつつもついつい涙腺緩んでしまう作品で*6したが、本シリーズのヒロインであるエマノンが背負った業の深さは、もうSF史上屈指でございまして。
ネタバレになりますが、超有名な作品なので割ってしまいますと。
彼女はすべての記憶を持っているのですよ。生まれてからの記憶だけではなく、親の生まれてからの記憶、その親の記憶、そのまた親の記憶、そのまた……
以下、無限に思えるほど長い繰り返しを経て、地球最初の生命まで遡る、絶望的なまでに長大な記憶。
私たちと同じ現代に生きているエマノン。しかし、その存在は、その記憶ゆえに、抱えた時の重さゆえに、決定的に我々とは断絶しています。
永遠とも思える長い時間の権化たるエマノンと私たち限られた命しかもたない人間は、それでも同じ時代に確かに生きているがゆえに、かかわりを持つ。その間に生まれるコミュニケーション、時にディスコミュニケーション。それこそが我々人間による「時間」への反攻ではないかと、そう思うのです。*7



  • 「空間」

広大な空間、というのもSFの得意な分野であります。なにせほら、こちとら宇宙抱えてますから。広大な空間に立ち向かう作品の極北というと、上でも名前だしましたがポール・アンダースンの「タウゼロ」*8でしょうか。ブレーキが壊れて加速し続ける事しかできなくなってしまった宇宙船でいかに生き残っていくか、という小説です。なにせ加速し続ける事しかできなくなったわけですから、隣の恒星までとか、隣の銀河系までとか、隣の銀河団までとか、そんな生易しい話じゃないんですよ(!)。
しかし、ですよ。これは「時間」とは逆に広大でありゃあいいってもんじゃない気がいたします。ものすごく薄情なことを言いますけれど、海の向こうの大惨事より、国内の惨事の方がどうしても心には強く残ってしまうわけでして。
むしろ「あともう少しで手が届くのに!」というスケールの小ささこそ、むしろ抗いがたい非情な「空間」なのではなかろうか、と。
思い浮かんだのは谷甲州の忘れがたい短編「星は、昴」です。

宇宙においては、通信でコミュニケーションがとれる距離というのは「至近距離」と言っても差し支えないと思います。
しかしながら、それは光の速さで通信できるが故の近さであるのは当然のことで。
存在がすぐそこに感じられるのに、どんなに力の限り手を伸ばしても、決して触れることができない。
すぐそこに、命が息づいているのが感じられるというのに!


……というやるせなさをこれでもかと堪能できる作品です。

あと、足りないのは時間なのか空間なのかそれ以外の何かなのかちょっと微妙なのですが「あともう少しで手が届くのに!」をこれでもかと堪能できる作品として、短編集「紙の動物園」収録のケン・リュウもののあはれ」も思い出します。

そしてこの作品、扱い方はかなり異なるものの、「君の名は。」と同じ道具立てを物語に取り込んでいる作品なのです。わお。


  • 「死」

そして最後の難物「死」です。
これがね、なかなかないのですよ。「生」を描き切った作品はあるし、既に「死」を克服した作品もあるんだけど、「死」に立ち向かう作品というと、これがね……伊藤計劃の作品群を「死」に立ち向かう話として捉えることも可能ではあるとは思うんですが。
いや、ひとつ、決定版があるにはあるんですけどね。

長谷敏司「あなたのための物語」。数少ない「死」を正面から扱ったSFにして、これ以上のものはそうはでてこない金字塔であると思います。
不治の病に侵された科学者が、死を回避しようとありとあらゆる手段を尽くして、そして敗れ去っていく物語です。
カッコよくも、美しくもありません。
しかしだからこそ、強く読者の心に残ります。
そして読み終わったときに愕然とするんですよ。
ああ、なんということだ。既に死に対して勝利を収めたことが、冒頭で描写されているじゃないか、ってな具合に。
「死」に勝利するとはどういうことなのか。本書が出した、どうしようもなく人間臭い結論を、ぜひ読んでいただきたく思います。


つーわけで。
お気が向きましたら、あくまで自己責任で読んでみたらいいんじゃねえかなという「運命にどうしようもなく抗うSF」紹介でございました。お目汚し失礼。

*1:まったく、なぜないのでしょうね? 噴飯ものですよ! ぷんぷん!

*2:比喩

*3:タイムスケープ (1982年) (海外SFノヴェルズ)

*4:九百人のお祖母さん (ハヤカワ文庫SF)

*5:

*6:両方とも美亜へ贈る真珠―梶尾真治短篇傑作選 ロマンチック篇 (ハヤカワ文庫JA) に収録されています。買ってね! 私、貧乏なの!

*7:ちょいネタバレになりますが「君の名は。」も、忘れ去られた太古の祈りが、長い長い時を超えてほぼ忘れ去られつつもようやく成就するという物語でしたね……

*8:タウ・ゼロ (創元SF文庫)

「帰ってきたヒトラー」は、とても親しみやすい抱腹絶倒なガス室なので超おススメ!

帰ってきたヒトラー」観ましたよ。これはいい映画です。
終映後、客席からこんな声が。
「これ、コメディちゃう。ホラーや……」
まさしくその通り。期待していたよりも笑え、期待していたよりもずっとややこしく、期待していたよりもずっと怖かった。


帰ってきたヒトラー」多重構造になっています。
まず一つ目はタイムスリップしてきたヒトラーが繰り広げるコメディ。「あのヒトラーがこんなことするなんて!」という、万人ウケする楽しい部分。
これ、楽しいんだが、よく考えると非常に難しいのですよ。
チャップリンの「独裁者」でもいいし現代日本ザ・ニュースペーパーでもいいですが、この場合は既存権力へのカウンターとして笑いが機能するでしょう。
ところがね、「帰ってきたヒトラー」では、その笑える言動や行動を繰り広げるのが、ヒトラーに扮したコメディアンではなくてヒトラー本人なわけで(もちろん役者がやっているんだけど、「ヒトラー本人」という感想が持ててしまうあたり、すっげえ好演だと思います)。
つまり、なんというか「このとても愉快なコメディアンは、たまたまヒトラー本人ですけどすごく面白いですね」というのは、カウンターとして作用しないどころか、むしろヒトラーに好感を抱かせる要因となってしまうという。これが後半、非常に効果的に効いてきます。


そして二つ目、ドッキリ的に仕掛けられた、ヒトラーが街の人々の声を聴くインタビューがふんだんに取り入れられています。
まるでマイケル・ムーア作品を見ているみたい。
ここでリアルに右傾化しつつある、普通の民衆の声を聞くわけだけれど、今まで作り物だった作品が一段階、実世界にぐっと引き寄せられるような効果があります。おや? これは笑い事じゃないかもしれんぞ?*1


そしてメタフィクション的な第3段階。
なんと作中でヒトラーが実際に「帰ってきたヒトラー」を執筆し、その映画化が始動し始めるにいたります。

図式的には、最初は無害なコメディだったものがグッとリアルに近づいてきて、とうとうこちら(現実世界)へコミットし始めるわけですよ!

そしてあのラスト。もう大好きなんだけれも。なんともムスカ大佐的というか。*2
ここで、最初、あの無害でただ面白いだけだったはずのコメディの持つ意味が重くなるというか。
あれがカウンターとして機能せず、むしろ逆の効果を持つものだったからこそ、ここにいたるわけで。


つまりですね。
作中において、ヒトラーは「笑い」を政治利用していたということが、ここにきて決定的になるわけですよ。なんてこった!!

私自身も以前に笑いに政治を持ち込むことについて批判的な意見をtweetしたこともありますし、最近も「フジロックにSEALDsなんか呼ぶなよ!」ってな騒動がありましたけれど、もうどーすんだよ、これ。

チャップリンヒトラーに扮して「独裁者」をつくったんですけれど。
帰ってきたヒトラー」のヒトラーは、必要とあらばチャップリンの役割を自ら進んで演じてみせるわけで。しかもよくよく見ると、そのことは作中でも明言されています(!!)。
「面白くて、威勢が良くて、民衆の声を代弁する愉快なおじさん」を、俺たちはどうやって批判すればよいのか?


作中で、真にヒトラーを批判しているのはただ一人だと、私は思うのだけれど、それ、相手がたまたまヒトラー本人だから通用した批判で。
相手が本当に「ヒトラーのそっくりさん」だったら、この論法では批判できないんですよ。なんてこった。
ヒトラーが作品内で繰り広げる騒動で、観客である我々が批判できる(どうやっても擁護できない)ポイントは、動物愛護家なら二ヶ所、そうでなければたった一ヶ所だけ。
「だけ」なんですよ。これがね。
これがね、本当に怖いの。


つーわけで、ものすごく高度に政治的な映画でしたよ。「帰ってきたヒトラー
笑えるって、なんて恐ろしいことなんだろう。*3

*1:そういえば「笑い事じゃない」というセリフ、本編でもありましたね。これがまた、大変に重要なセリフで……

*2:ラピュタは滅びぬ!何度でも蘇るさ!ラピュタの力こそ人類の夢だからだ!」

*3:今までちゃんと調べたことなかったんだけど「国策落語」のことも調べなきゃかなぁ……

LIBROの新譜「風光る」を初めて聞いたとき、どこに衝撃を受けたか言語化を試みるよ!

学生時代にどっぷりはまったものでも、社会人になり時がたつにつれてだんだんとシーンを追うのが億劫になってきて、気がつくと最近の流行とかさっぱりわからなくなっていた、なんていうのは良くある話で。私にとってはHIPHOPがそれだった。フリースタイルダンジョンの流行でまた興味が蘇り、少しづつ音源買ったりし始めたけれど。
しかし、関心が薄れている期間中も新譜が出ると必ずチェックしていたアーティストというのもいて、私にとってはそれがRhymesterとLIBROだったりする。「一番好きなミュージシャンは?」と聞かれたらRhymesterと答えるが、「一番好きな曲は?」と聞かれたらLIBROの「三昧」だと答える。


風光る

風光る

  • アーティスト:LIBRO
  • Amped Music
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そんなLIBROの新譜「風光る」が出たのでもちろんチェックするわけですよ。いや、本当にこれはいいアルバム。
渋くて落ち着いててかっこいいビートに、LIBRO本人も客演陣も真摯で丁寧なラップを乗せてる。
a.k.a. GAMIがカッコよさの権化みたいになっている「オンリーNo.1アンダーグラウンド」、終盤の掛け合いが鳥肌が立つほどゾクゾクするポチョムキン参加の「NEW」、優しい曲調なのに鎮魂の趣さえ感じさせる「キミは天を行く」、以前の作品「COMPLETED TUNING」に収録された「ある種たとえば」で手塚治虫の「火の鳥」みたいなとんでもないスケール感のラップを披露した小林勝行がポジティブでハッピーなヴァイブスを振りまく「花道」、「胎動」収録の名曲「雨降りの月曜」の続篇ともいうべき5lack参加の「熱病」、落ち着いた雰囲気で丁寧かつ注意深いが「愛国心」なんぞという物騒極まりないテーマをポジティブに扱って見せる超危険球「あまなりしき」、などなど。

他の収録曲もいい曲がそろっていて、復活作ともいえる「COMPLETED TUNING」以降の作品の中では一番のお気に入り。
でも、初めて聞いた時に「あ! これ絶対いいアルバムだ!」と衝撃を受けたのは、実は曲ではなくて1曲目と2曲目の「繋ぎ」の部分だったりする。言葉でうまく説明できるかどうか。やってみよう。

1曲目「風光る」。リラックスした雰囲気の、少しゆったりとしたナンバーで「おお、いつものLIBROだー。良い意味でー」とか思いながら聞いていると、曲の終盤でそれまで使われていなかった「とーんとーんとっととーんとーん」みたいないなたいエレピのフレーズが入ってくる。
おー、ますます落ち着いた雰囲気だねえ、とか思いながら聞いていると、そのうちそのフレーズの響きが少し荒くなる。
んで、少しずつ少しずつBPMが速くなる。新たなドラムパターンが加わる。新たな上物が加わる。気が付くと既に2曲目に突入している。
わかるだろうか。シームレスに1曲目から2曲目に移っていく中で、さっきまで「落ち着いた雰囲気をさらに強調するようなエレピのフレーズ」だったものが、いつの間にか「クールでアグレッシブな曲の中心を構成するカッコいいフレーズ」に変貌しているのだ。なんてこった!

いや、大好きなんだよ。こういう「さっきまでとは印象ががらりと変わってしまう」快感っていうのが。
一例としてLiving Legends"Stop & Retaliate"を挙げておこう。

Living Legends - Stop & Retaliate
曲が始まった時には、どう乗ったらいいのかもよくわからない不可思議なループだったものが、ドラムが入った途端に重量感溢れる超カッコいいビートへと変わる。こちらの認識が一瞬で切り替わる。この快感。
たまんないよなあ、と思いながらまた「風光る」リピートするのであった。