万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

勝手にSFだけでハヤカワ文庫100冊 その3 新しい波がやってきた! ヤア! ヤア! ヤア!(15〜21)

60年代に入ると、イギリス発でニューウェーブと呼ばれる流れが起こる。簡単に言うと、マンネリ気味なSF業界に生きのいい若手が小説技巧やそれまでなかった主題や実験を武器に殴り込みをかけた。で、ジュディス・メリルという有名な編集者が「英国、SFを揺さぶる」というアンソロジーを組んだりして、エントリのタイトルはそれに由来する。
で、ニューウェーブを代表する作家といったら、なんといってもJ・G・バラードですよ! バラード!
……ハヤカワ文庫からバラードって、2冊しかでてないお?

15・「ハイ‐ライズ」J・G・バラード
16・「地球の長い午後」ブライアン・W・オールディス
17・「宇宙兵ブルース」ハリイ・ハリスン
18・「ノヴァ」サミュエル・R・ディレイニー
19・「アインシュタイン交点」サミュエル・R・ディレイニー
20・「人類皆殺し」トマス・M・ディッシュ
21・「地獄のハイウェイ」ロジャー・ゼラズニィ

「世界の中心で愛をさけんだけもの」のハーラン・エリスンは敢えて外した。「少年と犬」とか好きだけどね。もっと紹介されてほしい。日本では短編集が一冊だけで、あとはほとんどSFマガジンのバックナンバー頼みってあーた。

バラードの「ハイ‐ライズ」は「クラッシュ」と「コンクリート・アイランド」でテクノロジー三部作を成すと言われる。

いずれも厚さ的にはむしろ薄い本になるけれど、その密度たるやものすごい。実はこの3冊の中で一番思い入れがあるのは「クラッシュ」だったりするのだけれど(ペヨトル工房から出た時に即読んだし、クローネンバーグによる映画も劇場に見に行ったし、創元SF文庫で再読もしたさ!)、「ハイ‐ライズ」も読み逃すにはあまりに惜しい作品。
超高層マンションが野蛮な戦いの場になるというだけで、ワクワクしないか? 高くそびえる塔の中でうごめく野蛮人たち。テクノロジーに囲まれた私たちは徐々に狂っていくか、それとも既に狂っている。
私たちを取り囲むテクノロジーが、私たちの精神の原初的な部分に影響を与えていく、というのが、この三部作においてバラードが強烈なまでに提示して見せた問題意識。もちろん、今も有効です。


「地球の長い午後」はイギリスにおけるもう一人の雄(まあ、マイクル・ムアコックはさておき)オールディスの代表作…多分。
なぜ多分なんていう留保をつけるかというと、あまり多く紹介されているとは言えないから。

これも面白かったけど、入手難しいしなぁ。とりあえず「ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド」あたりで渇きをいやしますか。
確か、椎名誠がこの作品をベストSFに推していたような記憶があるんだが、どうだったかな。
遠い未来、地球の公転と自転が一致してしまうほど遠い未来の話。植物が繁栄を謳歌し、異質で魅惑的な生態系を構築している。その一方で、人間はサイズも小さくなり細々と暮らしている。人間の扱い悪いね。実に魅惑的な冒険譚。


人間の扱いの悪さにおいては「人類皆殺し」が歴代でも一番だと思うがどうか。
この小説において、地球はエイリアンの侵略を受けるのだけれど、なんつーか、人類を滅ぼそうとか、そういうのじゃないのね。
侵略はしてるんだけど、別に人類相手にしてなくて、たまたま人類がそこにいました、てへっ、みたいな。
ラストシーンにおいて、人類の「どうでもよさ」はまさに頂点に達し……いやぁ、強烈に覚えてるわぁ。


さて、サミュエル・R・ディレイニー。実に華麗で、美しく、面白い小説を書くというのに、死ぬほどメタファーが埋め込まれていていくらでも深読みが出来てしまうという、悪夢のような作家である。
「エンパイアスター」という、今ではなかなか入手することが難しい短めの長編があるのだけれど、凝りに凝りまくって円環構造をなすこの物語が、訳出されたディレイニーの長編の中では一番「わかりやすい」という、なんという惨状。
何年先になるかわからないが、国書刊行会から名のみ高かった大長編「ダールグレン」の翻訳が予告されていてですね……いやあ、想像したくないわ。ただでさえ「出口までは簡単にいきつける迷宮」であるところのディレイニー作品のボリュームが、半端ないレベルで出てきてしまうわけで。
きっとまた、最後まで結構楽しんで読めちゃうんだぜ。怖いわー。


それに比べると、ロジャー・ゼラズニイはずっと親切。わかりやすいしかっこいい。
なんだかんだで、ニューウェーブの中から台頭してきた作家の中では、一番「楽しい」作家じゃないかと思う。
ぶっちゃけ、エンターテイメントを読みたい人はバラードとかディレイニーとかほっといてゼラズニイ読んだ方がいい。現在では若干過小評価されている気すらするのだが、天性のストーリーテラーとはこういう人のことを言う。


さて、ハリイ・ハリスンの「宇宙兵ブルース」は、いわゆる愛国主義を虚仮にした作品。
比べる対象が大きすぎてあれだが「フルメタルジャケット」を小粒にして、その代り笑いをまぶしたといえばイメージしやすいかな。
えーと、私が敬して遠ざけている作品のひとつに、ハインラインの「宇宙の戦士」があってですね。なにしろ敬して遠ざけているわけで読んだことないわけだが、ガンダムに影響を与えたと言われたり、「スターシップ・トルーパーズ」として映画化された時には見事に真逆の演出で傑作になったりしたわけだけれど。愛国主義的な色彩が濃いといわれるこの長編に対する他の作家からの回答、みたいな作品がある。ひとつがベトナム戦争従軍経験を持つジョー・ホールドマンによる「終わりなき戦争」、ひとつがこの「宇宙兵ブルース」。
ハリイ・ハリスンはこの作品で、ハインラインを正しく虚仮にしている。

勝手にSFだけでハヤカワ文庫100冊 その4 時代の流れに収まらない人たち(22〜35)

さて、なんとなく50年代、60年代ときて、じゃあ次は70年代なのだけれど、そういった流れを追うようなやり方だと、なかなか言及しにくいような作家・作品というのもでてくるわけですよ。
また、そんな作品・作家に限って好きだったり面白かったりするわけで。

22・「スローターハウス5カート・ヴォネガット・ジュニア
23・「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」カート・ヴォネガット・ジュニア
24・「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」フィリップ・K・ディック
25・「流れよわが涙、と警官は言った」フィリップ・K・ディック
26・「火星のタイムスリップ」フィリップ・K・ディック
27・「九百人のお祖母さん」R・A・ラファティ
28・「どろぼう熊の惑星」R・A・ラファティ
29・「つぎの岩へつづく」R・A・ラファティ
30・「キャッチワールド」クリス・ボイス
31.「きみの血を」シオドア・スタージョン
32・「鉄の夢」ノーマン・スピンラッド
33・「スロー・バード」イアン・ワトスン
34・〈人類保管機構〉コードウェイナー・スミス
35・「虎よ! 虎よ!」アルフレッド・ベスター

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カート・ヴォネガットとなると、下手をすると20世紀を代表する作家に普通に入ってきそうな超大物であるので、何を今更という気もするが、すごい作品書いてるんだから仕方ないだろう。
短い断章を連ねていくスタイルはやたら読みやすく、ユーモアも忘れず、そのくせ、死ぬほどシリアスで死ぬほどやりきれない。
自らの従軍経験をSFの形で綴った(本人いわく、SFの形でしか語れなかった)「スローターハウス5」は20世紀でも有数のやりきれさが詰まった傑作だし、無私の高潔な心をもった富豪ローズウォーターに醜く群がる愚者の群れを描いた「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」は、20世紀でも有数の怒りが詰まった傑作である。
彼の作品の多くはSFであり、多くはSFではない。しかし、日本ではSF読みがヴォネガットに目を付けたことを誇りに思っていいような気がする。


えーと、ディックですよ、ディック。とりあえず手当たり次第に全部読め。
ブレードランナーとかとりあえずどうでもいいから、読んでみなって。
なんつーか、ディックに関しては「ヴァリス」や「聖なる侵入」「ティモシ・アーチャーの転生」といった愚作まで愛おしいという、病恍惚の域にまで入ってしまっているんだけれど。
ディック作品について語られる時には、ドラッグ体験にも影響されていると思われる独特の現実崩壊感や、安っぽいガジェットの積み重ねで構成されるなんとも独特の世界観が取り上げられることが多い。
それはそれでそのとおりなのだけれど、その一方彼は世界というものに対して実に幼稚な異議申し立てを生涯やめることがなかった作家でもある。
実に幼稚だ。つまり「なんでこんな不幸なんだ!」とか「俺が何をしたっていうんだ!」とか「なんであんないい奴が死んじゃうんだ!」とか。ヴォネガットなら悲しげに笑って「そういうものだ」*1で済ますところを、顔を真っ赤にしながら怒鳴り続けた。
しかし、そんなことを言ったところで詮無いことも分かっていた。彼の主要な作品にハッピーエンドと言えるものはほとんどない。
それでも彼は異議申し立てをやめることはできなかった。そして最後には矛盾だらけの宗教めいた世界へ自分ひとりで旅立ってしまった*2
彼はそういう作家だ。


えーとね、ラファティですよ、ラファティ。とりあえず手当たり次第に全部読め。
こんな変な作家、いないよ?
挙げたのはすべて短編集なのだけれど、彼の書く小説は途方もないホラ話ばかりで、一つとして筋が通っていない! お約束とか科学とか論理とかきれいに無視して、とんでもないことばっかり書いてくる。学校にも上がっていないような子供たちが秘術で街をとことん破壊したり、辞典にかすかに残された修正の痕跡から、ある都市が破壊され、その事実が闇に葬り去られたということが浮かんできたり、そらに島が浮かび、海はひっくり返り……誇張じゃなくて、本当にそんな話。
いやあ、とんでもねえなあ、とか思いながら読んでいくうちに、あなたはある嘘みたいな可能性に思いあたる。いやあ、でも、そんな馬鹿な。
幸いにして近年、ラファティの長編が2冊ほど訳出された。

あなたはその可能性を念頭に置きながら長編を読み進めていく。嘘みたいだった可能性が、どんどんと現実味を増していく。いや、でも、そんなはずが。
この、突拍子もない、普通に悪魔とかエイリアンとか魔術とか旧人類とかでてくる、死者が平気で動き回ったりするこの世界は。
実は完璧なまでに論理だった世界かもしれない。ただ、私たちにはその論理がわからないだけで。
そして、ラファティただ一人が、その論理を知り、世界の真の姿を目にしているのかもしれない。
まあ、そんな馬鹿なことあるわけないんだけどさ。
まさかね?


さて、ブライアン・オールディスが言い出したSFのサブジャンルにワイドスクリーンバロックというのがあって、その存在が稀であるが故に、どこか神格化して語られているような、そんなジャンルなんだが。
簡単にまとめるとすると、無茶なスケールの無茶なアイデアを無茶な数だけ短い分量に放り込んで、無茶なストーリー展開をする無茶なSFのことだ。
例として挙げられるのがA・E・ヴァン・ヴォクトの諸作*3であったり、バリントン・J・ベイリーの諸作*4であったり、当のオールディスの「地球の長い午後」であったり、また私見では田中啓文の「銀河帝国の弘法も筆の誤り」であったり友成純一の「獣儀式」であったりする。
そして、忘れちゃいけないのが「キャッチワールド」と「虎よ! 虎よ!」だ。
みんな、圧倒されてただただ興奮したり、よくわかんなくて投げ出したりするといい。


で、そんな型破りなサブジャンルであるところのワイドスクリーンバロックをもってしてもカバーすることができないのが、コードウェイナー・スミスの人類保管機構シリーズ。
スミスの作品のほとんどは同一の世界観を有し、架空の未来の歴史、いわゆる未来史を構成する。熱心なファンによって年代別にリストアップされたりもしている。
ただ、そのイメージというのがなんというか、いわゆるお約束的な定型におさまることをとことん拒否するというか。
「華麗なイメージ」という言葉を、今書いている一連の文章の中では何回か使うことになるけれど、その中でもコードウェイナー・スミスのそれが一番華麗であり、かつ、一番エキゾチックなんである。
洒脱な言い回しで展開される物語には造語が使われているわけでもなく、そのストーリーのフォーミュラだけを見てみるとラブストーリーであったり、宇宙空間における戦闘であったり、成長物語であったり、決して奇抜なものではないはずなのに、いざ出来上がったものはワンアンドオンリーの奇抜きわまる物語となっている。
そのエキゾチックな異質さが、死後明らかになった作者の経歴によるものではないか、というのは広く指摘されているところだ。本名ポール・ラインバーガー。アジア戦略専門の政治学のプロにして陸軍情報部の大佐をも勤める。幼少期を東洋で過ごし、中国での名前の名付け親はかの孫文
なるほど、簡単な類型に収まりきらない人物であったわけである。


シオドア・スタージョンは長いことなかなか著書が日本ではあまり入手できない状態が続いてきたが、ここ数年の積極的な再評価で短編の名手としてのイメージを再び強固にした感がある。
その巧妙な語り口を一番ストレートに味わうことができるのが、ハヤカワ文庫収録作品のなかでは「きみの血を」だと思うので、知名度では「人間以上」や「夢みる宝石」の方が上だが、ここは敢えて挙げさせてもらった。
大体がデビュー作からして、電車にひかれようとしている男の話を、その当の男の一人称でつづったものという、一筋縄ではいかないものだそうである。
ありふれたストーリーが、この人の手にかかるとまったくもって風変わりなものへと姿を変える。
「人間以上」にしても、テーマ的には既に一ジャンルを形成する「古典」といってもいいようなものを扱っているし、「きみの血を」にしてもテーマ的には吸血鬼ものを逸脱することなく、むしろすっぽりとそこに収まる。アイデアの目新しさや、他の作家への影響といった面で見ても、キングのあの「呪われた街」や、アン・ライスの「夜明けのヴァンパイア」のほうがはるかに上を行く。
それなのに、いざ読んでみるとこの完成度の高さはどうだ。細部まで計算され尽くし、読者を翻弄し、引き込み、その想像力をフル回転させる。
そして、先に挙げた2つの傑作よりも、背筋をぞっとさせることでは遥かに上を行ってしまうのである。直接的な描写などほとんどないというのに。なんという離れ業であることか!


さて、日本ではなかなか紹介が進まないノーマン・スピンラッドの「鉄の夢」はSFきっての奇書と称される。
この本は架空のSF作家であるアドルフ・ヒトラーの傑作長編「鉤十字の帝王」がめでたく復刻されたものという体裁をとっており、その本篇にくわえ、本編を分析した短い解説がつく、といった具合。
この本、何人かに読ませてみたことがあるんだが、見事に賛否両論、真っ二つだった覚えがある。確かに、大部分を占める「鉤十字の帝王」が素直に楽しめるものであるかというと、留保をつけざるを得ないと思う。
しかし、だからこそ解説が効いてくるのだ。作者がSF作家として名をなしたアドルフ・ヒトラーであるということがクローズアップされる解説によって「鉤十字の帝王」はその意味合いをガラッと変える。さっき書いたように、「鉤十字の帝王」はどうにも傑作とは言えないと思うのだが、そのことすら重要な意味を持ってくる。
他に類を見ない手法であるが、はてさて、あなたの口に合うだろうか。


さて、最後はイアン・ワトスンの短編集「スロー・バード」だ。挙げてきた中ではいちばん小粒にまとまっており、高水準で安定している。才気あふれるアイデアで読ませる、ある意味典型的なSF。
この実にまっとうなSF短編集は、日本のSF読みに静かなインパクトを与えたのではないか、と思っている。
決して大して売れているとは思えないワトスンの長編が、数年に一度ではあるが紹介され続けているのは、この短編集があったからであるし、当の短編集がカバーも新たに復活したのも、その高い品質なればこそ。
横や斜めからではなく、真正面からの高品質なSF。派手ではないけれど、その衝撃は短編集の刊行から20年近くたったいまでも忘れられてはいない。これからも地道な紹介が続けられていくに違いない。

*1:スローターハウス5」で頻出する言葉

*2:そうなってから以後の作品が愚作として挙げた「ヴァリス」「聖なる侵入」「ティモシー・アーチャーの転生」といった作品群である

*3:「宇宙船ビーグル号」「スラン」「非Aの世界」等

*4:「時間衝突」「カエアンの聖衣」など

勝手にSFだけでハヤカワ文庫100冊 その1 非英語圏強襲(1〜4)

以前からハヤカワ文庫はHOT HITと題してフェアを行っていたんだけれども、それがこの秋からハヤカワ文庫の100冊としてリニューアルするのだそうで。うち10タイトルをマニア垂涎の復刻・復刊が占めていたり、25タイトルが新しいカバーになったり、フェア参加作品をすべて網羅したカラー・カタログを作ったりとかなり本気モードに入っているみたいだ。
そういうのを見ると、収集癖のある本読みってのはいてもたってもいられなくなるってものであって、ねえ旦那。
思わずSF関係だけでハヤカワ文庫から100タイトル、リストアップしたりしてしまった。
いや、いざリストを眺めてみると、有名な作品を実は読んでいないなんてのがかなりあったりして、どうにもこうにも変なリストなんだが。例えば、アシモフファウンデーションシリーズが未だに未読だったりする。いや、持ってはいるんですよ、持っては。つーか、映画化するってんでこないだ買ったんだけどさ(笑)。
せっかく変なリストを作ったんだから、SF読みの酒の肴にでもしていただこうとブログのネタにしてみると、そういった次第でありまして……

1・「ストーカー」A&B・ストルガツキー
2・「レ・コスミコミケイタロ・カルヴィーノ
3・「砂漠の惑星」スタニスワフ・レム
4・「宇宙創世期ロボットの旅」スタニスワフ・レム

で、非英語圏ヨーロッパの作家の作品から始めるのだけれど、まあ深い意味はない。
英語圏のSFでハヤカワ文庫というと、カレル・チャペックの「山椒魚戦争」あたりも挙げなければいけないのだけれど、いかんせん未読のため見送り。
ストルガツキー兄弟の諸作をもっと上げたいところだけれど、いや、ストルガツキー兄弟の作品ってなかなか見つけにくい印象があるのだけれど、どうかな? そんな中でも「ストーカー」は今でも手に入る優等生にして傑作。異星文明の得体の知れなさ、作品内における特異な扱い方は強い印象を残す。
たまに「あ、これ『ストーカー』へのオマージュだよね」という作品と出合うことなんかもしばしばあったり。今思い出せるのでいうと、そうだな、やまむらはじめの「蒼のサンクトゥス」とか。特に人類を意識するでもなくそこに存在する未知の特殊地帯。特殊地帯からの不可思議な影響。また、それらに複雑な感情を抱きつつも寄り集まっていく人々。それらはストーカーへのオマージュに他ならない。


東欧の巨人レムも、人類とは異なる文明・知性を扱う手腕では定評がある。というか、こっちのほうが有名か(笑)。謎が解かれる快感ではなく、謎があまりにも強固であるが故に撥ね返されてしまう快感とでもいいますか。映画化もされた「ソラリス」(「ソラリスの陽のもとに」)と「砂漠の惑星」「エデン」は、ファーストコンタクトテーマの三部作と称される。もっとも知的なSFを読みたいというのなら、レムを避けて通ることは絶対に出来ない。
……なーんていうと堅い感じか。いや、実際堅い作品も多く書いているんだけれど、その一方で、何ともひねくれたユーモアをも持ち合わせている人で。その系統での代表作が「宇宙創世記ロボットの旅」といってもいいんではなかろうか。ロボットの求道者? で、学校で「竜概論」を論じたり、サイバネティック小咄を披露したりって、なんだよそれ!(笑)
もっともノーベル賞に近い所にいたSF作家は、ハインラインでもアシモフでもクラークでもディックでもバラードでもなく、レムであったと今でも思っている。


最後はもう紹介するまでもないイタリアの大物カルヴィーノの宇宙的バカ話「レ・コスミコミケ」。宇宙の歴史や地球の歴史の決定的な瞬間が目撃談として語られるという、なんともバカとしか言いようがない話。すごい人が本気でふざけると本当にすごい。その真剣な悪ふざけぶり。ぱっと思いつくのは筒井康隆(読後感はかなり違うけど)。まあ、そのくらいすごいレベルに二人ともいるのだという話で。
「柔かい月」も同じ趣向の短編集なのだけれど、「レ・コスミコミケ」の方が訳がこなれて読みやすかった覚えがある。で、「あ、『レ・コスミコミケ』の人だ!」ってんでカルヴィーノの他の作品に手を出して、なんどか挫折したりするといいと思うよ! 俺みたいに!

勝手にSFだけでハヤカワ文庫100冊 その2 赤コーナーより黄金時代の入場です!(5〜14)

英米のSFを語るときに、1950年代のことを黄金時代などと言ったりすることがある。
ようするに定番中の定番。鉄板中の鉄板。ミステリで言うならクリスティやらクイーンやら。歴史小説で言うなら司馬遼太郎やら藤沢周平やら。それくらいの作品が発表されたり、それくらいの作家が活躍したりした時期だ、くらいの認識でまあ問題ない。

5・「楽園の泉」アーサー・C・クラーク
6・「2001年宇宙の旅アーサー・C・クラーク
7・「空想自然科学入門」アイザック・アシモフ
8・「われはロボット」アイザック・アシモフ
9・「愛に時間を」ロバート・A・ハインライン
10・「地球人のお荷物」アンダースン&ディクスン
11・「恋人たち」フィリップ・ホセ・ファーマー
12・「ジョナサンと宇宙クジラ」ロバート・F・ヤング
13・「華氏四五一度」レイ・ブラッドベリ
14・「火星年代記レイ・ブラッドベリ

クラークはぶっちゃけた話、なにを選んでもいいような気がする。代わりに「幼年期の終わり」でも「渇きの海」でも「地球光」でも「地球帝国」でも「宇宙のランデブー」でも「都市と星」でも、数多い短編集を挙げてもいい。
派手さとはまるで無縁なこの巨匠の武器は科学的な視線と哲学的な視線を詩情に変換してしまえるところだ。淡々として抑制の利いた筆致の文章で、テクノロジー色が色濃いストーリーを読み進めていたはずだというのに、読後に遠い眼をしている自分に気がつくのである。
科学的な要素を重要視したSFのことをハードSFということがあるけれど、読後に遠い目をすることができるハードSFは一生の宝物になる。そして、そんな作品を量産してしまった人物なのだ、このクラーク翁って人は。

実はアシモフのSF作品ってあまり読んでいなかったりする。わはは。
それなのに、「空想自然科学入門」に始まる科学エッセイシリーズは一時期憑かれるように読んでいたり。
なんといってもアシモフ博士の尊大で愛嬌たっぷりな語り口が! ああ、もう、それを読めるだけで幸せというか!
見逃してはならないのは、科学について語る際に、アシモフがその歴史的な経緯を重視していることだ。これはいまだ未読の(そして「さすがに読んでおきたいなぁ」とこないだ購入したファウンデーションシリーズともおそらく通ずるであろう)独特の感覚ということができるかと思う。科学エッセイにおける歴史的なアプローチというと、スティーブン・J・グールドというこれまた巨人がいるが、アシモフのそれはもうちょっと敷居が低い。


ハインラインは……えっと、タイトルがいいですよね、「愛に時間を」って。
……白状すると、敬遠している作家の1人。
いやあ、いつかは読まなければと思ってはいるんだ。
夏への扉」とか「ラモックス」とか読んではいるんだ。
これはきっと「ハインラインは良くも悪くもアメリカ的な作家だ」という先入観故なんだろうけれど。
多くのファンを持ち、日本のSF作家にも大きな影響を与えていて、その功績の偉大さを知ってはいるんだ。
で、読んでみてつまらないかというと、面白いんだよ。
……やっぱし、いつか読まなきゃだよなぁ。


……代わりにシマックの「都市」「中継ステーション」とか、シェクリイの「人間の手がまだ触れない」とか入れた方がよかったかなぁ……



レイ・ブラッドベリも似たような感じであまり読んでいない作家の1人。なんつーか、どうせ感動するのが分かっているんだからわざわざ読まなくてもとか思いつつ、読んでみるとしっかり感動していたりする。
火星年代記」はある意味通過儀礼的な作品として、「華氏四五一度」ですよ。「華氏四五一度」最近だとアニメ版の図書館戦争にもちらっと登場してましたな。
「華氏四五一度」の何が恐ろしかったって、別に圧政者が登場して、あの焚書坑儒的な社会が生まれたのではないとされているところ。
本が何となく大衆に敬遠され、それがどんどん進んでいって、やがてはあのディストピアにたどり着いたという。
そういう目で火星年代記のことを思い出してみると……うーむ。
センチメンタリズムのイメージが強いけれど、案外その裏に潜む視線はしたたかなのではないかという気がしてくるじゃないか。


ポール・アンダースンも大物の1人。で、なんで取り上げるのが「地球人のお荷物」なのか。無難に「タイムパトロール」とか「折れた魔剣」とか「百万年の船」あたり挙げておけよ、JK。
いや、面白い作品だし、いいじゃないか! ハヤカワ文庫のアンダースン作品では、このシリーズが一番好きなんだよ! テディベアみたいなホーカ人たちかわいいじゃないか! 「あまのよしたか」氏によるカバーがかわいいじゃないか! かわいいは正義じゃないのか!?
とか言いつつ、「『タウゼロ』がハヤカワ文庫だったら、そっちを挙げてたわな」とか思っている俺がいる。「地球人のお荷物」はとにかくかわいくて、「タウゼロ」はとにかくすごい。



「恋人たち」と「ジョナサンと宇宙クジラ」は、いわゆる巨匠扱いの作家以外にも読むべき作品が生み出されていたんだよということで。前者は当時は「性」を扱ったタブー・ブレイキングな作品として話題になったそうだけれど、今読んでみると実はベタ甘ラブコメとして読める良質なエンターテイメント。後者は問答無用でベタ甘、ただしちょっとさみしくなったりもするエンターテイメントとして。特に後者は定期的に重版・復刊される、ファンの多い作品。