万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

「君の名は。」をようやく見てきて、すっかり堪能しましたよ/次はこんな「運命にどうしようもなく抗うSF」を読んだらどうだろう?(自己責任で)

大ヒット中「君の名は。」ようやく見てきましたよ。
人込み苦手だから空いてから見に行こうと思ってたんだけど、いや、公開四週目のレイトショーでもかなり入っててですね。びっくり。
良かったですよーー! エンターテイメント剛速球。
意外性はないのだけれど「……待って、これってもしかして……やっぱり! そんなぁ! ……え、でもこれって……ああ! やっぱり! そんな! ひどい!!」みたいな。
「くるぞ、くるぞくるぞ……きたぁ!!」を堪能できる映画でした。いや、ベタな展開って、ハマると本当に力強いなとあらためて。
なんか、黄金時代と呼ばれる50年代のSFのいいところをぎゅっと煮詰めたような作品だと思いましたねー。
原案:ジャック・フィニィ、とか原案:ロバート・F・ヤング、とか原案:レイ・ブラッドベリって書いてあったら多分信じる、私。


で、ですね。個人的にはこういう「抗いがたい非情で理不尽な運命に、それでも人間であるがゆえにどうしようもなく抗う物語」って大好きなんですよ。それこそ、まどマギとか。
だもんで私の中では「運命にどうしようもなく抗うSF」の系譜に位置づけられる作品なわけです。
みなさんも今度本屋に行ったら「運命にどうしようもなく抗うSFコーナー」を覗いてみたら幸せになれると思うのですが、聞くところによるとそんなコーナーないらしいですので*1、いくつかそんな作品を紹介してみようかと。

ただ、あまり期待しないでください。
怠惰なもので、結構有名な作品読むのをさぼっている上に、ここ数年読書量が落ちて、シーンを追うことができなくなっていますので……SFの情報はここ数年アップデートされていないと思っていただいて差し支えなく……読書家だったブログ主は、もう3年ほど前に亡くなってしまったんやで……*2


さて、日々必死に生きる人間を、その強大な力で無慈悲に、理不尽に押しつぶしてしまう抗いがたい運命。それにはどのようなものがあるのかをまず考えなければいけません。
んで、考えました。
他にもあるかもですがひとまずここでは3つ取り上げます。すなわち

「時間」
「空間」
「死」


  • 「時間」

「時間」はSFお得意のテーマです。タイムマシンを登場させたり、理屈はよくわかんねえけどとりあえずタイムスリップしたり、理屈はよくわかんねえけどとりあえず過去や未来の自分にタイムリープしたり。作品も枚挙に暇がなく、個人的に印象に残っているものだけでも、映画「12モンキーズ」とか「12モンキーズ」とか、他にも「12モンキーズ」とか、たくさんあります。
……ちょっと待っててね、今思い出すから……そうそう、タキオン通信で過去と通信することで悲惨な現在を変えようとする科学者の苦闘を描いたグレゴリィ・ベンフォードの「タイムスケープ」*3とか、タイムパラドックススラップスティックに仕立て上げたラファティの短編「われらかくシャルルマーニュを悩ませり」*4とか、長命人の悲哀をテーマにしたポール・アンダースンの「百万年の船」*5とか、他にもいろいろと。
ただ、ここで扱うにあたっては「時間」はそのスケールがでかければでかいほどいい。
時間のスケールがでかければでかいほど、それに比べて人間の卑小さ、無力さ、儚さが際立ち、それに抗わずにはいられない人間を応援したくなろうってものですよ! なあ! そうだろ!?

そういった意味では、時間を遡ったり未来へ進んだりは一切しませんが、この作品が実にぴったりではないかと。クラシックですが。

「おもいでエマノン」。梶尾真治先生は「時」を扱ったセンチメンタルなストーリーを他にも複数書かれていますが……そもそもデビュー作の「美亜へ送る真珠」も、時間によって絶望的なまでに隔てられた恋人たちを描いた忘れがたき作品でしたし、「時尼に関する覚書」もおまえ駄洒落じゃねえかと突っ込みつつもついつい涙腺緩んでしまう作品で*6したが、本シリーズのヒロインであるエマノンが背負った業の深さは、もうSF史上屈指でございまして。
ネタバレになりますが、超有名な作品なので割ってしまいますと。
彼女はすべての記憶を持っているのですよ。生まれてからの記憶だけではなく、親の生まれてからの記憶、その親の記憶、そのまた親の記憶、そのまた……
以下、無限に思えるほど長い繰り返しを経て、地球最初の生命まで遡る、絶望的なまでに長大な記憶。
私たちと同じ現代に生きているエマノン。しかし、その存在は、その記憶ゆえに、抱えた時の重さゆえに、決定的に我々とは断絶しています。
永遠とも思える長い時間の権化たるエマノンと私たち限られた命しかもたない人間は、それでも同じ時代に確かに生きているがゆえに、かかわりを持つ。その間に生まれるコミュニケーション、時にディスコミュニケーション。それこそが我々人間による「時間」への反攻ではないかと、そう思うのです。*7



  • 「空間」

広大な空間、というのもSFの得意な分野であります。なにせほら、こちとら宇宙抱えてますから。広大な空間に立ち向かう作品の極北というと、上でも名前だしましたがポール・アンダースンの「タウゼロ」*8でしょうか。ブレーキが壊れて加速し続ける事しかできなくなってしまった宇宙船でいかに生き残っていくか、という小説です。なにせ加速し続ける事しかできなくなったわけですから、隣の恒星までとか、隣の銀河系までとか、隣の銀河団までとか、そんな生易しい話じゃないんですよ(!)。
しかし、ですよ。これは「時間」とは逆に広大でありゃあいいってもんじゃない気がいたします。ものすごく薄情なことを言いますけれど、海の向こうの大惨事より、国内の惨事の方がどうしても心には強く残ってしまうわけでして。
むしろ「あともう少しで手が届くのに!」というスケールの小ささこそ、むしろ抗いがたい非情な「空間」なのではなかろうか、と。
思い浮かんだのは谷甲州の忘れがたい短編「星は、昴」です。

宇宙においては、通信でコミュニケーションがとれる距離というのは「至近距離」と言っても差し支えないと思います。
しかしながら、それは光の速さで通信できるが故の近さであるのは当然のことで。
存在がすぐそこに感じられるのに、どんなに力の限り手を伸ばしても、決して触れることができない。
すぐそこに、命が息づいているのが感じられるというのに!


……というやるせなさをこれでもかと堪能できる作品です。

あと、足りないのは時間なのか空間なのかそれ以外の何かなのかちょっと微妙なのですが「あともう少しで手が届くのに!」をこれでもかと堪能できる作品として、短編集「紙の動物園」収録のケン・リュウもののあはれ」も思い出します。

そしてこの作品、扱い方はかなり異なるものの、「君の名は。」と同じ道具立てを物語に取り込んでいる作品なのです。わお。


  • 「死」

そして最後の難物「死」です。
これがね、なかなかないのですよ。「生」を描き切った作品はあるし、既に「死」を克服した作品もあるんだけど、「死」に立ち向かう作品というと、これがね……伊藤計劃の作品群を「死」に立ち向かう話として捉えることも可能ではあるとは思うんですが。
いや、ひとつ、決定版があるにはあるんですけどね。

長谷敏司「あなたのための物語」。数少ない「死」を正面から扱ったSFにして、これ以上のものはそうはでてこない金字塔であると思います。
不治の病に侵された科学者が、死を回避しようとありとあらゆる手段を尽くして、そして敗れ去っていく物語です。
カッコよくも、美しくもありません。
しかしだからこそ、強く読者の心に残ります。
そして読み終わったときに愕然とするんですよ。
ああ、なんということだ。既に死に対して勝利を収めたことが、冒頭で描写されているじゃないか、ってな具合に。
「死」に勝利するとはどういうことなのか。本書が出した、どうしようもなく人間臭い結論を、ぜひ読んでいただきたく思います。


つーわけで。
お気が向きましたら、あくまで自己責任で読んでみたらいいんじゃねえかなという「運命にどうしようもなく抗うSF」紹介でございました。お目汚し失礼。

*1:まったく、なぜないのでしょうね? 噴飯ものですよ! ぷんぷん!

*2:比喩

*3:タイムスケープ (1982年) (海外SFノヴェルズ)

*4:九百人のお祖母さん (ハヤカワ文庫SF)

*5:

*6:両方とも美亜へ贈る真珠―梶尾真治短篇傑作選 ロマンチック篇 (ハヤカワ文庫JA) に収録されています。買ってね! 私、貧乏なの!

*7:ちょいネタバレになりますが「君の名は。」も、忘れ去られた太古の祈りが、長い長い時を超えてほぼ忘れ去られつつもようやく成就するという物語でしたね……

*8:タウ・ゼロ (創元SF文庫)