万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

dicegunさんからのコメントに返答(遅れまくっちゃって申し訳ないっす)

このサイトを放置している間に、dicegunさんから長文のコメントをいただきました。とても面白く読ませていただきました。ありがとうございます。
コメントをいただいたのはこちらの「CCCD雑感」というエントリ。このエントリ内での私の立場に対する反論をいただいた形です。
コメント欄での返答にしようとも思ったのですが、新たにエントリをたてた方がdicegunさんの目にも留まりやすいのではないかと思い(いや、なにせずいぶんと放置プレイしてしまいましたから。本当、申し訳ない)、別エントリでの返答という形を取らせていただきます。


と、いうわけで、ここからがdicegunさんへのお返事。
私の考えというのは、あまり一般的ではない偏った立場ではないかと自分で思っております。
と、言いますのも、ご指摘の通り。市場原理に一任した結果、既存の音楽業界が潰れてしまうようなら、それで全然構わないと私が思っているからです。
この場合、音楽業界を活かすか殺すか、その選択をするのは消費者である。その点が重要だと思っております。
CCCDの場合ですと、何らかのコピーコントロール技術が導入され、それが普及した結果違法コピーが減少し、正規の作品の売上か上がったとしましょう。それは「消費者が義務としてコピーコントロール技術を受け入れた」のではなく「消費者が音楽業界を活かすためにコピーコントロール技術を導入した作品を選択した」という形であるべきだと思うのですよ。私が御批判いただいたエントリ内で「それは義務ではありえない」といったのはそういう意味でです。
dicegunさんは私の立場を「義務なんざしらねーよ」という風にまとめてらっしゃいましたが、私はそもそもそこに義務など存在し得ないと考えているのです。
消費者の選択の結果、日本の音楽業界が潰れてしまったならば、我々は自分達の選択の代償を「音楽の不在」という形で受取ることになります(ぞっとしますね、全く)。しかし、それも仕方がないんではないかな、と。
見方を変えますと、「音楽作品を購入する」という行為は、「どのような形の音楽作品を残していくか選択する」という行為と等価なのではないでしょうか。CCCDを消費者は選択しなかった場合には、その結果もたらされる事態を音楽業界と消費者の両者とも受け入れるべきであって、「選択しないのはおかしい。選択するのが義務だ」などという物言いは全く持っておかしく感じられるのです。


うーむ。自分でも今ひとつうまくまとまっていない気がするんですが、以上が音楽業界と消費者との関係の中で、消費者の側に何かを受け入れる義務などありえないと考える理由であります。