万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

活字の本とコミュニケーション っつーか盛り上がるのに不利がある件について

昔から活字の本を読むのが割りと好きだった。で、高校生になってすぐあたりでフィリップ・K・ディックの名高い長編「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を読み、さっぱりわけがわからなかったのだけれどそのわけのわからなさに圧倒され、海外のSF小説をよく読むようになった。
以来、SFに注目してきたおかげで多くの(私にとって)良い本と出合うことが出来た。若い頃に比べると読書のペースは劇的に落ちてしまったとはいえ、高校生から今に至るまでSF小説を読み続けているのだから、これはもう中毒みたいなものかもしれない。



で、高校生とか大学生とか、まだ血の気の多かった頃(あったんですよ、私にも)、不思議でしょうがないことがあった。

「SF小説はこんなに面白いのに、なぜまわりの皆や世間の皆はいまひとつ盛り上がっていないんだろう?」

本当何故なんだろう? あれか? 読者の水準が落ちているって奴か?(まさにこんなこと考えるのは若気の至り以外の何物でもない。歪んだ選民思想じゃないか) 業界のプロデュース能力に問題があるのか?(まあ、早川書房、商売上手には見えんしな) それともあれか、全部巽孝之のせいか?(これは言いがかりに近い) それとも鏡明のせいか?(これも言いがかりに近い)

人間、歳をとるとずるくなるもので、何かを考えて結論を出すということ自体がめんどくさくなり、結論を回避するようになる。つまり……

まあ、色々と原因があるのでしょうねえ。

ってな具合だ。



あ、まずい。話が終わってしまう。いや、違うんだ。当時考えた色々な原因の中に、「小説っていうのは、リアルタイムでシーンを追っていくことが他のメディアに比べて難しいんじゃなかろうか」ってのがあると言いたかったんだよ。
小説と競合するメディアってえと、音楽とかコミックとか映画とかテレビとかアニメとかあるけどさ、どれについても「今流行しているもの」について語りやすいでしょう? 小説と比べるとさ。
何度も聴き込むとなると話は違うだろうけど、ちょっと聞いてみる程度だったら、今流行の曲は4〜5分で聞ける。意識してはいないけれども、近頃良く耳にするなんていうケースも良くあるし。
コミックだって、1冊読むのに何時間もかかるって言う人はあまりいないだろう(もちろん、意図的にそういう読み方をするというのは大いにありだとは思う。あくまで一般論)。
ドラマだったら1話60分。アニメだったら1話30分、映画だったら2時間前後で、とりあえず体験することは出来る。少ない労力で体験できるものは、話題にもしやすいやね。
何度も繰り返すけれど、あくまで一般論だよ?



では、小説やエッセイ、ノンフィクションといった活字の本はどうか?
人によっては1〜2時間で読めて、しかも面白かったり深かったりするという完璧超人みたいな本ももちろんあるけれども、そうじゃない本も多い。っていうか、そうじゃない本のほうが多い。
SF小説なんていうのは小説全体から見れば小さなマーケットだけどさ、それでも毎月結構な量の作品や関係書が出ているわけですよ。その多くをチェックしてシーンを追おうなんていうと、かなりの労力がいる。いわんや、他ジャンルの小説をや。いわんや、小説全体をや。
シーンを追いにくくなるということは、最近読んだ本で盛り上がれる機会が少なくなるってことでもある。盛り上がれる機会が少なければ、そりゃシーンも活況を呈しにくくなるわな、と。


「本は単なるコミュニケーションツールではないぞぅ」という声が聞こえてくる。そりゃそうだ。
例えば、私の中では進化論についての本が空前のブームを巻き起こしていて、とても流行しているとはいえないがとても面白い本と出会っている。これからの物の見方全般にも影響を与えてくれるだろう。個人的には、とても濃密な読書って奴だと思う。
でもここでしているのは「盛り上がり」のお話。それが多くの市民の中での盛り上がりであろうと、狭いアカデミックな場での盛り上がりであろうと、とにもかくにもどこかで何人かが盛り上がらなければひっそりと忘れられていくのみだろう。
「いや、そんなコミュニケーションがなくても、作品が上質なものであればその作品は人々に記憶されていくんだ。きちんと継承されていくんだ」という意見の人もいるだろうし、それも個人の信念としては実に立派な、尊敬に値するものだと思うのだけれども、だったら、俺の好きなSF小説はもっと盛り上がってもいいはずなんだよな(笑)。
今の時代、著作物みたいな嗜好性の強いもの(著作物全部がそうだといっているわけではないよ? 学術的な価値があるものとかもあるし)が時代を超えて普及しようとか広く普及しようとか思うんだったら、コミュニケーションツールとして機能するか否かというのが案外重要なのではないか、と。


とまあ、若い頃の私が漠然と考えていたことを今の私が文章にすると、こんな感じになる。
若い頃と今と、小説を巡る状況で一番大きく変わったのはライトノベルの隆盛だと思う。いや、ロードス島やフォーチュンクエストは読んでいたし、スレイヤーズ好きな友人もいたけどさ。今ほど流行ってるって感じはしなかったもの、当時は。
で、ライトノベルはコミュニケーションツールとして機能しているように見えるんだよね、傍目から見ると(というのは、私は今現在、ライトノベルの熱心な読者ではないから)。
小説が他メディアと比べると体験するのに時間がかかってしまうから、コミュニケーションツールとしては相対的に機能しにくいんじゃないかと書いたわけだけれど、御存知のようにライトノベルは、まあ、読みやすいということになっている(これも全部が全部じゃないよ。あくまで一般論ね)。体験するのに時間がかかるというハードルは低くなっているわけだ。
ライトノベルとはなにかというと、まあ、定義は難しいうえに完全な一致を得ることなどありえないわけだけれども、レーベルでそれを判断している人も多いようだ。見方を変えると、何をチェックすればよいのかわかりやすいともいえる。最新のシーンを探りやすいのね。ぶっちゃけた話、電撃文庫の新刊を何ヶ月か読み続けたら、何がしか今のシーンについて知ったような気になれるんじゃなかろうか。
おまけにレーベルの屋台骨となり得るような雑誌や新人賞まで完備しているわけだから、ある意味、シーンを概観するなってほうが無理かもしれない(笑)。


従来の小説に比べると少ない労力でとりあえずは体験できて、シーンを概観しやすい構造になっているとなれば、コミュニケーションツールとしても機能し得るということ。それを、ここ数年のライトノベルの隆盛というのは示しているのではなかろうか、と。
逆に、常連客の多い少ないは別として、常連客の話のネタになりやすいような状況を作ってあげるというのも、非常に大事なことなんだろう。


またSF小説の話になっちゃうんで興味のない人には御免なさいなんだけれども、ここ数年、SF小説って一時期に比べるとかなり元気だ。
元気になった原因って、やっぱり色々あるんだろうけど、チェックすべきシーンがわかりやすくなったというのも、その一因にあるのではないかと思うんだよ。
ここ数年でチェックすべきとこといえば

河出書房新社の「奇想コレクション」叢書
・国書刊行会の「未来の文学」叢書
早川書房の「ハヤカワSF Jコレクション」

まあ、この3つを追っていれば何とかなったもんだ。一見、実にすっきりとしていてわかりやすいでしょ?
構図がわかりやすければ、話の種にもしやすいやね。ここ数年のSF小説ってのは、コミュニケーションツールとしても機能しやすい状況にあったのではなかろうか。



しかし読み返してみると、「卵が先か、ニワトリが先か」みたいな話かもしれんね、こりゃ。