万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

沈黙のフライバイと、ハードSFの持つ「地味」さ

[SF][サイエンス][詩情]
「沈黙のフライバイ」


SFの中でもハードサイエンスにこだわって作られたものをハードSFと呼んだりする。
で、科学的に厳密であるが故に、その作品は壮大なビジョンを展開させることになるはずなのだが、逆に地味な印象を受けることも多い(もちろん、エキサイティングな作品も多いけれど。小川一水作品やロバート・L・フォワードはその最たるものかも)。その壮大さに共感できる場合とできない場合があるというか。
空間的、時間的にスケールが大きくなりすぎると、漠然としか理解できないから、よくわかんないっていうかな、そんな感じ。
例えば、先ごろ復刊なった堀晃の「バビロニア・ウェーブ」なんかも、私には少々地味に感じられた(もちろん、あくまで私の印象にすぎないわけだけれど。この本、是非売れて欲しいんだがなぁ)。


しかしだ、ともすれば地味に感じられてしまうハードSFに、地味さを通り越して詩情を感じさせられてしまうことがある。
例えば、アーサー・C・クラークの作品群がそうであるし、谷甲州がそうである。たまらんですよ、もう。
で、「沈黙のフライバイ」なわけだけれど、正直、地味。
地味なんだけれど、最後に収録された短編「大風呂敷と蜘蛛の糸」は面白かった。
収録作品の中では唯一、元気な女子大生を主人公に据えているせいだろうか、感情移入しやすく、その作品が指し示すビジョンの壮大さ、それが湛える詩情まで辿りつくのを助けてくれたというか。
いや、やっぱり感情移入しやすいキャラクターって、大切なんだなぁ。