「コピーネバー」と全なるアーカイヴとあなたのコレクションサイト
私は、普段録音・録画をあまりしない人間だし、HDDやらコピーワンスやらになると、その存在こそ知っているものの、実際の恩恵やら不便さやらを実感していないもので、このへんの関係については扱わないようにしていたんだけども、こんな記事を読んだんですよ。
「コピーワンス」による本当の機会損失とは デジタル家電&エンタメ-最新ニュース:IT-PLUS
いや、面白かったんです。
規制緩和をする軸の話とか*1。「接触機会」というものに関しては、放送の権利者に限らず、音楽や書籍の権利者もあまり意識した論調が見られないんですね。その点を視野に入れた議論を行っていくべきだという意味においては、なるほど、と。
で、ですね、これは本心からいっているというよりも、誇張して言っているのかもとも思うんだけども、ちょっと引用しますね。
規制緩和をすべき軸は接触機会の最大化に向けられるべきだ。ネットワーク上のどこかに番組が正規の手続きによって置かれていて、権利者との合意に基づいて公開非公開が決められればよいのだ。そうなれば究極の姿は「コピーネバー」、録画はできなくてもよくなるはずである。
コピーネバーかぁ。
例えば、まるで全能の神が創ったかのような、完璧なるアーカイヴがネット上に存在したとして、それがひとつあればコピーネバーでいいか?
これは、そんなこと無いと思うわけです。つーか、そこのデータが何かのトラブルで失われたらそれっきり。そんなリスクの高い状態では、ちょっとねえ。録画が封じられ、唯一のアーカイヴが失われたら、コンテンツが永久に失われることになってしまいます。
日本は多神教の国。
神が創ったかのような完璧なるアーカイヴが複数あり、全部がいっぺんに潰れるなんざそうそうありえない状態、冗長性が高い状態ではどうか?
この場合は、個人のコレクション、というものと関わってくるように思うわけです。
本ならば「蔵書」という形で個人は自分の好む作品をコレクションすることが出来ます。
音楽ならばCD、レコード、ダウンロードしたデータの形で。
では、放送は?
運良くDVD化されたなら、DVDというモノとしてコレクションすることが出来ます。
運悪くDVD化されなかったものに関しては?
現状では、個人の録画頼み。YouTubeやニコニコ動画を利用するにしても、もとは録画です。
録画できなくなるということは、放送に関して、個人のコレクションの形が変貌することを意味します。
録画できなくなった時代のコレクションかぁ。おそらくは、ニュースサイトみたいなものになるんですかね。
お気に入りの番組やコンテンツがずらりと並び、そのリンクから飛んで視聴する、みたいな。
「コレクション系サイト」に人気が集まったりして。ドラマならここ。CMならここ。歌番組ならここ。お笑いならここが充実してる、と。
ただ、いつでもどこでもネット上のコンテンツにアクセスできるようにするコストって、それなりに結構なものだろうなとも思うわけで*2。そこまでやるんだったら普通に録画を認めたほうが安上がりになるような気もするんですが。
逆もまた真かもしれませんね。かなりのコストをかけなければ、究極のコピーネバーを正当化することは出来ない、となるのかも。
まあ結局は「放送された番組は個人で所有できない」という概念を、みんなが受け入れるかどうか、になっちゃうんですかね。