万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

初音ミクに捧げる20年前の魔法使い


個人的に、初音ミクをサンプラーが登場した時というのと重ねてみているところがある。
今でこそ「サンプリング」というと、「ある曲のフレーズや歌声などを取り込んで、他の曲で再利用する」というのが手法として確立している。場合によっては複数の曲を組み合わせたり、あるフレーズを切り刻んで再構成したりといった洗練の道をたどって現在に至る。
しかし当然ながら、最初から使い方が確立されていたわけではない。様々な方法が試されたのだと思う(さすがに、リアルタイムでは知らないけれど)。
初音ミクの登場によりヴォーカロイドに注目が集まっている。その使い方というのも、これから本格的な試行錯誤が始まるのだろう。その先に新しい音楽が待っているとしたら、これは実にワクワクさせられる事態だ。


頭の中に浮かぶのは、ポップミュージックの魔術師の異名を持つトッド・ラングレンが1985年に発表したアルバム“a cappella”だ。

A Cappella

A Cappella

ポップな曲を作らせれば向かうところ敵なしであるにもかかわらず、何の因果か実験精神も旺盛なトッドはサンプラーの出現に狂喜乱舞したのではないか、と勝手な想像だが。
そして出来上がったのがこのアルバム。
メインヴォーカル、コーラスは当然として、アレンジも、リズムさえ、ほとんど全てを自らの声でこなしてしまった怪作である。そう、怪作という言葉がこれほど相応しい作品って、そうはないもんだ。
優れたコーラスグループであれば再現可能であろう“HODJA”や“JOHNEE JINGO”“MIGHTY LOVE”といった曲も収録されているし(特に“JOHNEE JINGO”は泣ける。南北戦争における黒人兵の歌。素晴らしい。)、いわゆるアカペラ作品である“HONEST WORK”見たいな曲も入っている。これらの曲もメロディーメーカーとしての才能が遺憾なく発揮されており魅力的ではあるのだが、やはりなんといっても真骨頂は“BLUE ORPHEUS”や“LOST HORIZON”といった楽曲群、肉声では再現不可能なアレンジを、般若のような顔して展開する曲だろう。
確かに今聞くと洗練されていないかもしれない。もしトッド自身が同じコンセプトでもう一度アルバムを作るとしたら、より洗練された作品を作ることもほぼ確実だと思う。
だが、生まれたての技術を使ったこのプリミティブな感じ、当時既にベテランであったはずの魔法使いが放った未熟な渾身の一撃には、何物にも換えがたい熱さのようなものが詰まっており、それは今だって通用するものだと信じる。それだけの骨太なものが、この作品には宿っている。


ああ、つまるところ、私はそういったものを期待しているのだ。ヴォーカルの代用品ではない、製作者の想像を超えるような新たな展開を。試行錯誤の末に既成概念の殻を打ち破り、新たな地平を切り開くような展開を期待してやまないのだ。
それがもうそこまで来ているのか、それともまだまだ遠いところにあるのかはわからない。でも、それは可能なはずだ。
歴史がそれを証明している。