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万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

目指すべきはCulture firstかUser firstか、それとも?

「iPod課金」は「文化を守るため」――権利者団体が「Culture First」発表 - ITmedia News

「Culture First」は「User First」 - Copy & Copyright Diary

年末年始の忙しさが微妙にまた続いていて、ネット上の話題に関してはすっかりリップ・バン・ウィンクルのような、未来警察ウラシマンのような状態なのだが、それはさておき。
自分でもまだ考えがきっちりまとまってはいないのだけれど、目指すべきはCulture FirstでもUser Firstでもなく、Content Firstなのではないか、などと思っていたりする。
つまり、あるコンテンツがいかに広まり、なおかつ如何に次世代を生み出すことが出来るか。それに一番の重きが置かれるような、そういったイメージだ。


以下、考えがまとまらないまま書いていく。
えーと、著作権法を変えた場合、変えたことによって効果が上がったのかどうかを検証する必要がある。文化庁はおそらく、この「検証」というのが大の苦手のはずなんだが、そんなことは知ったことではない。
で、その検証はどのような手段でなされるか?
まあ、色々方法があるんだろうし、色々な指標があるんだろうけど、究極的には発表される著作物の数が増えたかどうか。言い換えると、コンテンツが次世代を多く生み出すことが出来たか、だ。
当然、次世代の増加に寄与しない保護政策は、棄却されるべきだ。次世代の増加に寄与しない、或いは寄与が少ないにもかかわらず、流通を妨げるものはいわずもがな。


コンテンツが広まること、まあ「流通」だが、それについても同じことが言えるだろう。
流通すりゃあいいだけだったら、みんな好き勝手にウェブにアップしてハッピーなわけだが、それだと次世代を生み出すのに悪影響がでると考えられているわけで、だからこそリアル・ウェブ問わず海賊版は禁止されているのだろう?
ウェブに無秩序に流した状態でも、あるコンテンツの変異が生み出される可能性は相当あるだろうが、なんといってももともとの作り手が変異・次世代を生み出す可能性が一番高いわけで。何も直接の続編というわけではなく、テーマ的な深化であるとかな。
確率的に、次世代・変異を生み出す可能性が一番高いという点において、著作者への利益還元は正当化される。
まあ、死後の保護期間なんてのは、遺族年金でしょ? 本質的なものではありえないよ。


うーん。なんか普通のこと書いてるなぁ。平たく言うと「保護と権利制限のバランスが大事ですよ」ってことだもんなぁ。
でもまあ、大事なのは権利者でも利用者でもなく、コンテンツそのものなんだよってのは、言い換えると、「権利者のインセンティブ」であるとか「利用者の利便性」であるとか、そういったあやふやな逃げ道をふさぐ、ということでもあるんじゃないかな、と思う。
著作権についての施策の多くは、「それがより多くのコンテンツ発表に寄与したのか」「結果として、発表されるコンテンツが増加したのか」という指標で、よりシビアに検証・測定されるべきだ、と思うのだな。
であるから、Culture FirstもUser Firstも、微妙にイメージがずれてしまうのだ、私の中で。


うー、煮詰まってきたぞ。
権利者vs消費者(利用者)の構図ってのが、わかりやすくて人気があるわけだけれど。
実はその真ん中に「作品」ってのがぶら下がっているわけで。
おそらくその作品は一度生み出されたが最後、本質的には「誰のものでもない」のだ、多分。
「権利」とか「著作権者」ってのは、そうしたほうが作品がより効率よく広まったり、効率よく変わっていったりするための便宜上のもんだ。
そういう方向のことをぼんやりと考えている。