万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

勝手にSFだけでハヤカワ文庫100冊 その4 時代の流れに収まらない人たち(22〜35)

さて、なんとなく50年代、60年代ときて、じゃあ次は70年代なのだけれど、そういった流れを追うようなやり方だと、なかなか言及しにくいような作家・作品というのもでてくるわけですよ。
また、そんな作品・作家に限って好きだったり面白かったりするわけで。

22・「スローターハウス5カート・ヴォネガット・ジュニア
23・「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」カート・ヴォネガット・ジュニア
24・「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」フィリップ・K・ディック
25・「流れよわが涙、と警官は言った」フィリップ・K・ディック
26・「火星のタイムスリップ」フィリップ・K・ディック
27・「九百人のお祖母さん」R・A・ラファティ
28・「どろぼう熊の惑星」R・A・ラファティ
29・「つぎの岩へつづく」R・A・ラファティ
30・「キャッチワールド」クリス・ボイス
31.「きみの血を」シオドア・スタージョン
32・「鉄の夢」ノーマン・スピンラッド
33・「スロー・バード」イアン・ワトスン
34・〈人類保管機構〉コードウェイナー・スミス
35・「虎よ! 虎よ!」アルフレッド・ベスター

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カート・ヴォネガットとなると、下手をすると20世紀を代表する作家に普通に入ってきそうな超大物であるので、何を今更という気もするが、すごい作品書いてるんだから仕方ないだろう。
短い断章を連ねていくスタイルはやたら読みやすく、ユーモアも忘れず、そのくせ、死ぬほどシリアスで死ぬほどやりきれない。
自らの従軍経験をSFの形で綴った(本人いわく、SFの形でしか語れなかった)「スローターハウス5」は20世紀でも有数のやりきれさが詰まった傑作だし、無私の高潔な心をもった富豪ローズウォーターに醜く群がる愚者の群れを描いた「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」は、20世紀でも有数の怒りが詰まった傑作である。
彼の作品の多くはSFであり、多くはSFではない。しかし、日本ではSF読みがヴォネガットに目を付けたことを誇りに思っていいような気がする。


えーと、ディックですよ、ディック。とりあえず手当たり次第に全部読め。
ブレードランナーとかとりあえずどうでもいいから、読んでみなって。
なんつーか、ディックに関しては「ヴァリス」や「聖なる侵入」「ティモシ・アーチャーの転生」といった愚作まで愛おしいという、病恍惚の域にまで入ってしまっているんだけれど。
ディック作品について語られる時には、ドラッグ体験にも影響されていると思われる独特の現実崩壊感や、安っぽいガジェットの積み重ねで構成されるなんとも独特の世界観が取り上げられることが多い。
それはそれでそのとおりなのだけれど、その一方彼は世界というものに対して実に幼稚な異議申し立てを生涯やめることがなかった作家でもある。
実に幼稚だ。つまり「なんでこんな不幸なんだ!」とか「俺が何をしたっていうんだ!」とか「なんであんないい奴が死んじゃうんだ!」とか。ヴォネガットなら悲しげに笑って「そういうものだ」*1で済ますところを、顔を真っ赤にしながら怒鳴り続けた。
しかし、そんなことを言ったところで詮無いことも分かっていた。彼の主要な作品にハッピーエンドと言えるものはほとんどない。
それでも彼は異議申し立てをやめることはできなかった。そして最後には矛盾だらけの宗教めいた世界へ自分ひとりで旅立ってしまった*2
彼はそういう作家だ。


えーとね、ラファティですよ、ラファティ。とりあえず手当たり次第に全部読め。
こんな変な作家、いないよ?
挙げたのはすべて短編集なのだけれど、彼の書く小説は途方もないホラ話ばかりで、一つとして筋が通っていない! お約束とか科学とか論理とかきれいに無視して、とんでもないことばっかり書いてくる。学校にも上がっていないような子供たちが秘術で街をとことん破壊したり、辞典にかすかに残された修正の痕跡から、ある都市が破壊され、その事実が闇に葬り去られたということが浮かんできたり、そらに島が浮かび、海はひっくり返り……誇張じゃなくて、本当にそんな話。
いやあ、とんでもねえなあ、とか思いながら読んでいくうちに、あなたはある嘘みたいな可能性に思いあたる。いやあ、でも、そんな馬鹿な。
幸いにして近年、ラファティの長編が2冊ほど訳出された。

あなたはその可能性を念頭に置きながら長編を読み進めていく。嘘みたいだった可能性が、どんどんと現実味を増していく。いや、でも、そんなはずが。
この、突拍子もない、普通に悪魔とかエイリアンとか魔術とか旧人類とかでてくる、死者が平気で動き回ったりするこの世界は。
実は完璧なまでに論理だった世界かもしれない。ただ、私たちにはその論理がわからないだけで。
そして、ラファティただ一人が、その論理を知り、世界の真の姿を目にしているのかもしれない。
まあ、そんな馬鹿なことあるわけないんだけどさ。
まさかね?


さて、ブライアン・オールディスが言い出したSFのサブジャンルにワイドスクリーンバロックというのがあって、その存在が稀であるが故に、どこか神格化して語られているような、そんなジャンルなんだが。
簡単にまとめるとすると、無茶なスケールの無茶なアイデアを無茶な数だけ短い分量に放り込んで、無茶なストーリー展開をする無茶なSFのことだ。
例として挙げられるのがA・E・ヴァン・ヴォクトの諸作*3であったり、バリントン・J・ベイリーの諸作*4であったり、当のオールディスの「地球の長い午後」であったり、また私見では田中啓文の「銀河帝国の弘法も筆の誤り」であったり友成純一の「獣儀式」であったりする。
そして、忘れちゃいけないのが「キャッチワールド」と「虎よ! 虎よ!」だ。
みんな、圧倒されてただただ興奮したり、よくわかんなくて投げ出したりするといい。


で、そんな型破りなサブジャンルであるところのワイドスクリーンバロックをもってしてもカバーすることができないのが、コードウェイナー・スミスの人類保管機構シリーズ。
スミスの作品のほとんどは同一の世界観を有し、架空の未来の歴史、いわゆる未来史を構成する。熱心なファンによって年代別にリストアップされたりもしている。
ただ、そのイメージというのがなんというか、いわゆるお約束的な定型におさまることをとことん拒否するというか。
「華麗なイメージ」という言葉を、今書いている一連の文章の中では何回か使うことになるけれど、その中でもコードウェイナー・スミスのそれが一番華麗であり、かつ、一番エキゾチックなんである。
洒脱な言い回しで展開される物語には造語が使われているわけでもなく、そのストーリーのフォーミュラだけを見てみるとラブストーリーであったり、宇宙空間における戦闘であったり、成長物語であったり、決して奇抜なものではないはずなのに、いざ出来上がったものはワンアンドオンリーの奇抜きわまる物語となっている。
そのエキゾチックな異質さが、死後明らかになった作者の経歴によるものではないか、というのは広く指摘されているところだ。本名ポール・ラインバーガー。アジア戦略専門の政治学のプロにして陸軍情報部の大佐をも勤める。幼少期を東洋で過ごし、中国での名前の名付け親はかの孫文
なるほど、簡単な類型に収まりきらない人物であったわけである。


シオドア・スタージョンは長いことなかなか著書が日本ではあまり入手できない状態が続いてきたが、ここ数年の積極的な再評価で短編の名手としてのイメージを再び強固にした感がある。
その巧妙な語り口を一番ストレートに味わうことができるのが、ハヤカワ文庫収録作品のなかでは「きみの血を」だと思うので、知名度では「人間以上」や「夢みる宝石」の方が上だが、ここは敢えて挙げさせてもらった。
大体がデビュー作からして、電車にひかれようとしている男の話を、その当の男の一人称でつづったものという、一筋縄ではいかないものだそうである。
ありふれたストーリーが、この人の手にかかるとまったくもって風変わりなものへと姿を変える。
「人間以上」にしても、テーマ的には既に一ジャンルを形成する「古典」といってもいいようなものを扱っているし、「きみの血を」にしてもテーマ的には吸血鬼ものを逸脱することなく、むしろすっぽりとそこに収まる。アイデアの目新しさや、他の作家への影響といった面で見ても、キングのあの「呪われた街」や、アン・ライスの「夜明けのヴァンパイア」のほうがはるかに上を行く。
それなのに、いざ読んでみるとこの完成度の高さはどうだ。細部まで計算され尽くし、読者を翻弄し、引き込み、その想像力をフル回転させる。
そして、先に挙げた2つの傑作よりも、背筋をぞっとさせることでは遥かに上を行ってしまうのである。直接的な描写などほとんどないというのに。なんという離れ業であることか!


さて、日本ではなかなか紹介が進まないノーマン・スピンラッドの「鉄の夢」はSFきっての奇書と称される。
この本は架空のSF作家であるアドルフ・ヒトラーの傑作長編「鉤十字の帝王」がめでたく復刻されたものという体裁をとっており、その本篇にくわえ、本編を分析した短い解説がつく、といった具合。
この本、何人かに読ませてみたことがあるんだが、見事に賛否両論、真っ二つだった覚えがある。確かに、大部分を占める「鉤十字の帝王」が素直に楽しめるものであるかというと、留保をつけざるを得ないと思う。
しかし、だからこそ解説が効いてくるのだ。作者がSF作家として名をなしたアドルフ・ヒトラーであるということがクローズアップされる解説によって「鉤十字の帝王」はその意味合いをガラッと変える。さっき書いたように、「鉤十字の帝王」はどうにも傑作とは言えないと思うのだが、そのことすら重要な意味を持ってくる。
他に類を見ない手法であるが、はてさて、あなたの口に合うだろうか。


さて、最後はイアン・ワトスンの短編集「スロー・バード」だ。挙げてきた中ではいちばん小粒にまとまっており、高水準で安定している。才気あふれるアイデアで読ませる、ある意味典型的なSF。
この実にまっとうなSF短編集は、日本のSF読みに静かなインパクトを与えたのではないか、と思っている。
決して大して売れているとは思えないワトスンの長編が、数年に一度ではあるが紹介され続けているのは、この短編集があったからであるし、当の短編集がカバーも新たに復活したのも、その高い品質なればこそ。
横や斜めからではなく、真正面からの高品質なSF。派手ではないけれど、その衝撃は短編集の刊行から20年近くたったいまでも忘れられてはいない。これからも地道な紹介が続けられていくに違いない。

*1:スローターハウス5」で頻出する言葉

*2:そうなってから以後の作品が愚作として挙げた「ヴァリス」「聖なる侵入」「ティモシー・アーチャーの転生」といった作品群である

*3:「宇宙船ビーグル号」「スラン」「非Aの世界」等

*4:「時間衝突」「カエアンの聖衣」など