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万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

昨日に引き続き、伊藤計劃「ハーモニー」について/身も蓋もない問いかけが暴走するとき


ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

昨日に引き続いて「ハーモニー」の話だ。
本書、及び「虐殺器官」(虐殺器官 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション))及びアンソロジー「虚構機関」(虚構機関―年刊日本SF傑作選 (創元SF文庫))収録の短編「The Indifference Engine」についてのネタバレを含むので注意されたい。
結論としてはこういうことが言いたい。
世間一般の価値観に対して身も蓋もないまでにまっすぐな問いかけをして、納得できなければ世界ごと破壊してみせる。伊藤計劃はなんという恐ろしい作家であろうか。









それでは参ります。
以前「虐殺器官」を読んだとき、私はこんなことを書いている。

最初の方で「虐殺器官」はわかりやすいと書いた。

現実世界を敷衍したような近未来社会、適度な質感の伴う戦闘描写、理解しやすいよう、ある程度すっきりと整理された擬似進化心理学的説明、いかにもエンターテイメント小説的などんでん返し。

うん。とても「わかりやすい」。

この作品が問題作足りえるのは、そのメッセージ性までが実にわかりやすいが故である。実も蓋も無い、返答しようが無いようなメッセージだ。青臭いといってしまえばその通りなのだが、「そんな、青臭い」ではなんの返答にもなっていない、困ったものなのである。

つまりね。

「ジェノサイドが起こっているけれども、テレビやネットでそれを見ている先進国の俺たちはどうしたらいいの?」

話題のSF小説を読んだら、こんなことをすっごい真顔で言われてしまった、そんな感じなのだ。

「虐殺器官」について - 万来堂日記2nd
この特徴は「ハーモニー」にも「The Indifference Engine」にも共通している。現実世界を敷衍したような未来、エキサイティングな戦闘、ある程度単純化された擬似科学的説明*1
今の私なら、「虐殺器官」で示された身も蓋もない問いかけをこう表現する。


「なぜ殺したり殺し合ったりしちゃいけないの?」


これにきちんと答えようとおもったら案外骨だというのは、皆様ご存知の通り。「いや、街を歩いていていきなり殺されそうになったら困るでしょ?」と攻めようとしても、「いや、俺、そいつより強いし」と自信満々で答えることができてしまうのが「虐殺器官」の主人公だ。
そして読者に対する問いかけは宙ぶらりんのまま、主人公は虐殺が世界に蔓延する、その最初のドミノを倒すことになる。つまり、主人公は「別に殺したり殺し合ったりしちゃいけないこと、ないんじゃないかな」と結論を下した。


The Indifference Engine」は「虐殺器官」のスピンオフ短編だ。民族対立によるジェノサイドが国連や大国の介入で終結した土地で、それでも憎しみを捨てることができない元少年兵達を主人公とする。途中、ナノマシンによる認知システムの改編によって、主人公は自分と憎むべき対立民族を見分けることができなくなる。対立を捨てるべきだと、かつての味方からも諭される。それでも少年は憎しみを捨てることができない。


「なんで憎いあいつらを許さなきゃいけないの?」


そして憎しみが暴走し、この物語は幕を閉じる。2007年度の日本SF傑作選である「虚構機関」のトリを飾るのにふさわしい傑作であると思う。



さて、「ハーモニー」は?
健康管理が極限まで追求され、健康体の維持が社会的な評価とほぼ等価にまで重要視される時代*2
社会から健康や好ましい態度を控え目な態度で、なおかつ徹底的にに強制され、そこに息苦しさを感じ、死をもって管理からの脱出を図ろうとする少女たち。
そして少女が大人になったとき、人命をとことんポジティブに捉え、健康こそが正義とする社会に対してテロが仕掛けられる。同時刻に世界各地で発生した六千件もの自殺。そして犯行声明と脅迫。曰く、強制的な自殺から逃れたければ、タイムリミットまでに誰か一人を殺さなければならない。
これだけ読むと「虐殺器官」の問いかけと同一の問いかけが「ハーモニー」でもなされていると思えるかもしれない。しかし、注目したいのは扱われているのが他者の殺害ではなく自殺であるという点だ。主人公が管理を逃れようという志向を持っていることも意味を持つ。
つまりだ、「ハーモニー」における身も蓋もない問いかけとはこういったものではないだろうか。


「なぜ自分を大事にしなければいけないの?」


なんでだろうな?
そして物語は究極的な意味で「自己」を否定してのけてみせる。



「なぜ殺したり殺し合ったりしちゃいけないの?」
「なんで憎いあいつらを許さなきゃいけないの?」
「なぜ自分を大事にしなければいけないの?」
青臭い。実に青臭い。その癖、非常に答えにくい。前ふたつは他者の破壊と否定で、最後は自己の破壊もしくは否定。
心底恐ろしいのは、これだけエンターテイメントとして安定して読ませる小説群だというのに、読者を安心させるような、いかにも「大人」の結論が作中に用意されていないことだ。とことんもてなしがいいくせに、とことん居心地が悪い、とでも言おうか。
世間一般の価値観に対して身も蓋もないまでにまっすぐな問いかけをして、納得できなければ世界ごと破壊してみせる。伊藤計劃はなんという恐ろしい作家であろうか。



最後に、「ハーモニー」は傑作だと思うんだが、一か所だけ引っ掛かった所がある。私の読みが浅いんだろうけれど、あのエピローグ。
読んだ方ならわかると思うんだが…


誰が記録して、誰が使用してるんだ?

*1:なぜ「疑似科学的」かというと、わかりやすさのために少々のいかがわしさが導入されているからだ。例えば、「ハーモニー」における、感情と自意識の説明などは大いに疑わしいと私は思う。とりわけ、感情や自動化された判断が識閾下での認知や活動に大きな影響を受けているであろうことを考えるとね。

*2:そういった社会の価値観が普及したきっかけとして、突如としてアメリカに端を発し、全世界へ波及した大虐殺について触れられており、ここで「ハーモニー」は「虐殺器官」と驚きのリンクを結ぶ