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万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

みんなでお勉強 その4:旅烏さん、三十半ばにして性に目覚める

非実在青少年関連の話題に興味を持って、今までメディアと人間の関係に関する心理学寄りの本を3冊ほど読んできたわけですが、いや、その次に何を読んだらいいのか、ちょっと迷ってしまいまして。
いざ探してみるとですね、そういったエビデンスベースでメディアと人間の関係について書いてある本って、決して多くないのですよ。いや、きっと探せばもっとあるのだと思いますが、私のアンテナではどうにも探し出すことができませんで。
特に、書籍が与える影響、コミックが与える影響、ポルノが与える影響となると、もうさっぱりでございます。
おそらくなんですが、あれです、書籍もコミックもいってみりゃあ古くからあるものなもんで、テレビ、ゲーム、ネットといった新しく勃興してきたメディアと比べると、その好影響・悪影響を検討するような社会的要請が少なかった、ということがあるのかもしれませんね。
昔からあるものと新しく出てきたものだったら、新しく出てきたものの方が脅威に感じやすいってもんです。


で、結局読んでみたのが『青少年に有害! 子どもの「性」に怯える社会』(ジュディス・レヴァイン河出書房新社)という本です。

青少年に有害! 子どもの「性」に怯える社会

青少年に有害! 子どもの「性」に怯える社会


正直、あまり科学的根拠を重視した本とは言えない印象があります。巻末には大量の参考文献、論文が挙げられてはいるのですが、まあ、研究商売でもないのに英語の論文読むなんざ真っ平御免です(キリッ
また、本文でもそれらの研究で示された数字が示されていることが少ないので、そういった印象を受けやすいんですな。ですから、著者が「数字」をないがしろにしている、と言っているわけではありません。念のため。
それに、基本的にルポルタージュ的な作りになっているということもあります。数字ではなく現場の人間が語る言葉で、説得力を持たせているといいますか。

本書は二部構成となっています。
「有害な保護」と題された第一部では、アメリカにおける性教育が如何に散々な状況になってしまっていることが語られていきます。
子どもたちを性からシャットアウトしようという意図で実施される「禁欲的な性教育」が、実際にはどのような結果をもたらしているか、それは実際には、思春期の青少年に悪影響を与えているのではないか、というのが著者の主張です。
読んでいて面白いんですが、この第一部だけだったら、わざわざブログでは取り上げなかったと思います。

本書の真骨頂は第二部です。「感覚とセクシュアリティ」と題された第二部において、ではどのような性教育を目指していくべきなのか、著者は様々な現場を歩きまわり、大冒険を始めるのです。
中学校、高校、小学校、はては幼稚園、更にはホームレス支援施設。異性愛者のみならず同性愛、そしてHIV問題まで。
性というものを自然なもの、より広い包括的なものとして捉える視点を性教育に持ち込むべきという著者の主張は、確かに少々理想論めいた印象を拭えないことは確かです。
しかし、重要なことは「対案が示された」ことですよね。
東京都の青少年健全育成条例の改正騒動に始まる非実在青少年論争で、厳密なゾーニング・区分陳列が求められる解決策であるかのように語られる光景を、今でも見ることがあります。
もちろん、ゾーニングを支持する理由も一つではないでしょう。それが問題を解決する(この場合の問題とは「ポルノが与える悪影響から青少年を如何に守るか」です)という立場の他にも、現実的にそれ以上どうしろって言うんだという人もいれば、当面の窮地を乗り切るためのいわば方便として指示している人もいるでしょう。
でもですね、ゾーニングって奴は、本書で著者が全精力傾けて総攻撃した「禁欲的な性教育」と同じ路線、まさに延長線上にあります。
本書でも口を酸っぱくして繰り返されるんですが、禁欲的な性教育がもたらす性に対する姿勢や無知というのは、青少年が青少年である時期のみならず、青少年が大人になった時にも強い影響を及ぼすわけですよ。
これは例えばですが、成人になって初めて性の情報に触れた時、戸惑うばかりで不幸な結果になってしまうことだって十分考えられるわけです。というか、多分個人レベルでは頻繁に起こっているのではないかと。いや、幸せなセックスって難しいですよ。俺、自信ないもん。
ただ、対案として示された、より包括的な性教育を実施するためには、大人の側も性に対する認識を新たにすることが要求されるわけです。
一朝一夕でできることではありません。
それでも目指すべきだ、と私は思います。
そしてこれは性教育に限った話ではありませんよね。
ゲームが流行ればゲームから子どもをシャットアウトしようという言説が話題になり、ネットが普及すれば子どもからケータイを取り上げようという動きが支持されるのが、今の日本です。
「子どもを大人の社会からシャットアウトしよう」という価値観に沿って教育が行われる、その有効性、妥当性が問題とされるべきだろう、と。
だからなんですよ、私が非実在青少年の話題で「表現の自由」という言葉が飛び交う現状に、少々うんざりしてしまうのは。確かに大事だけれども、それって結局、大人同士の争いでしょ?
当事者は大人だけじゃないんです。みんな、本当は気が付いてるんでしょ?