万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

失踪について

ここは私個人のブログであるので、誰も私の自分語りを止めることはできない。
失踪について書こうと思う。


失踪騒ぎを起こしたことがある。20代の半ばを過ぎた頃だ。
結局4日程度で家に戻ったので、失踪「騒ぎ」という言葉が、本当に似つかわしい。


まず、同じ会社のKが失踪した。突然であった。
Kの上司から「出勤してこない」との電話があり、そのことを知った。
Kとは友人のつもりだった。かつては同じ店で同僚として働き、苦しい時期や楽しい時期を共に体験した。
友人のつもりであった私には、Kが失踪するなど想像もできなかった。理由は今でもわからない。噂話で推測する程度のことしかできない。本人ともそれ以来コンタクトがとれていない。本当に友人であることができていたのかも、ちょっとわからない。
なにか自分にできたことはなかったのだろうかと悩んだりもしたが、その悩みは日々の忙しさの中で消えていった。
友人の失踪で、それまで私が想像もしなかった「失踪」というものが、想像の枠内に入ってきたことは間違いない。


友人の失踪から少しして、私はチェーン店の店長から本部へと転勤になった。特に望んでいたわけではない。
それまでデスクワークなどほとんどやったことがなかったのだけれど、突然毎日PCの前に張り付く生活になった。前任者との引き継ぎ期間は二日間。
それまで店で積んできた経験やノウハウは、まったく役に立たなかった。新しい仕事を一から覚えていかねばならないのだけれど、私の立場は見習いとかではなく、いくつかの部門の数値責任をいきなり持たされる所に据えられた。全社から問い合わせやクレームの電話がかかってきた。毎日が嫌で嫌で仕方なかった。


ある時、同僚の先輩が出張するのでお前、会議でプレゼンしろ、と言われた。会議は来週。いきなり振られた格好だが、資料やレジュメやメモ等の支援はその先輩からも上司からも一切なかった。
さらには、まだ素人同然である私の担当部門が拡大することが決まっていた。
何日か過ぎた。
嫌で嫌で仕方なかった。
何故自分がこんなにも嫌なことに耐えなければいけないのか、とうとう理解できなくなった。
どうすれば嫌なことから逃げられるのか、何にも考えつかなかった。頭の中が「嫌」で埋め尽くされていた。
車で出勤していたのだけれど、車にジーンズを一着だけ持ち込んだ。
いつも曲がるのとは違う方向にハンドルを切った。


空は綺麗な秋晴れだった。ドライブは実に気持ち良かった。
今みたいな高機能ではない携帯電話を持っていたのだが、その電話が何度も鳴った。逃げ出した日の昼過ぎに、嫌になって携帯の電源を落とした。追いかけてくるな、この野郎。
この先どうしようとか、一切考えていなかった。ただただ車を走らせた。嫌なことが突然消えうせた。爽快だった。
新潟から福島を横断し太平洋側に出て(高速は使わなかった気がする)、南下し茨城を抜け、東京で道に迷いながら神奈川に入り、国道一号線に乗っかって静岡に入った。夜はコンビニの駐車場で車中泊した。
3日目の夜に、携帯の電源を入れなおしてみた。
何件も留守電が入っていた。会社からの伝言は最後まで聞かずに飛ばした。
母親から何件も留守電が入っており、「お願いだから死ぬな」と言っていた。
死ぬ気はなかったのだけれど、それを聞いて家に戻ることに決めた。私は結局、4日ほどで家に戻った。確か、帰りは高速を使った気がする。


会社は辞めるつもりだったのだが、慰留されて店舗勤務に戻った。
色んな人に諭された。私はその人たちの言うとおりに、周囲にきちんとSOSをだせばこんなことにはならなかったのだ、と思った。
数年後、私は周囲にSOSを発した。
何一つ改善しなかった。
職場で頻繁にキリキリとした腹痛に襲われるようになった。
病院に行った。生まれて初めて胃カメラを飲むことになった。上司にも一応その旨を報告した。
幸い胃潰瘍などではなく、過敏性腸症候群だとのことだった。今はかなり良くなった。腹痛も年に数回で、一日に何度も腹を押さえてうずくまるようなことはなくなった。
上司の上司からは、胃カメラを飲んで数日後に「大丈夫だったか?」と電話があった。
直接の上司からはしばらく連絡がなかった。数週間後、別件で電話があり、電話を切る前に「そういえば胃カメラ飲んだんだっけ? 大丈夫だったの?」と聞かれた。
私は大丈夫だと答え、会社を辞めることを決めた。
それ以来、「会社」を愛したりしないように気をつけている。