万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

「こっちへお入り」で貴様の涙腺など破壊してくれるわ

最近落語に夢中になりつつありまして。
平安寿子の「こっちへお入り」を購入したのも、寄席の帰りに本屋に寄ったら目に入ったからです。落語ミステリは買ったことも読んだこともありましたけれど、33歳の独身OLが主役の落語を題材にした小説となりますと、落語に興味を持つ前の私だったら購入したかどうか。


帯には「落語は、不器用なオトナのための指南書だ!」とか書いてありまして、あらすじにも同じようなことが書いてあります。まるで落語が人生のためになる、そんなことがこの小説に書いてあるかのようではありませんか。
看板に偽りありです。そんなん嘘っぱちです。


この小説に書いてあるのは「人生は落語のためになる」ということなんですよ。


人生経験を積むことが落語を楽しむうえで助けになる。真の主役は落語なんです。
なんてすばらしい。

以下、感想を書いていきますが、若干のネタバレを含んでしまいますのでご注意ください。




主人公の独身OL江利、落語はたまにテレビで見かける程度だったんですが、友人に頼まれて見に行った素人落語から、落語に興味を持つようになりました。地方都市(たぶんね)における無料のセミナーで落語教室をやっていて、友人がそこの受講生だったんですな。で、お披露目会を見に来いと頼まれたわけです。江利を含めて観客6人。対して演者は7人。わははは。
で、無料だし友人も参加しているしというので、江利もその落語教室に参加するようになるんですが、最初に興味を持つのは「寿限無」「金明竹」といった前座噺。なんというか、ストーリー自体が面白いといわれる噺ですね(それゆえ、難易度は低い、といったことになっております。でもねえ、うまい人の演じる前座噺って、もうたまらなく面白いんですよ?)。
言い換えると、「寿限無って、長くて変な名前でおもしろーい」という、本当にわかりやすいところから入っていったんですね。
そこから、江利はどんどんと落語を聞いていくようになります。で、はまっていくわけです
例えば有名な人情噺「文七元結」は、あんな自分勝手な野郎が主人公なのに、なんで人情噺として評価が高いのか納得できず、最初はプンスカ怒っているわけですわ。
それが、自分の身の回りに起きた出来事がきっかけになって、演者がどんな感情を込めて文七元結を演じているか、演者が何を表現し、観客がそこに何を見出すのか、自分なりに理解していくわけですね。「人生が落語のためになる」と書いた所以です(余談ですが、ここで志ん朝小三治の聞き比べをするシーンは圧巻です。あたしゃまずここで涙腺に来ました)。
そして、今まで心中に描いてきた与太郎のイメージを権太郎の「佃祭」でひっくり返されたりしながら、いよいよクライマックス。初めての高座と並行しての「芝浜」の聞き比べに入ります。

でね、ここで出てくるのが志ん朝小三治、そして柳家さん喬ですよ、あーた!
また間の悪いことに(?)、私、さん喬の「芝浜」持ってるんだよ!

ただでさえ泣いてしまった実績のある話を主人公の解説付きで脳内再生したら、そんなんまた泣いちゃうに決まってるじゃないか。ずるいよずるいよ*1
さん喬の「芝浜」がなぜに胸に迫るのか。名人と呼ばれる他の演者と、どういった点で違っているのか、実に鮮やかに言語化してくれるのです。もうねぇ、すごいよ。変な言い方だけど、読むだけで泣けてくるよ。実際の噺を聞いていないのに。
で、運の悪いことに実際の話をCDで聞いたことがある私なんか、もう電車の中で鼻すすっちゃってるわけですよ。しっかりしろ、35歳。
というわけでもう、これはオススメですよ。是非さん喬とセットでどうぞ。
貴様の涙腺など、赤子の手をひねるがごとく破壊してくれるわ。


余談ですが、嬉しかったのが初めてのお披露目会の場面。主人公自身の噺は無我夢中の内に終わってしまうのですが、落語教室の他の面々が何を披露するか、これもまたなんとも読ませるところでして。
桂枝雀版の「代書」が大きな鍵を握っているのが、なんともうれしかったりします。
彼女がなぜ「代書」を演じるのかを読んできた上で、生き生きと「代書」を演じている様子が脳裏に浮かんで……飛び切りに笑える噺なのに、やっぱり涙ぐんじゃうんだよなぁ。



これまた余談ですが、不思議なことにね、主人公たち、一度も寄席やホール落語に足を運ぶシーンがないんですよ。落語のソースはすべてCD・DVDと落語教室の先生が達者に演じる姿のみ。
で、あとがきを読んだら作者も地方出身で、落語教室講師のモデルとなった人物も広島で実際に落語教室の講師を勤めている方だそうで。なるほど。
私もたまたま運よく大阪に住んでいるので寄席に足を運ぶことができ、落語に夢中になるのを加速されたりしてしまっているのですが、地方ならそうはいきません。私も新潟出身で、社会人になってからも東北に何年かいましたので、それはよくわかる。本当、たまたまなんですよ、今、寄席のある土地に住んでいるのは。
そしてやはりCDやDVDやテレビにソースを頼ると、落語は東京中心のラインナップになります。もちろん、東京の落語が悪いなんて言うつもりは毛頭ない。でも、上方落語だって、すごいんですよ? 私が夢中になるくらいなんだから。
というわけで、地方在住が故の格差と東京偏重を少し考えてしまいました。

*1:おかみさんの悲しいまでの必死な感情が、胸に迫ってくるんですよねぇ……