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万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

川島よしお「おちけん」を再読した/ついでに西炯子の「兄さんと僕」を批判します

コミック 落語

つーわけで、さほど落語に興味を持っていなかった頃に読んで感動した川島よしおの傑作4コマ「おちけん」。今読んだらどんな感じだろうなと、再読してみました。


大学の廃部寸前の落研(部員は女子大生3名。で、大学名が「立川大学」ってのも、当時はさほど印象に残らなかった遊び心の部分で)が、学生落語の選手権に向けて頑張っていく話、なんですが。
構成がやっぱり、すごくいいですよね。最初は軽快な滑稽噺で読者を落語の世界に案内していき、薀蓄を挟みながら少しずつ奥へと誘っていき、クライマックスで「子別れ(通し)」という大ネタへ読者を誘導していく。


私は子別れの通しっていうと、小三治さんのしか聞いたことがないので、これも小三治さんのが元になっているのかなとか思うんですが、違うかもしれない。ご存知の方はご教示いただければ幸いです。「子別れ」は大きく上中下に分かれるんですが、私、いつも「中」の終盤で涙ぐんじゃうんだよなぁ……

先日、西炯子の「兄さんと僕」という、やはり落語を題材にしたコミックを読みました。こちらは、私、これっぽっちも楽しめなかったのですが、こちらはそういった心意気みたいなものが皆無と言いますか。「私の好きな落語ってのは、こんなにすごいんだぞ!」というのがまるでなかったですね。
ところどころ、初心者の私でも首をかしげてしまうような用語の使い方があったりして、それも作品を楽しむ上で大いに障害になったのですが、まあ、それは気が向いたら挙げていくとして。
「兄さんと僕」、最終章では、主人公は師匠の人情噺に感動して、銀行員を辞めて弟子入りすることを決心したと書かれているんですが。


一体、何を聞いたんだよ?


人情噺、泣かせる噺ったって色々あるわけで、一体どの噺を聞いて、その噺のどんなところに心を打たれて、銀行員を辞めるなんて言う大きな決断をしたんだよ? と、いうところが、全く説得力がないんです。ただ「人情話を聞いて感動しましたよ」と書いてあるだけといってもいいくらいで。
そこへ行くと「おちけん」のなんとすごいことか。この本のクライマックスの何がすごいかというと、落研部員の加藤が、子別れの通しからどのような衝撃を受けたか、どのような理由でコンクールで演じる演目に子別れ(下)を選んだのか、演じる上でどのような障害にぶち当たり、どのようにそれを乗り越えていったか、実際にどのように演じたか、それらの描写を、子別れの粗筋紹介と並行して進めていき、粗筋のクライマックスと現実のドラマがラストシーンに向けて収束していく、その部分にあるのです。もう、相手にならない。
「兄さんと僕」は巻末の対談部分を除くと146ページ、1話あたり8ページと、正直、読んでいると慌ただしく感じてしまうところもあったりしまして、じゃあそれが掘り下げ不足の原因なのかなと擁護しようとか思わないでもなかったんですが、じゃあ「おちけん」はというと、巻末の演目解説を除くと127ページ、1話あたり4〜5ページ。これだけコンパクトに、落語が人を魅了する力を表現してしまうんだから、落語を扱った作品という視点から評価すると、両者はもう格が違います。
マンガ家としての西炯子の能力を疑っているわけではありません。私は熱心な読者ではないけれど「ちはるさんの娘」は面白いと思ったし、「娚の一生」で評判だった作者だから、それなりに期待して読んだんですよ? それだけにがっかりでね。


ああ、もうついでだから、「兄さんと僕」で引っかかった表現をねちねちと挙げていきます。
まず第一話の冒頭。

これは ある落語家んとこに弟子入りした ある間抜けのお話
この男 中村正直(25)が弟子入りした先は
大名人 三々遊亭 小正月
孫の 小いぬ

これだけ読むと、「ああ、中村君は三々遊亭小いぬさんのところに弟子入りしたんだな」と思うじゃないですか。
でも次の頁でいきなりこんなことが書いてあるんです。

“小いぬ”の弟弟子ということで 芸名“わん小”

????
中村君にとって小いぬさんは師匠なのか兄弟子なのか、どっちやねんな?
おまけに、第1話の終盤で小いぬさんがわん小こと中村君に言うセリフが

弟弟子のくせによけたなあっ
おまえなんか破門だ破門!

えっ?
師匠が弟子を破門にするのは聞いたことがあるけれど、兄弟子が弟弟子を破門だなんて聞いたことがない。ていうか兄が弟に対して親子の縁を切るようなものでしょ? そんな無茶な。


第2話の冒頭でも同じような表現がなされます。

これは ある落語家んとこに弟子入りした ある間抜けのお話
この男 中村正直(25)が弟子入りした先は
大名人 三々遊亭 小正月
孫の 小いぬ(11)

結局師匠なのか兄弟子なのか、どっちなの?


この表現、第3話に入ってようやく修正されます。

落語の大名人 三々遊亭 小正月門下に弟子入りした 三々遊亭 わん小(25)の一日は忙しい

ああ、じゃあやっぱり小いぬさんは兄弟子だったのね……
……ていうかさ、よくわからないけど、こんなん、単行本化の際に編集さんなりなんなりが修正するレベルの話だし、また修正すれば済むレベルだと思うのだけれど、なんで放置されたのかね……

かと思ったら、また81Pで小いぬさんがわん小さんのことを

こんなバカだけどおれの弟子なんだよう

とか言ってる。もうしっちゃかめっちゃかですな。

他にもね、32ページで小いぬさんがクラスメートに「兄弟子」「弟弟子」という概念について説明する際に

えっとお…
弟弟子っていうのはあ…
えーっと つまり…
俺が先に大師匠に弟子入りしたんで……


えっ?
大師匠
普通、大師匠ってのは師匠のそのまた師匠のことを指すと思うのだけれど……ああ、次の頁でわん小さんも自分の師匠捕まえて大師匠って言っちゃってるし。
この他にも何回か、師匠のことを大師匠って呼んでますわ*1。これはもう「大師匠」はニックネームだとしか考えられない。


101Pで、落語の粗筋を説明する際に「怪談『そば清』」って書いてありまして。
間違いではないのかもしれないけれど、「怪物くん」や「おばけのQ太郎」をホラーとして紹介しているような感があり……「そば清」って、実に楽しい、笑える噺なんですが……


あと、美人女子大生が弟子入りに来たというので内弟子たちが舞い上がってしまう第十一話。
新しく入ってきた弟子に、一つ上の兄弟子(未だ前座)が噺の稽古をつけるって、よくある光景なのかしら?
師匠もいるし、真打の兄弟子も、真打なのになぜか未だに住み込んでるのに。
というか、86Pのこのセリフを見る限り、どうも稽古は一つ上の兄弟子につけてもらうものだ、というよくわからない基本ルールが発動されているように思えるんだけども……

「美晴さんはおれらが噺を教えるから」
「あ けいこはあたしがつけますんで」
「何イ!? おめえのへっぽこ落語をか!?」
「あたしの落語がへっぽこなのは教えた小いぬ兄さんがへっぽこだからで
小いぬ兄さんがへっぽこなのは 小いぬ兄さんを教えた兄さん方がへっぽこだからじゃ?」

師匠の立場ねえな、おい……



とまあ、これだけ引っかかれば、素直に楽しめって言われたって、こっちが困っちゃうわけですよ。



あと、これは私が無知なだけだろうと思うので誰かに教えていただきたいのだけれど、落語を稽古したり演じたりしている場面で「待て! それは俺の五十両だ!」というセリフが複数回(21P、37P、98P)出てくるんだけれど、これ、何の噺でしょう? 考えたり調べたりしてみたけど、初心者の私にはわからなかった。

*1:78P、108P、109P、111P、113P、115P、122P