万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

「おおかみこどもの雨と雪」見ちゃった/とてもよく出来た人情話/ほぼ日P「家族パズル」と古典落語「天神山」/普遍性と現代性

「おおかみこどもの雨と雪」見ちゃった。公開初日に。
よかったわーー。もう涙目ですよ。客席からはすすり泣き聞こえてたし。
綺麗だったし(もう、一番最初のシーン、花のアップからしてただ事じゃないですよ)、躍動感あったし。
とてもよくできた人情話であります。



この人情話という表現、もちろん、私が最近落語に凝っているというのもあるのだけれど、というか、それがこういった表現をする理由の95%を占めるのだけれど、他にも理由があって。
見終わった直後、興奮冷めやらぬ中twitterやらwebやら覗いてみたら、この作品のストーリーが「地味」である、という指摘をちょくちょく見たのね。
まあ、地味です。
で、落語の人情話って、どれも基本的に「地味」なのな、考えてみると。
いや、落語に限らないか。泣ける映画って、案外地味よね。
これが歌舞伎や文楽となるとまた違うのだろうけど。
アニメという文脈を離れれば、「地味で泣ける人情話」って、いたってメジャー。


おまけに男女の情に親子の情を細やかに描いて、もうドキドキハラハラ、涙腺ボロボロですよ。
やはり男女の情や親子の情というのは鉄板というか、いつの時代も変わらぬ普遍的な王道だねー!


とでも言うと思ったか?
冗談じゃない。極めて現代的な作品です。
本作を貫く糸の一つは間違いなく「コミュニティ」の在り方、そして「コミュニティ」に対するあり方について。
コミュニティに属するという事、それを抜けるという事、また、自分が属するコミュニティーを主体的に選ぶという事、はたまたそれに巻き込まれるという事、そしてコミュニティから送り出すという事。
もうコミュニティーの決算セールなわけですが、これについてはおそらくこの曲を聴いてもらった方が話が早い。

D

きれいなほぼ日Pの底力を見よ、と言った感じで。
もちろん、男女の情、親子の情が普遍性を持つテーマであることは間違いないと思うのだけれど、その捉え方に現代的な視点があるわけで。
実はこれ、私が落語会に行く度に目撃していることでもあります。
そうさね、一例を申し上げると、「おおかみこどもの雨と雪」から連想する落語の演目は何かというと、「天神山」なんだけれど、まあ、粗筋はこちらからどうぞ。
というのもちょっと不親切なんで少しだけ書きますと、この「天神山」は、「胴乱の安兵衛」という男の下に命を助けた狐が女性に化けて嫁入りし、子供をもうけるが周囲に狐であることがばれてしまい山に戻る、という話なんですな。
リンク先にあるのは四天王と言われた一人、先代五代目桂文枝のサゲ。リンク先から引用しますと

 筆を持ちまして障子へさらさらっと書きます。
  「恋しくば訪ね来てみよ、南なる天神山の森の中まで」

 芝居でやりますと蘆屋道満大内鑑(あしやどぉまんおぉうちかがみ)「葛の
葉の子別れ」えぇ芝居でございますが、噺の方はそぉいぅわけにいきまへん。

 『貸家道楽大裏長屋、愚図の嬶の子ぉ放ったらかし』といぅ「天神山」と
いぅお笑いでした。

これを変え、幻想味を加えてより後味をよくしたのが桂枝雀のサゲ

「恋しくば尋ね来てみよ南なる 天神山の森の中まで」
ある春の日のお話でございます。


この型も一門を超えて広がっているんですが、今年の春に聞いた桂米二さんの高座では、そこにほんの少し付け加わっていました(音源があるわけではないので記憶頼りになりますが…)。

「恋しくば尋ね来てみよ南なる 天神山の森の中まで」
安兵衛、必死になって後を追いかけます。
ある春の日のお話でございます。

おわかりでしょうか。残された者への目線が付け加わっているんです。


「おおかみこどもの雨と雪」は、「天神山」で言うならば残されたものの物語。
古典的なテーマを扱いながら、そこに鮮やかに現代的なリファインを加えた、人情話の傑作です。