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万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

【ネタバレ注意】「おおかみこどもの雨と雪」を見て感じた、面白そうないくつかの疑問点

昨日に引き続き「おおかみこどもの雨と雪」見てきました。
よく出来た人情話の傑作であるというところは変わらないんですが、いくつか、考えてみたら面白そうな疑問点も出てきたのでメモ替りに書いておこうかと。
若干のネタバレも含んでしまうかと思いますので、まだ見ていないという方は注意してくださいね。










ではいきます。

なぜケータイ、テレビ、ネットが一切出てこないのか

なぜでてこないのでしょう。大学図書館入り口がハイテクだったことや、おおかみおとこの生年月日から言っても、これらは既に社会に浸透しているはずです。
田舎に引っ越した後だったら、ケータイやテレビの電波も良く入らないほどの山間地だから、という理由づけが一応成り立ちはしますが、一方で、あれだけ勉強熱心な花がネットで情報収集をしようとしないというのも、不自然ではあるのです。コミュニティというテーマが非常に重要視されているのに、情報収集の手段であるのみならずコミュニケーションの手段でもあるテクノロジーが排除されているのはどのような意図があるのでしょうか。
で、ですね、よくよく考えてみたら、農作業の描写、すべて手作業なんですよ。手押しタイプの耕耘機や田植え機くらい出て来たっていいのに。田植えも地起こしも全部手作業。まあ、私は農村部出身とはいっても山間地ではなかったですから実際を知らないだけなのかもしれませんが。
もしかして、手作業、対面でのコミュニケーションへのこだわりが故に、象徴的なテクノロジーを排除しているのでしょうか。

なぜ都会での他者からのコミットはうまくいかず、田舎での他者からのコミットはうまくいったのか

東京で暮らしているときの描写でも、雨に打たれている花に傘を差しだす見ず知らずのサラリーマンや、デートに急ぐ花に手を振るバイト先の同僚、また、一見画一的に見えるマンションやアパートの部屋それぞれに実に様々な生活があることへの言及、児童相談所による直接的な働きかけなど、他者からの働き掛けは案外存在するのです。にもかかわらず、パンパンに詰まった郵便受けに象徴されるように、社会生活に支障をきたすまでに孤立を深めてしまった。
ところが田舎に行ってからの他者からの働き掛けはうまくいった。その差異はなんなのでしょうか。
田舎に対する幻想を理由に挙げるのは簡単なんですが、それでは面白くありません。
ひょっとして、コミットメントの質的な違いでしょうか。田舎でのコミットメントは、「まずは自分でやってみた事」に対する補助として描写されていることに注目するべきなのかもしれません。だとしたら、舞台を田舎にしてしまったのは観客のカタルシス的には成功でも、テーマを深めるという意味では失敗なのかも。都市と田舎という差異に目が奪われてしまいますから。
或いは、年代的なものに注目すべきなのかもしれません。今作品においては、「母親に対するコミットメント」と「子どもに対するコミットメント」という、2つのフェイズがあります。そして、後者は必ずしも理想的な形だとは言い難い。雪の「早く大人になりたい」というセリフや、雨の取った選択はそれを暗示しているとみることも可能です。
あと、花は雪にもうちょっとかまってあげてもいいと思う。うん。ワンピースとか、車内で頭を抱くシーンとかはあるけれども。もうちょっと。

なんで雪は「早く大人になりたい」なんていったのか

これも疑問に思ったのだけれど、もしかしたら上に書いたようなことなのかしら。
そして、この物語が「すでに家を出た後の」雪が語り手であるというのも、重要なのかも。


で、だね。

草平の母ちゃんは、子供を迎えにも来ないでなにしとったん?

ほんま、なにしとったん?


あと、今作、映像はリアルだけれど、登場人物がやっていることは必ずしもリアルではないな、とも思いました(それが悪いことだとは決して思いませんが)。リアリズムが売りじゃないのね。
例えば、パジャマにコート羽織ってマフラーしただけで雪の中を長いこと転げまわったら、酷いことになります(もちろん、これは敢えてやっているんだと思います。あの場面では言ってみれば花も「狼」ですので。そしてその直後に人間と狼の違いを明確に意識させるシーンが来るんですが)。

また見直さないとなぁ。