万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

笑福亭松喬師匠が亡くなられたので

笑福亭松喬師匠が7月30日に亡くなられた。享年62歳だそうだ。
私など、意識的に落語を好んで聞きはじめたのがつい2年ほど前からという初心者であるので、昔から見ている方たちと比べると大した思い出などあるはずもないのだけれど、twitterのログを頼りに今まで見た高座を思い出してみる。


初めて見たのは2011年2月22日の繁昌亭昼席。
繁昌亭に行くこと自体がまだ数回目、という時期だ。というか、初めて繁昌亭に行って初めて生の落語を聞いたのが1月11日のことだから、落語を聞き始めたばかりの時期である。
演目は「お文さん」だったと思う。正直「おもしろかったー!」という漠然とした印象しか残っていないという小学生並みなテイタラクだけれど。
この「お文さん」が、松喬さんくらいしか演じ手がいない、ある意味松喬さんならではのネタであるという事を知るのは、まだずっと先の事。



なぜかtwitterに書いていないようなんだけれど、次に聞いたのが4月22日の繁昌亭夜席、東西三人会。
生喬…道具屋、三喬…短命、小里ん…一人酒盛り、中入、松喬…天王寺詣り、志ん橋…鰻の幇間、という番組。
今見ると、初心者にとってはちょっとハードル高めのラインナップかな? 今見るときっとまた別の感想を抱くと思うのだけれど、天王寺詣りしか覚えていない。



その次に聞いたのは同年5月13日の繁昌亭昼席。
この時は鶴瓶さんが飛び入りで高座に上がったためみんな短く切り上げていたようで、松喬さんは「道具屋」。今考えると鶴瓶さんがちょっぴりうらめしい。
鶴瓶さんは「錦木検校」。この日の@「錦木検校」はまるで喬太郎さんのコピーみたいで、正直不満だったのだけれど、数か月後にやはり聞く機会があり、その時には見事にブラッシュアップされていて「数か月でこんなにも進化するものなのか!」と感動した覚えがある。



次に聞いたのが6月23日。繁昌亭夜席の松喬一門会。トリで「ざこ八」。
だもんで、私の中では「ざこ八」というと松喬さんのそれが基準となっているところがある。
会場で直接販売されていた著書の「おやっさん 師匠松鶴と私」を購入。今確認したら、会場での販売用という事であろう、筆か筆ペンで、サインが入れてある。記念品になってしまった。



8月17日、寝坊し、動楽亭昼席に行き損ねる。開演時間ギリギリくらいで到着したのだが「満席」の張り紙。松喬、春蝶、米團治という、そりゃ満席になるわな、という豪華な日であった。自業自得。



12月7日、松喬ひとり舞台ファイナル2日目。
毎年「松喬ひとり舞台」と題して行われていた独演会を今年で最後にするという事で、なんと6日間連続の独演会。笑福亭総動員と言う感じの豪華な出演陣。パンフレットがとても豪華なつくりだったのだが、転勤に伴う引っ越しの時に紛失してしまった。今考えても実にもったいない。
この日、右喬さんに初遭遇。うお。
この日は、右喬…看板の一、岐代松…ん廻し、松喬…天王寺詣り、鶴光…荒大名の茶の湯~踊り(奴さん)、中入、対談(三喬・右喬)、松喬…三十石、という番組。



12月9日、松喬ひとり舞台ファイナル4日目。
この日は、生喬…つる、竹林…堪忍袋、松喬…首提灯、松枝…寝床、中入、対談(三喬、生喬)、松喬…帯久、といった番組。ね? 豪華でしょう?
帯久、10年前と10年後の対比の鮮やかさに感動。衝動的に会場で「帯久」が収録されたCDを購入。聞いてみたところ、やはり対比の鮮やかさはこの日の方が上に思われたけれど、これは演出のせいか、それとも生で見たからそう思ったのか。



12月16日、第5回さん喬・松喬二人会。
右喬…米揚げ笊、さん喬…徳ちゃん、松喬…佐々木裁き、中入、松喬…借金撃退法、さん喬…芝浜、という番組。
盟友なのかライバルなのか、お互いにつぶし合いしながらお互いにケロリとしているという、なんかすごい会。
さん喬さんが一席目のマクラで子供が葬式ごっこする小咄をしたんだけど、それって続く「佐々木裁き」の導入部そのままだし、中入後の「借金撃退法」って「掛取り」の別バージョンなんだけれど、さん喬さんの「芝浜」では年末の借金取りと言うのが実に大きなポイントだし。でも二人ともがっちりお客さんをつかんでいるという、仲が良いのやら悪いのやら(笑)。ある意味、勝負してらっしゃるのだろうね。



12月22日、松喬さんが肝臓がんを公表。



2012年4月28日。松喬試運転の会。
この会で松喬さんが高座に復帰。
前売りなし当日のみだったもので数十人の行列が出来ていたことを覚えている。
遊喬…相撲場風景、風喬…堪忍袋、右喬…手紙無筆、生喬…隣の桜、中入、松喬…崇徳院、という番組。
この日の高座はたっぷり1時間くらい、と記憶していたのだが、当日のログには「1時間半近く」と書いてあった。松喬さんのブログを確認したら1時間20分とのこと。高座へ上がった時に中々拍手が鳴りやまず、目頭を抑えられていた。その後、話し出したら止まらない感じで一気に1時間20分。
痩せられてはいたが、これ以上ないくらいエネルギッシュだった。



8月17日、動楽亭昼席。
そうば…鉄砲勇助、ひろば…兵庫船、三ノ助…夢八、塩鯛…くっしゃみ講釈、中入、文昇…紀州、松喬…お座参り、ざこば…文七元結
この日、トリの松喬さんの後に、独演会に向けて稽古したいとのことでざこばさん登場で「文七元結」。後に演じられたものと比べると全然な出来で、ご本人も納得いかず首をかしげておられた。苦悩するざこばさんという、レアな姿を見る。
話は戻り松喬さん、「口に出してやるのは始めて」と前置きしてから「お座詣り」。「お文さん」と同様に仏教にまつわるネタで、絶えていたもの。肝臓がん公表後にネタ下ろしされた貴重なネタ三つのうちの一つ(あとの二つは「網舟」「住吉詣り」)。この日が本当にネタ下ろしだったのか、それともリップサービスだったのかはわからないけれど、貴重なものを聞いたことには違いない。内容的には東京の「風呂敷」に酷似。



8月31日、繁昌亭夜席。「福笑・松喬・松枝三人会~仲の悪い兄弟会」。
福笑・松喬・松枝三人会。松五…松竹梅、福笑…渚にて、中入、松喬…お座参り、松枝…一人酒盛。
福笑さん、マクラで「来年は追悼興行になるかもしれんしな!」と毒舌のエール。中入後の松喬さん「来年は福笑追悼興行の予定で」と応戦。
今年の8月30日にも予定されていた三人会。今、繁昌亭のサイトを確認したところ「松喬をしのぶ会」と題され、開口一番に風喬さん、代演でトリに三喬さんが入られている。今年は残念ながら聞きに行けない。



9月20日笑福亭松喬ひとり舞台ファイナルDVDBOX購入。
松喬さんの高座をたっぷり12席収録。
しかし、ゲストの高座や三喬さんがホストを務めた対談はは収録されていないので、6日間全部通ったという方は、人生の勝ち組である。妬ましい。



9月22日、繁昌亭昼席。
呂好…狸賽、喬若…野ざらし、うさぎ…犬の目、玉之助(太神楽)、わかば…片棒、三喬…蛇含草、中入、生喬…長短、團四郎…温泉宿、喜味家たまご(女道楽)、松喬…へっつい幽霊。
へっつい幽霊は件のDVDBOXにも収録されている演目。ただ、DVDの頃と比べると痩せられているので、より幽霊がそれっぽかった。我ながらのんきなことを考えていたものだ。



以降、ライブ繁昌亭でお姿は見ていたものの、生の高座を聞く機会は無かった。まだまだ聞けると思っていたので。


1月23日配信のライブ繁昌亭、トリの松喬さん、見台がでていないトラブル。「もう一度出直しますんで」の一言とともに出囃子が再度流れ、思わぬハプニングにお客さん大喜び。結局、立たずにその場に座ったまま、お茶子さんが謝りながら見台をセッティング。
再開後の
「(お茶子さんが)ブスやったらもっと怒るんやけどね」
の一言に、またお客さん大喜び。



立つのがしんどかったんだろうなと、これは今だから思うことで。



5月4日配信のライブ繁昌亭。GW興行。この日はみんな時間短めで松喬さんはトリで松鶴師匠の思い出のあと、師匠が「あ、流してるな」という時によくかけていたネタと前置きして「手紙無筆」。
確かに大きなネタではないのかも。でも笑福亭の得意ネタとして知られているし、これがまた面白い。



おそらく、ライブ繁昌亭で松喬さんの高座が配信されたのは、これが最後。




7月21日、NHK「日本の話芸」で、松喬さんの「網舟」全国放送。演じられたのは同年6月6日。
もちろん録画してある。
途中まで見た。まだ最後まで見れていない。
以前、繁昌亭昼席でも網舟を演じられたことがある。その時にライブ繁昌亭でも配信された。
日本の話芸」のそれよりも、ずっとずっと力強い高座だった。だから、「網舟」はNHKで放送されたよりも、もっともっと面白い噺だ、と言いたい。



7月31日の午前2時かそのくらい。サービス残業中にちょっと一息と思いtwitterを覗き、松喬さんが亡くなられたことを知る。
8月1日、お通夜。
8月2日、告別式。
2日、笑福亭竹林さんのtweetで霊柩車が繁昌亭に立ち寄る予定時間を知り、繁昌亭へ出かけた。ついたら丁度霊柩車が出発するところで、松枝さんが「ありがとう!」とマイクで叫んでらっしゃった。少し涙ぐんでらっしゃるように聞こえたが、なにせ遠くだったもので表情はわからない。
去っていく車に手を合わせて、お見送りをし、天満宮の喫煙所でタバコを二本ほど吸って、帰宅。



今のところ、松喬さんにまつわる思い出と言うか記憶と言うか、そういったものはこの程度である。
おしまい。