ぼーっと、地域地域におけるこまかな差について考えていた。
なんでそんなこと考えたかというと陸這記さんでここんとこ展開されている郊外論を読んで面白いと思ったからなのだけれど、なにせ私であるからそんな大したことを考えているわけでもない。
いや、陸這記さんでは地方が大都市圏の郊外となりつつあって、さらには東京そのものも郊外と化しつつあって、つまりは日本の風景ってのが均質化しつつあるって感じなんだけども。なるほどなるほど。
で、町の中心部から脱出してきた中産階級たちによって構成されるユートピア的な郊外(サバービア)と、中産階級は中心部に留まり、その外部に構成されるディストピア的な郊外(バンリュー)ってのがあって、日本の「郊外」ってのもバンリューとして論じていく姿勢が必要かも、ってな感じ。関係ないけれども、90年代HIPHOPの大物であるEPMDが言うところの“BOONDOX”ってのは、ディストピア化したサバービアといった解釈したらあってるのかな? 「HIPHOP BEATS」という本ではBOONDOXを「ド田舎」と訳していたように記憶しているんだけれども、昔から「ド田舎」ってのはちょっと違う気がしていたんで。
で、日本の風景が均質化しているといえば確かに均質化しているんだと思うんだけれども、じゃあ地域差はなくなりつつあるかというと確かに無くなりつつあるんだと思うんだけれども、無くなってしまうのかというとそうなりはしないような気がする。解消しようが無い地勢的な違いや気象的な違いもあるし、当たり前だけど。
でも頭の中に浮かんでくるのが、実に些細なくだらないレベルでの地域差ばかりだというのがなんとも情けないところで(笑)。
例えばそれは、「灯油を入れるポリ缶の色といったら赤か青か?」といったものやら、「おでんにミソを付属するべきか否か?」やら「延々と水田が続く風景ってのは郊外の典型であるか否か」であったり「良く利用しているコンビニといったらどこを思い浮かべるか」だとか「関西・関東と北陸・東北におけるローカル番組の圧倒的なまでのクオリティの違い」であったり「関西人はスノーダンプを知らないことへのカルチャーショック」だったり「何で四国はガソリンこんなに高いんだよ」って愚痴であったり「低所得者層向けボロボロの長屋ってのは日本全国どこに行ってもあるもんじゃないの? ってえか俺の実家は長屋だ文句あるか」であったり、うっわー、どうでもいいわー。
どうでも良くはあるんだけれども、これ、言い換えるとライフスタイルの違いが些細な面にも現れているってことなのかなと思い直し、自分を慰めるわけですが。
もうちょっと考えると、車で郊外の大型SCに赴きいろいろ買い物して、帰りにコンビニにでもよってとか、一見画一化されつつある(そして確かにある部分は画一化している)風景ってのも、その中身を見てみると実はかなり地域によって違っているのではないかななんてな。
地域によって売れる商品・売れない商品ってのが確実に存在するし、極端な話、ジャスコへいこうと思ってもジャスコへ通じる道に雪が積もっているのか積もっていないのかといったことでも、そこの住民のライフスタイルはえっれえ影響を受けるわけで。行動範囲が狭まっちゃうしな。
で、方言も「おじいちゃんおばあちゃんの言ってることが理解できない現象」はあるとはいえ、まだまだ健在だしなあ。
なんかね、最初は「やっぱり風景の均質化は問題だろうなあ」なんてぼんやり思っていたんだけれども、なんか「……変化しているだけで問題じゃないかもしれないなあ」とか思い直しつつある自分がいたりするわけです。一見均質化しているだけなのかもしれないというか。
危険な物言いをすると、風景が均質化されてしまった程度でそこの住人まで均質化されてしまったりした日にゃあ、その住民の方が問題だろうなあ、なんてな(笑)。