万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

涼宮ハルヒをようやく読んだ

話題の涼宮ハルヒを発作的に全巻読破してみた。いや、以前から部屋に積んではあったんだけれどね。面白かったですよ。特に「涼宮ハルヒの憂鬱」と「涼宮ハルヒの消失」が好み。長門さん、かわいいのぅ。


スタイルとしては非常にオーソドックスな気もする。端から見ていると非常に楽しそうな、非日常的な日常を過ごしている登場人物たちを「楽しいなあ」とか「羨ましいなあ」とか思いながら読むわけだ(少なくとも私の場合は)。そういった「日常化した非日常」的な作品で、個人的な金字塔はというと「うる星やつら」であったり「究極超人あ〜る」であったりするんだけれども、作品の質や読者の多さなんかを考えると、このシリーズも同じような影響を読者に与えるんだろうなあ。決して存在しないユートピアのような。



先に挙げた「うる星」や「あ〜る」と違う点は何かというと、「この非日常的な日常は非常に壊れやすい、移ろいやすいものだ」という視点が導入されていることかもしれない。願望充足的な物語に「危うさ」を効果的に導入したと言い換えることも出来るだろう。現代的といえば現代的な気もする。もしかしたら911以降のユートピア文学なのかもしれないぞ?(笑)
作品内では、ヒロインの涼宮ハルヒが、自覚はしていないんだけれども世界を自らの望むように変えてしまう能力を備えてしまっていて(歴史からなにから、すっかり変えてしまえるんだぞ)、それにクラスメートのキョンが巻き込まれるというのが大筋。ハルヒが存在することで、まわりの思惑やら本人の思惑やらなんやら、色々な騒動が巻き起こるわけで、それが日常を非日常化するわけだ。
で、上で好みだと書いた「涼宮ハルヒの憂鬱」と「涼宮ハルヒの消失」だけれども、キョンハルヒが存在する非日常的な日常を心地の良いものだと認識するのが「憂鬱」で、更に進んで守るべきものだと認識するのが「消失」。で、それ以降は伏線の種明かしがちょっとずつ進められているのが現在のシリーズの状況だろうか。初期の謎めいた部分がちょっとずつ減じてきているのは残念ではあるのだけれど、思わずうならされてしまうような風呂敷のたたみ方をしてくれるかもしれないわけで、期待はしている。



しかし、読み進めば読み進むほど「世界の改変能力を持っているのって、本当はハルヒじゃなくてキョンなんじゃないの?」という気がしてくるんだよな。そうであっても何も不都合はないし。もしくはハルヒキョン、二人とも持ってるとか。そうすっと二人の現実改変能力のぶつかり合いってことなのかも知れず。というか、そうなんだと思って読んでたりするんだけどさ(笑)。


関係ないが、思わず同じ谷川流の「学校を出よう!」も買っちゃいましたよ。
そのうち読む。とりあえずファファード&グレイマウザー読んでから。