そのようにしてライトノベルは終息していく
こういう考えの人が多数派になったり、大きな発言力を持つようになったりした時が来たとする。それは残念ながらライトノベルが終焉を迎える時だろう。
勢いがあり、結果も残しているムーブメントが終わるのは悲しいことであるから、できればそうなって欲しくはないものだ。
「SF」というジャンルに悪い形でこだわることの悪影響は感じているようなのに、「ライトノベル」というジャンルに悪い形でこだわる悪影響はまったく感じていない、というか自覚していないように読めてしまうのである。
てかまあ、実は私自身は楽観的だけどね。
こういう人、全然少数派だろうし。
こういう人が少数派であるとは言いがたかった日本のSFですら、生き残ってるしねぇ(笑)。
ついでに書いておこう。
私はライトノベルの良きファンとは言いがたいのだけれど、外野席の一SFファンから見るとライトノベルの強さってのは、その卓越した新人発掘能力に負うところも大きいと思うのである。
実は、日本でSFが「冬の時代」を迎えたとされる90年代、SFに一番欠けていたのがこの要素だった。
印象的には、森岡浩之、松尾由美、高野史緒くらいしかいないような感じすらするんだよな(笑)*1。
もちろん、90年代にデビューし、注目すべきSF小説を書いた(もしくはSFファンが注目すべき作品を書いた)作家さんというのは、今振り返れば結構いると思うのだけれど、当時その作家さんを誰がサポートしたのかって話だ。「ウチでも書いてもらえませんか?」って依頼したのかって話だよ。
言い方を変えると、新人発掘能力に関しては、ライトノベル方面に頼ってしまっている現状というのがあって、それはちょっと情けないというか寂しいというか。
小松左京賞や日本SF新人賞などの動きが出てきて、ようやくそれが解消されつつあるといったところだろうか。まだまだ不足だと思うけどね。
そして、ライトノベルにおける新人発掘ツールであるところの、例えば電撃小説大賞なんかは、はっきりと「ノンジャンル」を謳っているのである。