万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

勝手にSFだけでハヤカワ文庫100冊 その5 男がどんなに偉くても女のSFには敵わない(36〜41)

ニューウェーブ以降、80年代に入るまでわかりやすい運動・流れといったものはないのだけれど、すぐれた作品は多く生み出された。
そんな中でも注目すべきは女性作家の台頭だと思う。
36・「闇の左手」アーシュラ・K・ル・グィン
37・「所有せざる人々」アーシュラ・K・ル・グィン
38・「夢の蛇」ヴォンダ・N・マッキンタイア
39・「愛はさだめ、さだめは死」ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア
40・「老いたる霊長類の星への賛歌」ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア
41・「故郷から10000光年」ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア

ル・グィンゲド戦記の作者として有名。知的さと細かな筆致を兼ね備え、実験的な作品も多く書いている。「闇の左手」が両性具有人との心の交流を通してジェンダーの問題に迫った作品であるし、「所有せざる人々」は共産主義的なユートピアを書こうとする意欲的な試みであった。実験的な作品というのは、その「実験」という目新しく見える要素を取り除いてしまうと何が残るか、大したもんが残らないんじゃないかと思うことが度々あったりするが、ル・グィンの作品についてはそれは心配無用。そんなことを抜きにしても大した小説なのだ。途中から実験そっちのけでストーリーに、人物に、時に風景に引き込まれてしまうこともしばしばなのである。
本音を言うと、実は初めて読むという人には評論である「夜の言葉」をお勧めしたかったりする。

丁寧で読みやすく、知的で静かで実は過激。それが一番わかりやすいのは、実は「夜の言葉」であるような気がするからだ。


マッキンタイアの「夢の蛇」は、文明が半ば崩壊した世界で、病気の治療・予防を生業とする女性の遍歴を描いたディストピアもの。派手なセールスポイントはないが、読み逃すのは惜しい良質の物語である。
他にこの時期に活躍した女性作家というと、ジョアンナ・ラス、C・J・チェリィ、ジョーン・D・ヴィンジそしてケイト・ウィルヘルムといったところだろうか。いずれの作家の作品も、現在では入手しにくくなってしまっているのが残念だが(というか、60年代後半から80年代を迎えるまでの作品群、なぜかいまでは入手しにくいものが多いのである)、スペースオペラディストピアものにユートピアものにサイエンスファンタジーフェミニズムSFにと、実に多様性も大きく、また、私見ではあるが女性作家らしい丁寧な筆致も相まってぐいぐい読ませるものが多い。もし読める機会があったなら、それは千載一遇のチャンスという奴だ。逃してはいけない。


さて、先ほど「女性作家らしい丁寧な筆致」と書いた。もちろん、女性差別である。
ここで、その筆名もあいまって男性だと勘違いされていた史上最強の女性SF作家、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの登場だ。本名アリス・シェルドン。
幼少期をアフリカ・インドで過ごし、第二次世界大戦に女性士官として従軍、CIAの設立時からのメンバーでもあり、CIA辞職後は実験心理学の道を志して博士号まで取得。大学の講師を務めていたが体を壊して退職後、作家デビュー。数多くの短編とわずか2作の長編を残し、最後は病床にあった夫とショットガンで心中した。
多くの人に有望な男性作家だと勘違いされ、その件で活発な論客でもあったシオドア・スタージョンロバート・シルヴァーバーグに心ならずも赤っ恥をかかせたティプトリーだが、男性だと思われていたときも、女性だと判明した後も、その作品に対する高い評価は変わることがなかった。
センチメンタルきわまる作品である「たったひとつの冴えたやり方」が人気だけれど、ティプトリーの作品をあらわすキーワードの一つとして「非情」であることが挙げられると思う。大体「たったひとつの冴えたやり方」からして、非情極まりない作品でもあるのだ。センチメンタルなものから哀愁漂うもの、ロマンス「ものからハードボイルドタッチ、コメディタッチと実に振れ幅の大きい作品群だが、実はどれもこれも救いがない。願望充足的な要素が皆無である。
「エイン博士最後の飛行」「楽園の乳」「故郷へ歩いた男」「ビームしておくれ、ふるさとへ」「接続された女」「ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか?」「一瞬のいのちの味わい」「愛はさだめ、さだめは死」「男たちの知らない女」「スロー・ミュージック」などなど、語られることの多い作品や好きな短編を並べていこうとしたら枚挙に暇がないんだが、どれもこれも「おいおい、なにもそこまでしなくても……」と思ってしまうくらい安易な救いの存在しない作品がずらりと並ぶ。
おそらく、ティプトリーは世間一般がある物事に対しておいている「価値」というものを、あまり信用していない。そのような、いわばアメリカ的な「価値あるもの」が、しばしば何の意味ももたず踏みにじられるのを、彼女は見ることができた立場にある。
また、彼女が実験心理学を選んだというのが、また選択の妙というかなんというか。実験心理学というのは、心理や行動を理解しやすいようにいったん解体し、それを再構成するといった一面を持つ。例えば、愛なんてつり橋の上のドキドキに過ぎない。そして困ったことに、それはそうそう的外れでもないらしい。
かくして、ティプトリーの世界では価値あるものがしばしば一顧だにされず踏みにじられる。それはもしかしたら、彼女にとって世界がそういうものであったからなのかもしれない。