万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

勝手にSFだけでハヤカワ文庫100冊 その10 現代SF――「現代」ってなんのこっちゃ?(69〜75)

サイバーパンク運動が終わってもSFは続く。
90年代以降、わかりやすい大きな流れは特にない。もちろん、注目すべき流れや作品・作家はある。
言い換えると、まだまだきちんとした世界地図を誰も書いていない程度には、90年代以降の海外SFは混沌としている。あなたが読み進めていったら、あなたなりの地図が出来上がるだろう。それがまた読書の面白いところでもあるんじゃないかな。
私の読書量など大したことはないので、多くの作家、作品に触れることができない。であるから、網羅的な紹介というよりは個人的に好きな作家・作品に限定する形で行こうかと思う。網羅的に行こうと思ったら、他にも覚えておいた方がいい名前はたくさんある。例えばポール・J・マコーリィ、ジェフ・ヌーン、スティーブン・バクスター、デイヴィッド・ファインタック、デイヴィッド・ウェーバー、ニール・スティーブンスン、ジョン・C・ライト、ロバート・J・ソウヤーロバート・アスプリンダン・シモンズの大作「ハイペリオン」4部作、ロイス・マクマスター・ビジョルド、その他たくさん。



69・「順列都市グレッグ・イーガン
70・「しあわせの理由」グレッグ・イーガン
71・「あなたの人生の物語テッド・チャン
72・「啓示空間」アレステア・レナルズ
73・「カズムシティ」アレステア・レナルズ
74・「世界の果てまで何マイル」テリー・ビッスン
75・「赤い惑星への航海」テリー・ビッスン

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現代SFというと取り上げられることが多いのがグレッグ・イーガンテッド・チャンのご両人である。
センスオブワンダーという、昔からSFの魅力を表現する言葉として使われている、少々カビの生えかけた代物がある。
ただこの「センスオブワンダー」、定義があいまいなまま使い勝手の良い魔法の言葉として乱用されてきたキライがある。これは個人的な意見だが「センスオブワンダー」を金科玉条のごとく振りかざす人がいたら、その人はあまり信用しない方がいい。
でも、センスオブワンダーを定義しようという人も結構いて、個人的には森下一仁氏が評論「思考する物語」で展開した、心理学の枠組みを援用した定義が一番しっくりくる。

が、ここはひとつ、私のSF研時代の先輩の言葉をお借りしてざっくりと言い換えよう。SFの魅力ってのは(これがすべてではないが)「言われてみればその通りであることを目の前に突き付ける」こと。いやあ、あの人にしては珍しく明言であった。
ちなみに、この先輩の名言としては他に「こんなに月刊アフタヌーンためこんで、邪魔じゃないんですか?」「いや、アフタヌーンは雑誌じゃなくて家具だ」というものがある。駄目だこいつ。早くなんとかしないと。
で、イーガンとチャンというのは、目から鱗を落とすSFを書くエキスパートであるのだ。
読み手の認識を変容させる、と言い換えてもいいのだが、面白いことに、チャンもイーガンも、人間の認識そのものをテーマにした作品を書いている(イーガンの短編には特にその傾向のものが多い)。実に興味深い。
それぞれの作品の中で個人的なベストは、チャンでは短編集の表題作にもなった「あなたの人生の物語」、イーガンでは同じく表題作となった「しあわせの理由」だが、これは人によってどれをベストにするか大きく分かれるに違いない、それだけの高水準な作品がそろっているのだ。前者は言語学テーマのSFでは極北を行く傑作。後者は心理学テーマでは長いSFの歴史の中でも屈指の出来だと思う*1


で、レナルズ飛ばしてビッスン。
ビッスンは技巧的な短編のイメージが強い。ハヤカワ文庫に収録されている2冊は長編なのだが、長さとしてはいずれも短い。「世界の果てまで何マイル」は隠れた北米マジックリアリズムの傑作であると思うし(似た作品としてロバート・F・ジョーンズの忘れ難い作品「ブラッド・スポーツ」[asin:4828840192]を挙げたい)、「赤い惑星への航海」は、その頃少し流行っていた火星SFなのに、独特のノスタルジーを感じさせるなんともらしい作品である。
しかし本音を言うと、一番お勧めしたいのは河出書房から出ている短編集「ふたりジャネット」だ。

名翻訳というのは多いけれど、やはり翻訳作品というのは元から日本語で書かれた小説と比べて、ちょっと敷居が高いところがある。そのせいで翻訳を苦手としている人も世の中にはいるわけで。文体をあらわす言葉として「翻訳調」なんて言葉もあったりするくらいで。
この「ふたりジャネット」、もちろん翻訳なのだが、こんなに素晴らしい翻訳ってなかなかないのではなかろうか。
どこまでがビッスンの手柄でどこまでが翻訳の力なのかはわからないが、「うわあ、この文章うまいわ。すごいわ……」と感じることのできる翻訳、読んでいるだけでここちよい翻訳になど、そうそう巡り合えるものではない。
そんな稀有な存在の本がこの「ふたりジャネット」だ。
そのトールテール的な内容、風変わりな語り口などから、勝手にラファティスタージョンの後継者だと思っている。



さて、最後にレナルズ。というか、NSO、ニュースペースオペラだ。
近年、イギリス発のスペースオペラがまとめて日本に紹介されている。
共通する要素は、まず比較的厚めの本が多いこと(まあ、これは向こうの出版事情もあるか)。そしてポストシンギュラリティの遠未来を舞台としていることだ。
シンギュラリティってなんぞ? まあ、Wikiでも見ておくれ。
詳しい定義は詳しい人に任せるとして、フィクションにおける扱いとしては、テクノロジーが人間の制御できる限界を突破してしまったものとして登場する。それは神のごとくふるまうAIであったり(円城塔Self-Reference ENGINE」もそんな話でしたな)、どのような仕組みで動くのかわからない機械であったりする。いみじくもクラークの法則「十分に発達した科学は魔法と見分けがつかない」を地で行く作品群と言える。一時期、SFではナノマシンがなんでも可能にする魔法の小道具として好んで用いられたが、最近はシンギュラリティがその地位を手に入れたといってもいいだろう。
レナルズの他にはチャールズ・ストロス「シンギュラリティ・スカイ」やケン・マクラウドニュートンズ・ウェイク」あたりが紹介されている中では代表格だが、ここはやはり一番順調に紹介が進んでいるアレステア・レナルズの作品を挙げておきたい。作品はどれも「お前いったいどこの京極堂だよ」とツッコミ入れたくなるくらい厚いのだが、意外なほどリーダビリティが高く、すいすい読み進めることができる。展開されるのは異星を舞台にした異形の未来だ。
今のところ、紹介されているのは長編が三作に短編集が二冊。短編集と最新作は未読なのだが、レナルズのこれらの作品群はレヴェレーション・スペースと冠される未来史を形成している。黄金時代以前から連綿と受け継がれてきた未来史の系譜にレナルズも連なるわけだ。近いうちに読むつもりだが、楽しみで仕方がない。



さて、このあとは蛇足。
ここまでなんとなく年代別にまとめるような形で進んできたけれども、これは言ってみればごまかしである。
ベストセラーになるわけでもないSFのこと、普通翻訳されるのは数年のタイムラグが生じる。というか、数年で済めばまだいい方で、十数年のタイムラグとかもよくある。
言い換えると、日本のSF読みに紹介される海外SFというのは、発表年度がバラバラの状態で私たちに提示されるわけだ。
そして、そのバラバラの状態の作品がたまたま同時期に日本で刊行された、その状態に日本のSF読みたちは大きく影響を受けている。海外SFの年代別の紹介など、後付けもいいところといった側面があるのだ。


そんな中で「現代のSF」とか「最先端のSF」とか、どういう風に定義すりゃあいいんだろう? 原著が発表されたのがつい最近であることが絶対条件?
それは短絡的にすぎる、と私は思うのである。
極論を承知で言ってしまうと…
あなたが最近読んで衝撃を受けたのなら、それがあなたにとっての現代SFに他ならない。
それで充分、というか、そうでなければならないと思う。あなたは現代に生きており、現代の状況、文脈の中でその作品を読み、そして衝撃を受けたのだから。



さて、次の「その11」は日本人作家、いきます。

*1:これに対抗できるのは飛浩隆の「ラギッド・ガール」くらいのもんだと思うんだが、どうかな?