またまた「ハーモニー」の話。
過去に書いた「ハーモニー」についてのエントリはこちら。(「ハーモニー」は火薬と進化心理学の不幸な結婚である - 万来堂日記2nd、昨日に引き続き、伊藤計劃「ハーモニー」について/身も蓋もない問いかけが暴走するとき - 万来堂日記2nd)
思いっきりネタバレを含むのでご注意を。
それではいきます。
「ハーモニー」の世界では、WatchMeだかなんだかいう、ナノテクだかなんだかを各人が体内に飼ってる。で、そのテクノロジーが利用される形で、最終的に人類は「自己」を失うってのが大仕掛けだ。
エピローグでも、全世界数十億の人類から意識が消失したとはっきりと明記されている。
そうそう。お気づきかと思いますがね。「全人類」とは書いていないんですな。
今日やっとそのことに気がついたのは、我ながら迂闊もいいところなのだけれど。
そもそもが、冒頭からして、成長期にある子供、少年少女にはWatchMeはインストールされないとはっきりと書いてあるのに!
途中、地域紛争に関する記述で、辺境の人々でもWatchMeはインストールされている物の、完全な管理下にないことが明言されているのに!
医療都市バグダッドの防壁の外の人々だって活写されているのにだ!
つまり、システムの完全な管理下になかった辺境の人々や、全世界の子供たちはそのままのこり、先進国の大人たちだけが自由意志をなくしたことになる。
人類が、なんかわけのわからん存在に進化するSFというと、なんといってもクラークの「幼年期の終わり」が有名だけれど、あの傑作では子供たちがわけのわからん存在に進化し、大人たちがそれを見送るといった構図であるのに対し、「ハーモニー」ではものわかりのよい大人たちがさっさとわけのわからん存在に進化してしまって、子どもたちとものわかりのよくない(WatchMeによる管理をよしとはしなかった)大人たちが残されたわけで。
これは、自己を放棄した人間と自己を持ち続ける人間との戦争フラグだと思うのだが、どうだろう?