2007年11月24日に万来堂日記2ndに投稿したエントリの再掲です。
http://d.hatena.ne.jp/banraidou/20071124/1195882845
ブログに書くネタをメモしておくことがある。で、忙しくて余裕がないときはメモしたこと自体を忘れたり、後で読み返してもなんでこんなことをメモしたのかわからなかったりする。
メモされた、謎の人名「ベンジャミン伊東」。
なんのこっちゃさっぱり思い出せないまま放置していたのだが、昨日、何を書こうとしていたか思い出したので、書いておこうと思う。
少し前の話になるが。
一色版「日本沈没」がかなり好きである。8巻も発売後、すぐに購入し、堪能した。8巻では、阿蘇山が噴火し、火の国が炎に襲われる。
時の首相が熊本城に立てこもり、「これから阿蘇山は噴火する。阿蘇山噴火が的中したら、日本が沈没することを信じて欲しい」と、滑稽さを感じさせる過度の真剣さをもって全国民に訴える。
そして、訪れる噴火の時。
首相はこの災害での自らの死を願いながら、城の周りを駆け回る。有名な童歌「あんたがたどこさ」を歌いながら。
首相の歌う「あんたがたどこさ」にあわせて、大量の人間が死んでいく。
これはすごいと思った。迫力たっぷりだというのに実に滑稽。この災害とそれをめぐる政治的駆け引きを喜劇として描写するには、これ以上ない演出だと思う。
一番のハイライト、底意地の悪いユーモア感覚がでたシーンは、街中を右往左往する熊本市民が描写されるシーンだ。
「よいよいよいよい/おっとっとっと」というおなじみのフレーズに合わせた形で、熊本市民が右へ左へと翻弄される様は踊っているかのようだ。しかし、彼ら/彼女らは、首相の言葉を聴いても何もしなかったが故に、何も出来ずに死んでいくのだ。なんとおぞましく、滑稽で、素晴らしい。
ところで、「よいよいよいよい/おっとっとっと」は、「あんたがたどこさ」の歌詞ではなく、それをもじった「電線音頭」の歌詞ではなかったか?
検索して歌詞を調べてみたのだが、やはり元の「あんたがたどこさ」にはそのような歌詞はないようだ。
おお、なんと! この世にはやはり神などいないのだろうか、何もしなかったが故に何も出来ずに死んでいく市民たちは、よりにもよってベンジャミン伊東に合わせて踊りながら死んでいくのだ! 素晴らしい!
熊本の空を東へ向けて飛んでいくしらけ鳥が目に浮かぶ!
ところで、検索している最中に知ったのだが、電線音頭が流行した年は76年、最初の映画「日本沈没」が公開されたのは73年だそうだ。
当時少年時代をすごした人は、両方をリアルタイムで記憶しているわけで、とすると、これは時代へのオマージュでもあったのかななどと、一人納得する。