軽い与太話です。
著作権保護期間延長について話題になっておりますが。
理論的な検討は朝まで仕事していた今の頭ではできないので、いや、もともと無理かもしれないんですがそれはさておき、心情的な話をしようと。
いや、心情的にどうこうって大事っすよ? 理屈の上ではおかしくたって心情的に納得しちまえば動いちまうんだから、人間なんて。
法学的な理屈や、もっとまじめな理念的検討を読みたい方は、Copy & Copyright Diaryさんのこちらのエントリから各記事へ飛んでください。実際に市場に与える影響以外は大体フォローされているかと思うので。
ていうか、最近Copy & Copyright Diaryさん経由でしか著作権絡みの話題読んでないわ、俺。
まずいやなぁ。
で、著作権保護期間延長の話ですが。
著作者の死後50年から死後70年に保護期間が延長になるということは、言い換えると孫がいい大人になるまで保護されるということで。
言い換えると、著作者の孫に金を払う、ということであろうかと。
もちろん、作者の死後70年たってまだ商品価値を持つ著作物なんて一握りしかないと思うんですが、その「一握り」を産み出した作者は真に偉大だといえるわけで。
つまり
「あなたのじいちゃんやばあちゃんは偉大な人だったから、孫のあなたにお金を払ってあげよう」
ってことですな。
あとはこれを社会全体が許容できるかどうかっつう話です。
そりゃ、自分の孫の面倒見てやりたいのは人情でしょうが。
名前と作品しか知らない人のお孫さんにお金を払うのかと思うと、ちょっとうんざりした気持ちになりますね。個人的にですが。
だったら記念館でもつくってそこの館長にでもおさまってればいいじゃねえか、みたいな(笑)。
中には「いや、俺はこの人大好きだからお孫さんにもお金払ってあげたい」って人ももちろんいるんでしょうが。まあ、そういう人は募金でもしたら? 集まった金で新人賞でもやりゃあ、そりゃもう文化的なことこの上ないし。
俺だって敬愛するフィリップ・K・ディックのお孫さんにだったら、多少ならお金払ってもいいしね。
あと、ドナルド・フェイゲン……は子供いるかどうか知らないから、ウォルター・ベッカーのお孫さんには払ってもいい。
PKD基金やスティーリー・ダン基金にだったら、いくらかお金払うよ、俺。
で、この話のどこが空疎かというと。
「偉大な人のお孫さんは特別に法律で保護しよう」っていうのが文化的な社会かっていったら、直感的に「んなわきゃあねえだろうが」と即答できてしまうところと
実際にはいくばくかの利益を得るであろう「団体」とか「業界」とか「会社」っていう視点が、そもそもの要望からはごっそり抜け落ちているところだよなぁ。