「虐殺器官」は骨太なエンターテイメントSFで、本年度の喜ぶべき収穫。
色んな要素を消化して楽しませてくれるんだけどさ、色んな人の感想や惹き文句を見てみると、言語学への言及は多いんだけれど、進化心理学への言及って少ないように思うんだよ。
だから、「『虐殺器官』は進化心理学SFの傑作である」と言っておこうと思うんだけど、ど、どうかなぁ?
以下、ネタバレを含みますよ。
「虐殺器官」が言語学SFであるというのも間違いだなんていうつもりは欠片もなくてね、その方が過去の作品とのつながりの中に据えて話もしやすいだろうし。
実際、「虐殺を引き起こす『○○』の存在」*1というアイデアのところで止まっているんだったら、まあ、進化心理学云々いう気はないんだけれど。
ついでにいうと、逆にそこで止まってしまったのが川又千秋の「幻詩狩り」だと思う。でも、この本はこの本で面白かったけどね。
しかし本書ではそこから先に一歩進んで、「虐殺は人類の進化において、適応的にはぐくまれてきたものだ」というところにまで行ってしまう。だからこそ進化心理学SFと呼びたい。殺人はある。虐殺もある。昔からあるし普遍的にある。ではそれらはどのような適応として進化してきたのか*2。
わお。エキサイティング。
いや、でも隔世の感があるなぁ。
私が学生やってた頃には、進化心理学は、あまり日本に紹介されていなかった。
もちろん、後から考えるとそれらにつながるような、例えばドーキンスやグールドやピンカーの本は既に紹介されていたけれども、じゃあ「進化心理学ってなに?」って聞かれてもよくわからなかった*3。
それが日本のエンターテイメントSFに、重要かつわかりやすい形で取り込まれるところまで来たんだもんな。
私は最先端のSFを熟知しているわけではないけれど、進化心理学的なアイデアのSFへの導入って、そんなに例があるものじゃないと思うんだよ。探せば何作か出てくるのだろうけど(「あー! あったあった!」みたいな(笑))、今ぱっと思い浮かぶのは「虐殺器官」のみといってもいい。
これって、評価すべき、注目されるべきことだと思うんだけどなぁ。
「神狩り」「幻詩狩り」と、いわば「魔術のような言葉」を扱ってきた日本における言語学SFを、横合いから最高のタイミングで殴りつけた記念碑的な作品ですよ、これ。
それでいて、進化心理学を取り込んだ、新たな流れの起爆剤にもなりえる、これまた記念碑的な意味を持つ作品だし。これから日本で進化心理学SFを書いたら、「『虐殺器官』以後の流れ」の中に位置づけられてしまうかもしれない。
こうやって書いてみると、改めてすごいな、こりゃ。
副読本にこれなんかいかが?