万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

「時砂の王」は、新しい小川一水の幕開けであるかもしれない

2007年11月8日に万来堂日記2ndに投稿したエントリの再掲です。
2011年現在、小川一水氏は天冥の標シリーズで、いい意味で読者の期待を裏切り続けているわけで、早くこの間買った5巻を読まなきゃ。

http://d.hatena.ne.jp/banraidou/20071108/1194491903








中々時間が取れなかったのだけれど、読み始めたら一気に読了。
このような傑作が単行本ではなく文庫書き下ろしで刊行されるとは、なんとも贅沢な時代になったものだ。


小川一水がこれまで発表してきた作品は、どれも高品質のものであったことは言うまでも無い。
確かに十二分に楽しんで読んできたのだけれど、その一方、ささやかな不満があったのだ。




それは、作品のほとんどがハッピーエンドだったことである。
ハッピーエンドで何が悪い? いや、もちろん何が悪いわけではない。元々のソースがちょっと今探せないのだけれど、小川一水自身が、バッドエンドで名高い笹本祐一妖精作戦」への反感というものに大きな影響を受けていると語っている。ならば、ハッピーエンドにこだわるというのも頷ける。
しかしだ、これを読んでいる人は、頭の中に私家版10選を思い描いていただきたい。ジャンルは何でもいいし、ノンジャンルでもいい。出来れば小説でよろしく。まあ、映画でもいいか。
その中に、ハッピーエンドのものがいくつあった?


少し前、はてなで「私家版10大○○」が流行していた頃に、私もそれに乗っかって10大SFを選んでみた(こちら)。この中でハッピーエンドのものは? まあ「ノーストリリア」がそうと言えなくも無い。また、短編集である「ふたりジャネット」の中には心温まる読後感のものも多い。が、そのくらいだ。
もちろん、秀逸なハッピーエンドに心振るわせる。そのことに文句をつけることなど、する気もなければ出来るわけも無い。そういった終わり方を賞賛することもまたしかり。
ただ、世の中ハッピーエンドばかりではない。バッドエンドばかりでもない。実のところそれはものすごく多様で、ハッピーかバッドかなどという恣意的な二分法にやすやすと収まるわけでもない。そして実際、そのような二分法に収めることの出来ない物語が多く創造されてきている。さて、あなたの10大○○にハッピーエンドはいくつありましたか? バッドエンドはいくつ? そして、そう簡単ではないものはいくつありましたか?


過去の小川一水作品をすべて読んでいるわけではないのだけれど(いや、申し訳ない)、短編集「老ヴォールの惑星」に収録されている星雲賞受賞作「漂った男」は傑作である。そして私が読んだ限りでは、著者が初めてハッピーエンド/バッドエンドの二項対立から脱却した作品であった。

そしてとうとう、長編でもそれを果たして見せたのが、この「時砂の王」だ。
作者初の時間SFと銘打たれたこの作品には、ワイドスクリーンバロック並みの途方も無いスケール感がある。読み手を幻惑しクラクラさせるガジェットがある。過去のSF作品へのオマージュがある*1。人間くさい葛藤がある。日本SFが培ってきた伝統がある(作品に流れる無常観は、私に小松左京「果しなき流れの果に」や山田正紀「神狩り」といった作品を連想させずにおかないのだ)。大長編やシリーズに匹敵する内容をわずか270ページほどで語ってみせた、とんでもない密度がある。
しかしそれよりもなによりも、私にとっては小川一水の新たな姿が、ここにあるのだ。
これは語り継がれていく価値のある、いや、語り継いでいくだけの価値があるSF小説だ。まずは手にとって欲しい。読んで楽しんで欲しい。そして、この日本SFが生んだ傑作を語り継いでいこうじゃありませんか。


参考:『時砂の王』(小川一水/ハヤカワ文庫) - 三軒茶屋 別館

*1:侵略者の設定はフレッド・セイバーヘーゲンのバーサーカー・シリーズを連想させる。