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万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

「君の名は。」から派生して考えたこと/前から考えていたこと

SF アニメ 映画・アニメ

君の名は。」から派生して考えたこと(前から考えていたこと)をTogetterにまとめたのですが、こちらにも転載しておこうと思います。
togetter.com
君の名は。」だけではなく、私の中では「おおかみこどもの雨と雪」なんかにも関係してくる問題です。
おおかみこどもの雨と雪」は、劇場に5回ほど見に行った大好きな作品なんですが、製作者側が想定した作品内のリアリティラインと観客側の思い描くリアリティラインが齟齬を起こしている作品なんじゃないかな、と思っております。そこら辺について書いたエントリはこちらです。

banraidou3rd.hatenablog.com


それでは、はじまりはじまりー。









【ネタバレあり】「君の名は。」の感想。/1200×2/荒唐無稽なファンタジー

SF アニメ ファンタジー ラブストーリー 映画・アニメ 泣ける 爽快感 痛快 美しさ 笑い

君の名は。」2回見て来ました。実は3回目のチケットも予約してまして、開場までの待ち時間にスマホをポチポチいじって、この文章を書いております。

これから「君の名は。」の感想を書こうと思います。ネタバレしますので、まだ見ていない方は注意してくださいね?

 

 

 

 

本当に、ネタバレしますからね?

 

 

 

 

さて、今作は爽やかで、痛快で、泣ける、荒唐無稽なファンタジーであります。

ええ、荒唐無稽ですとも。だっていわば「強く思い続ければ、どんな障害があろうとも必ず想いは届く」って映画ですよ? これが荒唐無稽でなくてなんだっていうんですか。ええ、もう、大好きですとも。

ただ、この「ファンタジー」には、信じるだけの価値があるのではないかな? と思います。

さて、私は「君の名は。」にどのようなファンタジーを、人間にとって必要不可欠な幻想を見出したのでしょうか?

それはもう書きました。「強く思い続ければ、どんな障害があろうとも必ず想いは届く」です。

で、ですね、これ、めちゃ重要だと思うんですか、作中で届いた想いは、ようやく聞き届けられた祈りは、主役である三葉と瀧、二人だけのものではないんです。

 

 

作中、宮水の女系は、三葉と同じように「入れ替わり」を過去に体験していることが語られました。

おそらく母、祖母、曾祖母と遡っていくのでしょう。

 

 

糸守湖は隕石のクレーターに水が溜まった隕石湖でした。

もう一箇所、クレーターが出て来ます。宮水神社の御神体があるところ。クレーターの中心に、御神体は位置します。

その御神体が置かれている場所には、彗星の壁画が描かれていました。

 

 

つまり、過去に最低2回、糸守の地は空からの災害に見舞われています。

あの彗星は1200年周期で公転していることが作中で明言されていますので、1200×2=2400です。

 

 

従って、ですね。

今作で届いた想いは、聞き届けられた祈りは、最低でも2400年の蓄積を持つのです。

2400年の間に2回、糸守の地を襲った未曾有の大災害。このような悲劇を繰り返してはならないという想いが、1200年前は回避できなかったけれど、今度こそはという祈りが、現在にまで伝わっていたのですよ。

 

 

まぁ、タイムリープなんて荒唐無稽の最たるものですよ。そのようなインチキに頼らなければ、このような幻想は維持などできないのか? と疑問に思ったり、冷めてしまう人もいるかもしれません。

ちよっと待って。私たちはこの想いに似たものを、この祈りに似たものを、実例として知っているはずです。きっと探せばたくさんあるでしょうが、ここでは浅学の私が思いつく程度で許していただきたいのですが。

 

東日本大震災では、現在まで伝わっていた想いのために救われた人がいました。「ここから下に家を建ててはならない」

http://memory.ever.jp/tsunami/tsunami-taio_307.html

 

津波てんでんこ。過去の経験からこの言葉が作られ、多くの人を救いました。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E6%B3%A2%E3%81%A6%E3%82%93%E3%81%A7%E3%82%93%E3%81%93

 

 

悲しい例もあります。「八木蛇落地悪谷」この地名にどういった想いが、どういった願いが込められていたのか、今となっては知るよしもありません。

http://takanashi.hateblo.jp/entry/2014/08/28/235406

 

 

作中で、伝統の意味は既に失われてしまっていることが語られます。その伝統の意味はわからないけれど、それを伝えていくことが大事なのだ、と。

 

 

だって、1200年前の、そして2400年前の、想いが、願いが、悲しみが、怒りが、無念さが、祈りが、たとえほんの欠片だけでも残らず、すっかり消え失せてしまっているとしたら。

こんなに悲しいことはないじゃありませんか。

 

 

ですから、本作は時間に反逆するエンターテイメントです。それは三葉と瀧を隔てる三年だけじゃない。1200年、2400年、いや、もしかしたら3600年、4800年、もっとでさえあるかもしれない。

そんな悠久の時の流れにすら反逆している、そのような作品だと思うのです。

忘れ去って、なるものか、と。

 

 

と、いうわけで「君の名は。」は「強く思い続ければ、どんな障害があろうとも必ず想いは届く」という幻想を扱った作品だと思うわけですが、どんなもんでしょうね?

 

私は大好きであります。

 

 

 

 追記

kinmokusei15278.amebaownd.com

twitterで上記のエントリを知りまして、このエントリを書かれたしのさんとやり取りする中で自分の考えが次第に言語化され、そのおかげでこういった感想を書くことができました。

twitter.com

 ウチみたいな零細ブログからであれなんですが、わずかながら感謝の気持ちも込めまして、皆様にご紹介させていただきます。

「君の名は。」をようやく見てきて、すっかり堪能しましたよ/次はこんな「運命にどうしようもなく抗うSF」を読んだらどうだろう?(自己責任で)

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大ヒット中「君の名は。」ようやく見てきましたよ。
人込み苦手だから空いてから見に行こうと思ってたんだけど、いや、公開四週目のレイトショーでもかなり入っててですね。びっくり。
良かったですよーー! エンターテイメント剛速球。
意外性はないのだけれど「……待って、これってもしかして……やっぱり! そんなぁ! ……え、でもこれって……ああ! やっぱり! そんな! ひどい!!」みたいな。
「くるぞ、くるぞくるぞ……きたぁ!!」を堪能できる映画でした。いや、ベタな展開って、ハマると本当に力強いなとあらためて。
なんか、黄金時代と呼ばれる50年代のSFのいいところをぎゅっと煮詰めたような作品だと思いましたねー。
原案:ジャック・フィニィ、とか原案:ロバート・F・ヤング、とか原案:レイ・ブラッドベリって書いてあったら多分信じる、私。


で、ですね。個人的にはこういう「抗いがたい非情で理不尽な運命に、それでも人間であるがゆえにどうしようもなく抗う物語」って大好きなんですよ。それこそ、まどマギとか。
だもんで私の中では「運命にどうしようもなく抗うSF」の系譜に位置づけられる作品なわけです。
みなさんも今度本屋に行ったら「運命にどうしようもなく抗うSFコーナー」を覗いてみたら幸せになれると思うのですが、聞くところによるとそんなコーナーないらしいですので*1、いくつかそんな作品を紹介してみようかと。

ただ、あまり期待しないでください。
怠惰なもので、結構有名な作品読むのをさぼっている上に、ここ数年読書量が落ちて、シーンを追うことができなくなっていますので……SFの情報はここ数年アップデートされていないと思っていただいて差し支えなく……読書家だったブログ主は、もう3年ほど前に亡くなってしまったんやで……*2


さて、日々必死に生きる人間を、その強大な力で無慈悲に、理不尽に押しつぶしてしまう抗いがたい運命。それにはどのようなものがあるのかをまず考えなければいけません。
んで、考えました。
他にもあるかもですがひとまずここでは3つ取り上げます。すなわち

「時間」
「空間」
「死」


  • 「時間」

「時間」はSFお得意のテーマです。タイムマシンを登場させたり、理屈はよくわかんねえけどとりあえずタイムスリップしたり、理屈はよくわかんねえけどとりあえず過去や未来の自分にタイムリープしたり。作品も枚挙に暇がなく、個人的に印象に残っているものだけでも、映画「12モンキーズ」とか「12モンキーズ」とか、他にも「12モンキーズ」とか、たくさんあります。
……ちょっと待っててね、今思い出すから……そうそう、タキオン通信で過去と通信することで悲惨な現在を変えようとする科学者の苦闘を描いたグレゴリィ・ベンフォードの「タイムスケープ」*3とか、タイムパラドックススラップスティックに仕立て上げたラファティの短編「われらかくシャルルマーニュを悩ませり」*4とか、長命人の悲哀をテーマにしたポール・アンダースンの「百万年の船」*5とか、他にもいろいろと。
ただ、ここで扱うにあたっては「時間」はそのスケールがでかければでかいほどいい。
時間のスケールがでかければでかいほど、それに比べて人間の卑小さ、無力さ、儚さが際立ち、それに抗わずにはいられない人間を応援したくなろうってものですよ! なあ! そうだろ!?

そういった意味では、時間を遡ったり未来へ進んだりは一切しませんが、この作品が実にぴったりではないかと。クラシックですが。

「おもいでエマノン」。梶尾真治先生は「時」を扱ったセンチメンタルなストーリーを他にも複数書かれていますが……そもそもデビュー作の「美亜へ送る真珠」も、時間によって絶望的なまでに隔てられた恋人たちを描いた忘れがたき作品でしたし、「時尼に関する覚書」もおまえ駄洒落じゃねえかと突っ込みつつもついつい涙腺緩んでしまう作品で*6したが、本シリーズのヒロインであるエマノンが背負った業の深さは、もうSF史上屈指でございまして。
ネタバレになりますが、超有名な作品なので割ってしまいますと。
彼女はすべての記憶を持っているのですよ。生まれてからの記憶だけではなく、親の生まれてからの記憶、その親の記憶、そのまた親の記憶、そのまた……
以下、無限に思えるほど長い繰り返しを経て、地球最初の生命まで遡る、絶望的なまでに長大な記憶。
私たちと同じ現代に生きているエマノン。しかし、その存在は、その記憶ゆえに、抱えた時の重さゆえに、決定的に我々とは断絶しています。
永遠とも思える長い時間の権化たるエマノンと私たち限られた命しかもたない人間は、それでも同じ時代に確かに生きているがゆえに、かかわりを持つ。その間に生まれるコミュニケーション、時にディスコミュニケーション。それこそが我々人間による「時間」への反攻ではないかと、そう思うのです。*7



  • 「空間」

広大な空間、というのもSFの得意な分野であります。なにせほら、こちとら宇宙抱えてますから。広大な空間に立ち向かう作品の極北というと、上でも名前だしましたがポール・アンダースンの「タウゼロ」*8でしょうか。ブレーキが壊れて加速し続ける事しかできなくなってしまった宇宙船でいかに生き残っていくか、という小説です。なにせ加速し続ける事しかできなくなったわけですから、隣の恒星までとか、隣の銀河系までとか、隣の銀河団までとか、そんな生易しい話じゃないんですよ(!)。
しかし、ですよ。これは「時間」とは逆に広大でありゃあいいってもんじゃない気がいたします。ものすごく薄情なことを言いますけれど、海の向こうの大惨事より、国内の惨事の方がどうしても心には強く残ってしまうわけでして。
むしろ「あともう少しで手が届くのに!」というスケールの小ささこそ、むしろ抗いがたい非情な「空間」なのではなかろうか、と。
思い浮かんだのは谷甲州の忘れがたい短編「星は、昴」です。

宇宙においては、通信でコミュニケーションがとれる距離というのは「至近距離」と言っても差し支えないと思います。
しかしながら、それは光の速さで通信できるが故の近さであるのは当然のことで。
存在がすぐそこに感じられるのに、どんなに力の限り手を伸ばしても、決して触れることができない。
すぐそこに、命が息づいているのが感じられるというのに!


……というやるせなさをこれでもかと堪能できる作品です。

あと、足りないのは時間なのか空間なのかそれ以外の何かなのかちょっと微妙なのですが「あともう少しで手が届くのに!」をこれでもかと堪能できる作品として、短編集「紙の動物園」収録のケン・リュウもののあはれ」も思い出します。

そしてこの作品、扱い方はかなり異なるものの、「君の名は。」と同じ道具立てを物語に取り込んでいる作品なのです。わお。


  • 「死」

そして最後の難物「死」です。
これがね、なかなかないのですよ。「生」を描き切った作品はあるし、既に「死」を克服した作品もあるんだけど、「死」に立ち向かう作品というと、これがね……伊藤計劃の作品群を「死」に立ち向かう話として捉えることも可能ではあるとは思うんですが。
いや、ひとつ、決定版があるにはあるんですけどね。

長谷敏司「あなたのための物語」。数少ない「死」を正面から扱ったSFにして、これ以上のものはそうはでてこない金字塔であると思います。
不治の病に侵された科学者が、死を回避しようとありとあらゆる手段を尽くして、そして敗れ去っていく物語です。
カッコよくも、美しくもありません。
しかしだからこそ、強く読者の心に残ります。
そして読み終わったときに愕然とするんですよ。
ああ、なんということだ。既に死に対して勝利を収めたことが、冒頭で描写されているじゃないか、ってな具合に。
「死」に勝利するとはどういうことなのか。本書が出した、どうしようもなく人間臭い結論を、ぜひ読んでいただきたく思います。


つーわけで。
お気が向きましたら、あくまで自己責任で読んでみたらいいんじゃねえかなという「運命にどうしようもなく抗うSF」紹介でございました。お目汚し失礼。

*1:まったく、なぜないのでしょうね? 噴飯ものですよ! ぷんぷん!

*2:比喩

*3:タイムスケープ (1982年) (海外SFノヴェルズ)

*4:九百人のお祖母さん (ハヤカワ文庫SF)

*5:

*6:両方とも美亜へ贈る真珠―梶尾真治短篇傑作選 ロマンチック篇 (ハヤカワ文庫JA) に収録されています。買ってね! 私、貧乏なの!

*7:ちょいネタバレになりますが「君の名は。」も、忘れ去られた太古の祈りが、長い長い時を超えてほぼ忘れ去られつつもようやく成就するという物語でしたね……

*8:タウ・ゼロ (創元SF文庫)

「帰ってきたヒトラー」は、とても親しみやすい抱腹絶倒なガス室なので超おススメ!

奇抜 映画・アニメ 社会批判・社会風刺 社会風刺・社会批判 笑い

「帰ってきたヒトラー」観ましたよ。これはいい映画です。
終映後、客席からこんな声が。
「これ、コメディちゃう。ホラーや……」
まさしくその通り。期待していたよりも笑え、期待していたよりもずっとややこしく、期待していたよりもずっと怖かった。


「帰ってきたヒトラー」多重構造になっています。
まず一つ目はタイムスリップしてきたヒトラーが繰り広げるコメディ。「あのヒトラーがこんなことするなんて!」という、万人ウケする楽しい部分。
これ、楽しいんだが、よく考えると非常に難しいのですよ。
チャップリンの「独裁者」でもいいし現代日本のザ・ニュースペーパーでもいいですが、この場合は既存権力へのカウンターとして笑いが機能するでしょう。
ところがね、「帰ってきたヒトラー」では、その笑える言動や行動を繰り広げるのが、ヒトラーに扮したコメディアンではなくてヒトラー本人なわけで(もちろん役者がやっているんだけど、「ヒトラー本人」という感想が持ててしまうあたり、すっげえ好演だと思います)。
つまり、なんというか「このとても愉快なコメディアンは、たまたまヒトラー本人ですけどすごく面白いですね」というのは、カウンターとして作用しないどころか、むしろヒトラーに好感を抱かせる要因となってしまうという。これが後半、非常に効果的に効いてきます。


そして二つ目、ドッキリ的に仕掛けられた、ヒトラーが街の人々の声を聴くインタビューがふんだんに取り入れられています。
まるでマイケル・ムーア作品を見ているみたい。
ここでリアルに右傾化しつつある、普通の民衆の声を聞くわけだけれど、今まで作り物だった作品が一段階、実世界にぐっと引き寄せられるような効果があります。おや? これは笑い事じゃないかもしれんぞ?*1


そしてメタフィクション的な第3段階。
なんと作中でヒトラーが実際に「帰ってきたヒトラー」を執筆し、その映画化が始動し始めるにいたります。

図式的には、最初は無害なコメディだったものがグッとリアルに近づいてきて、とうとうこちら(現実世界)へコミットし始めるわけですよ!

そしてあのラスト。もう大好きなんだけれも。なんともムスカ大佐的というか。*2
ここで、最初、あの無害でただ面白いだけだったはずのコメディの持つ意味が重くなるというか。
あれがカウンターとして機能せず、むしろ逆の効果を持つものだったからこそ、ここにいたるわけで。


つまりですね。
作中において、ヒトラーは「笑い」を政治利用していたということが、ここにきて決定的になるわけですよ。なんてこった!!

私自身も以前に笑いに政治を持ち込むことについて批判的な意見をtweetしたこともありますし、最近も「フジロックにSEALDsなんか呼ぶなよ!」ってな騒動がありましたけれど、もうどーすんだよ、これ。

チャップリンヒトラーに扮して「独裁者」をつくったんですけれど。
「帰ってきたヒトラー」のヒトラーは、必要とあらばチャップリンの役割を自ら進んで演じてみせるわけで。しかもよくよく見ると、そのことは作中でも明言されています(!!)。
「面白くて、威勢が良くて、民衆の声を代弁する愉快なおじさん」を、俺たちはどうやって批判すればよいのか?


作中で、真にヒトラーを批判しているのはただ一人だと、私は思うのだけれど、それ、相手がたまたまヒトラー本人だから通用した批判で。
相手が本当に「ヒトラーのそっくりさん」だったら、この論法では批判できないんですよ。なんてこった。
ヒトラーが作品内で繰り広げる騒動で、観客である我々が批判できる(どうやっても擁護できない)ポイントは、動物愛護家なら二ヶ所、そうでなければたった一ヶ所だけ。
「だけ」なんですよ。これがね。
これがね、本当に怖いの。


つーわけで、ものすごく高度に政治的な映画でしたよ。「帰ってきたヒトラー
笑えるって、なんて恐ろしいことなんだろう。*3

*1:そういえば「笑い事じゃない」というセリフ、本編でもありましたね。これがまた、大変に重要なセリフで……

*2:ラピュタは滅びぬ!何度でも蘇るさ!ラピュタの力こそ人類の夢だからだ!」

*3:今までちゃんと調べたことなかったんだけど「国策落語」のことも調べなきゃかなぁ……

LIBROの新譜「風光る」を初めて聞いたとき、どこに衝撃を受けたか言語化を試みるよ!

音楽

学生時代にどっぷりはまったものでも、社会人になり時がたつにつれてだんだんとシーンを追うのが億劫になってきて、気がつくと最近の流行とかさっぱりわからなくなっていた、なんていうのは良くある話で。私にとってはHIPHOPがそれだった。フリースタイルダンジョンの流行でまた興味が蘇り、少しづつ音源買ったりし始めたけれど。
しかし、関心が薄れている期間中も新譜が出ると必ずチェックしていたアーティストというのもいて、私にとってはそれがRhymesterとLIBROだったりする。「一番好きなミュージシャンは?」と聞かれたらRhymesterと答えるが、「一番好きな曲は?」と聞かれたらLIBROの「三昧」だと答える。


風光る

風光る

そんなLIBROの新譜「風光る」が出たのでもちろんチェックするわけですよ。いや、本当にこれはいいアルバム。
渋くて落ち着いててかっこいいビートに、LIBRO本人も客演陣も真摯で丁寧なラップを乗せてる。
a.k.a. GAMIがカッコよさの権化みたいになっている「オンリーNo.1アンダーグラウンド」、終盤の掛け合いが鳥肌が立つほどゾクゾクするポチョムキン参加の「NEW」、優しい曲調なのに鎮魂の趣さえ感じさせる「キミは天を行く」、以前の作品「COMPLETED TUNING」に収録された「ある種たとえば」で手塚治虫の「火の鳥」みたいなとんでもないスケール感のラップを披露した小林勝行がポジティブでハッピーなヴァイブスを振りまく「花道」、「胎動」収録の名曲「雨降りの月曜」の続篇ともいうべき5lack参加の「熱病」、落ち着いた雰囲気で丁寧かつ注意深いが「愛国心」なんぞという物騒極まりないテーマをポジティブに扱って見せる超危険球「あまなりしき」、などなど。

他の収録曲もいい曲がそろっていて、復活作ともいえる「COMPLETED TUNING」以降の作品の中では一番のお気に入り。
でも、初めて聞いた時に「あ! これ絶対いいアルバムだ!」と衝撃を受けたのは、実は曲ではなくて1曲目と2曲目の「繋ぎ」の部分だったりする。言葉でうまく説明できるかどうか。やってみよう。

1曲目「風光る」。リラックスした雰囲気の、少しゆったりとしたナンバーで「おお、いつものLIBROだー。良い意味でー」とか思いながら聞いていると、曲の終盤でそれまで使われていなかった「とーんとーんとっととーんとーん」みたいないなたいエレピのフレーズが入ってくる。
おー、ますます落ち着いた雰囲気だねえ、とか思いながら聞いていると、そのうちそのフレーズの響きが少し荒くなる。
んで、少しずつ少しずつBPMが速くなる。新たなドラムパターンが加わる。新たな上物が加わる。気が付くと既に2曲目に突入している。
わかるだろうか。シームレスに1曲目から2曲目に移っていく中で、さっきまで「落ち着いた雰囲気をさらに強調するようなエレピのフレーズ」だったものが、いつの間にか「クールでアグレッシブな曲の中心を構成するカッコいいフレーズ」に変貌しているのだ。なんてこった!

いや、大好きなんだよ。こういう「さっきまでとは印象ががらりと変わってしまう」快感っていうのが。
一例としてLiving Legends"Stop & Retaliate"を挙げておこう。

Living Legends - Stop & Retaliate
曲が始まった時には、どう乗ったらいいのかもよくわからない不可思議なループだったものが、ドラムが入った途端に重量感溢れる超カッコいいビートへと変わる。こちらの認識が一瞬で切り替わる。この快感。
たまんないよなあ、と思いながらまた「風光る」リピートするのであった。

「クレヨンしんちゃん爆睡!ユメミーワールド大突撃」を3回観てきたので、かなりテンション高めに感想書くよ!

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映画クレヨンしんちゃん爆睡! ユメミーワールド大突撃、計3回観てきました。
私の中では不動の傑作の地位を確かにしましたですね。私の乏しい映画やアニメの観賞経験の中ではありますが、子供に向けたメッセージが込められた作品としては、その力強さにおいて最高峰ではないかと思います。



本作、ギャグが結構面白いです。私が最も好きなのは、ひろしとみさえが「なぜ大人がこれほど、子供のように夢見る力を持っているんだ?」的な問いに対して答える、その答えのあまりの馬鹿馬鹿しさ!!
三度見て、三度とも笑ってしまいましたよ! あれはねーよ!!
あと大和田獏さんの出演シーンですが、檀ふみさんも出てればもっと良かったと思います!*1



あとね、実に丁寧に伏線とか貼られていたり。
本作、みさえが大活躍するんですが、初見時には感動しつつも「ちょっと唐突じゃねーの?」とも思ったんです。でもね、見直してみると今回では、夫婦の行動で常にみさえがイニシアチブをとってるんですね。
また今作のヒロインのサキちゃん。実につっけんどんでみんなの第一印象最悪、些細なことで怒りをぶちまけて周囲との断絶を招いたりするんですけれど、ではなぜサキちゃんが怒ったのか。その理由というのが、我々からは最初は些細などうでもいいことに思えるのだけれど、実は今作の実に重要なキーポイントになっているというね。


あとすごくいいのがサキちゃんと父親との朝食シーンですね。もう、素晴らしいです。
2人きりの食卓。サキちゃんの前には焦げ焦げのトーストと黄身がつぶれちゃった目玉焼き、缶のトマトジュースに、あろうことかポテトチップス。うわぁ……なんというかこの、ぬくもりの欠落感。ひどいよ! ひどいよ!!
でもね、その直前の調理シーンではインスタント食品が山のように積み上げられているんですよ。
んで、サキちゃんの前にはまがりなりにも手料理が並べられているけれども、父親の前には何も置かれていない。きっとこの後インスタントで済ませるんでしょう。つまり、色々欠落感を感じさせられてしまうような献立ではあるけれども、それでもこの父親は娘のために、娘の為だけに食事を用意しているんですよ。
そして「おいしいか?」と尋ねる父親。「おいしいよ?」と答える幼い娘。
もうね、胸を締め付けられるような名シーンですね……しかもこれ、割と序盤ででてくるんだぜ……



さて、私、ライムスターが大好きでして。だもんで宇多丸師匠の映画評なんかもちょくちょく楽しんでおり、それに影響を受けて観る映画決めたりしておりまして、本作を観たのも宇多丸師匠が高橋監督の前作「クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん」を誉めていて、んでもって見たら見事に泣いてしまったから、なんでございます。*2
その宇多丸師匠、映画評の中で度々自分たちライムスターのリリックを引用したりすることがあるんですが、最新アルバム「Bitter,Sweet & Beautiful」収録の、コンセプト上で中核をなす「Beautiful」のリリックを引用しますと

子供の頃 テレビで観た 悪に立ち向かう無敵のヒーロー
赤 青 黄色 憧れたのは何色のヒーロー?
平和な町に 訪れた危機は CM挟んで
25分後には取り除かれた 強くなった気になれた
それをファンタジーと切り捨てた10年後
そこに 大人が込めたメッセージに気づいたその10年後
で、その10年後 あの日の僕らを前に 今、僕らは何を言う?
世界を映しだすその小窓の向こうに 今、君らは何を観る?

この映画は、まさにこれなんじゃないかと思いますです。
今作、構図としては「みんなでお姫様を助けに行く」という、王道も王道の設定となっています。
夢の世界がテーマですので、徹頭徹尾、精神世界がテーマ、言い換えると精神世界において「助け」「救い」とは何か、みたいな話にもなるわけです。

さて、「夢」には色んな意味があります。夜に見る夢。奔放な想像力としての夢。将来になりたい姿としての夢。
今作は夜に観る夢というのを入り口にしてはいますけれど、奔放な想像力への、そして将来の夢への賛歌、でもあります。
特にそれを象徴するのが、ある人物が「悪夢」に押しつぶされそうに、そしてそのシーンは見方を変えると現実に押しつぶされそうになったとき、そして自ら「夢」を象徴するものを折ってしまいそうになったときにあるものが不思議な光を放って……夢にくじけそうになった時に自分を救ってくれたのもまた、夢そのものだったというね……もうね、たまんないっすね、あのシーンは。


そんなわけで、今作は夢へのアンセムでもあります。
でもね、そんな、将来の夢をはっきりと描いてピカピカしているようなそんな人間ばかりじゃない。むしろそんな人間少数派だと思うんですよ。じゃああれか、特に夢を見ていない俺らは負け犬ってことでええんか、と。
いや、違うんです。これがおそらく最も大切なところだと思うんだけれど。
実は今作に込められているメッセージ性としては、夢の肯定というのは副次的なもので。
もっとも強く打ち出されているメッセージは「君は君のことを好きになっていいんだ!」というものなんです。
だから、もし君が「そんなこと言っても、俺は将来の夢とか特にないし……」とか思っていても、君はそんな君を好きになっていいんだ!!


今作は「みんなでお姫様を助けに行く」話だと書きました。
「みんなで」なんです。主人公はしんちゃんですが、それだけじゃない。
カスカベ防衛隊も、今回大活躍のネネちゃん筆頭に大活躍しますし、野原一家も大活躍する。いわば、友人や周りの大人やみんなが寄ってたかって一人の少女を救うために奮闘します。
その末にたどり着いた結論が「君は君を好きになっていいんだ」、言い換えると「まわりのみんなも、君が君を好きになることを望んでいるんだ」なんですよ!


正直、このメッセージは子供には伝わりきらないかもしれない。
でもライムスがラップしたように、10年後の10年後、届くかもしれない。
今の子供たちの10年後、そしてそのまた10年後に伝えるにはこれ以上強いメッセージはないんじゃないかというくらい、力強いと思うんです。

というわけで、劇場で観て、DVD買って、10年後に観て、そのまた10年後に観る事をお勧めします。

*1:NHKでやってた「連想ゲーム」、大和田さんといえば檀さんですよ!

*2:それなのに4月30日現在、ムービーウォッチマンでは1回リスナーカプセルに入ったきりで、今週分ではガチャに入ってすらいないんだぜ? 宇多丸師匠、もったいないよ!

昭和元禄落語心中、第5話に登場する演目は上方ではどんな具合か、あくまで私の知る範囲で あと芝居噺とか

アニメ コミック 落語

昭和元禄落語心中」第5話、見ました。
三角関係、進行中ですねぇ。菊さんとみよ吉さんのキスシーンも出てきて。しかしあれだな、めんどくせえ男だな、菊さんってのは(笑)。
やはり今回最大の見ものは鹿芝居のシーン。見事に化けた菊さんの艶姿も見ものですし、落語ではないけれど菊さんが初めて自分の芸に自信を持つ、重要なシーンですね。5話序盤で、助六さんの女性の演じ方にダメ出しをしているシーンが示唆的というか。女性の演じ方等、細かな心情の演じ分けに適性があることをそれとなく示唆しているシーンなわけで、それが両方の性別をまたにかけるような役を演じる事で自覚的になったというか。素直に行けばこの後、菊さんは快進撃するわけなんですけれど、さて、どうなりますか。


5話に登場した演目は、助六さんが菊さんの前で披露した「品川心中」のみです。

十代目金原亭馬生・品川心中
「品川心中」は江戸落語移植のスペシャリスト、桂文太さんが「松島心中」の演題で上方に移植し、高座にかけてらっしゃいます。
今回は登場した演目が1つだけだったのでこれにて終了。はい、解散解散……







というのもつまんないので、上方落語でよく見かける芝居噺のことなどをつらつらと。
やはり今回の最大の見どころは噺家の芝居「鹿芝居」。芝居(歌舞伎)を扱った演目を「芝居噺」などと言うそうで。狭義の芝居噺は書き割り使ったりなんたらかんたらで結構手がかかるものだそうなのですが、こちらの方は上方ではとんと見かけません。昔はあったのでしょうが、東京でもなかなかお目にかかれないものになっているようで。
広義の芝居噺となりますと「話の中に歌舞伎を取り入れたもの」となります。
上方落語の特徴としまして、演じている最中にお囃子を賑やかに導入するってのがありまして、そういった意味では芝居噺は上方落語が得意とするところかもしれません。
例えば芝居好きの若旦那が丁稚を巻き込んで大騒動を巻き起こす「七段目」

桂米團治 「七段目」
芝居好きの丁稚さんがお仕置にと閉じ込められた蔵の中で忠臣蔵を演じて見せる「蔵丁稚」

桂米朝 「蔵丁稚」
質草を蔵へ取りに来たはずの質屋の丁稚さんが仕事を忘れて芝居の真似ごとに没頭する「質屋芝居」

桂春之輔 質屋芝居
丁稚どころか一家総出で、暮らしの中で芝居を引用しまくる「蛸芝居」

桂吉朝  「蛸芝居」

これらはいずれも、登場人物が芝居好きで、日常生活でも芝居の真似をしちゃう、という筋立てですが、それ以外にもあります。
例えば、ストーリーの中に芝居が登場するのではなく、歌舞伎の演目を再現すること自体に眼目を置いた変わった演目「本能寺」(でもこれが楽しいんだ!)

米朝 本能寺
アクションシーンが歌舞伎のパロディとなっている「竜宮界龍の都(小倉船」)」

桂米朝 「小倉船」竜宮界龍都
他にも、故桂吉朝さんが復活させたレアな演目「そってん芝居」、文太さんの珍品「大江山酒呑童子 鬼切丸の由来」、歌舞伎の世界自体を舞台とした大ネタ「中村仲蔵」「淀五郎」(それぞれ露の新治さんと桂雀三郎さんの得意技です)、創作では、小佐田定雄作で吉朝さんが演じた「狐芝居」や、笑福亭たまさんによるギャグ満載の「猿之助歌舞伎」などなど。
歌舞伎に詳しかったらきっと倍楽しめるんでしょうが、私は文楽は見たことあるけれど歌舞伎はさっぱりでして*1、それでもカッコ良さを感じたり、様子が滑稽だったり、芝居の真似をしている人物たちが実に楽しそうだったり、演目によってまた演者さんによって色々と楽しみ方があって。
今、精力的に活動されていて芝居噺を得意にしてらっしゃるイメージがある方というと、露の新治さん、桂九雀さん、桂米左さん、桂よね吉さんといったところがパッと思い浮かびますですね。それ以外にも、多くの方が高座にかける、なくてはならない分野です。

*1:だってお高いんだもん