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万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

「この世界の片隅に」観てきました/「主人公」なんて誰でもよかった/ひとそれぞれですよ

アニメ 笑い 美しさ 風景描写 泣ける 心理描写 映画・アニメ

この世界の片隅に、観てきました。
公開翌日の日曜日のレイトショー。9割5分ほど客席は埋まっていたでしょうか。ただ、なんか近畿は妙に上映館が少ないので、それで集中している、ということもあるかもしれません。
上映終了後、客席からは拍手が巻き起こりました。



まだ頭の中で整理できていませんが、思いつくままにつらつら書いていこうかと思います。
まず画面がきれい。とんでもない安定感というか、実在感というか。
原作のタッチに忠実なキャラが溶け込むにふさわしい、柔らかな印象を受ける背景なんですけれど、徹底した考証のおかげなのでしょうか、スクリーンを隔てた向こう側には間違いなく実在しているに決まっているじゃないか、と思わせてくれます。


そして、実に軽妙で楽しいです。
ダレる所なんか一か所もありません。ユーモアたっぷりに繰り広げられるドタバタは、実に上品な笑いを提供してくれます。
観客であるこちら側も、上品にクスクス笑いなんぞしながら観るともんのすごく楽しいのではないかと思います。そういう意味では、友達と一緒に観に行ってもいいかもしれません。でも上映中にしゃべんないでね。約束だよ!
舞台が昭和ヒト桁から20年代の呉ですのでちょっと古風ではありますが、もうたまんなくなるラブストーリーでもありますから、ひょっとしたら恋人と観に行ってもいいかもしれません。今回ばかりはリア充でも爆発しなくていいです。


本作は、基本、主人公であるすずさんの主観で進んでいく物語だと言えると思います*1。重要な例外を除いて、すずさんがいる場面しか描写されません。
ですから、すずさん以外の人物がどのように喜び、どのように怒り、どのように楽しみ、どのように悲しんでいるのかは、すずさん視点でしか描写されません*2
にもかかわらず、脇役たちの姿が目に焼きつき、耳にこびりついて離れません。
この作品のストーリーは、主人公であるすずさんの人生のある時期を切り取ったものですが、その周囲にいる人物たちもそれぞれに喜び、それぞれに怒り、それぞれに楽しみ、それぞれに悲しんでいることが、痛切なまでに伝わってきます。
それこそがこの作品最大の魅力である、と感じました。


つまりですね、なんと申しますか。
この作品では偶然にもすずさんが主人公でありますが、本当は誰でもよかったんですよ、多分。
登場人物すべてに、それぞれの人生があり、それが確かな重み、実感をもって感じられる。そういう作品なんです。だから、誰が主人公であっても、同じくらい良い作品になったに違いない、そう確信させてくれます。


原作者のこうの史代さんは、単行本に必ず座右の銘を記載しています。その座右の銘とは以下のようなものです。
「私は常に真の栄誉を隠し持つ人間を書きたいと思っている」(アンドレ・ジッド
この映画の登場人物で、真の栄誉を隠し持っていない人物は、一人も存在しません。
そう確信させるため、言い換えると、観客である私たちの想像力を掻き立て、その認識に至らせるための徹底した考証であり、丁寧で軽妙な描写や展開であったのでしょう。


この作品には、なんといいますか、便宜上ラストシーンはあるんですが、本当に便宜上、でありまして。
なんで便宜上かというと、我々は見ることができませんけれども、あの愛すべき人々はこれからもそれぞれに喜び、それぞれに怒り、それぞれに楽しみ、それぞれに悲しみ続けるからです。
そして、(なにせ戦争を描いた映画ですから)亡くなってしまった人々も、精いっぱい喜び、怒り、楽しみ、悲しんだのです。
物語はこれからも途切れることなく世代を超えて延々と続き、すでに終わってしまった物語も(なにせ戦争を描いた映画ですから)これ以上ないくらいに愛おしいものであることが、これ以上ないくらい明確に示されます。だから、最後まで席を立ってはダメ!


それぞれの人に、それぞれの人生がある。
言葉にするとこれ以上ないくらい月並みですが、これがこの映画に対する最大の賛辞であることを、現時点での私は信じて疑いません。
ぜひ、多くの人に見に行ってほしい映画です。


*1:実は誰の主観で物語が進んでいるのか、というのは本作の中核をなすポイントだと思うのですが、ネタバレしたくないのでここではこれ以上書き連ねるのはやめておきます。

*2:ふたつ、大きな例外があります。その例外こそがこの作品の中核だと考えますが、ネタバレしたくないので(略)。

露の新治「たちぎれ」/言葉と仕草と嗅覚

落語 日常

2016年10月30日日曜日。丹波橋の呉竹文化センターへ「ももやま亭 復活祭! 秋の陣」を聞きに出かけた。
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お目当ては露の新治さん、というか、いただいた案内メールに、今年は秋の独演会を休み、この会を独演会と位置付けて取り組むとの意気込みが書いてあった。これは期待しないわけにはいかない。
演目は以下のとおり。

新幸……鉄砲勇助
新治……千早ふる
豊来家板里(太神楽)
新治……源平
中入
席亭ご挨拶
新幸(ギター漫談)
新治……たちぎれ


果たして、たちぎれは素晴らしい出来であり、素晴らしい体験だった。
新治さんの高座は上品で華があると思うが、抑制のきいた様子で登場人物の感情を表現していく。
今まで生で接することに恵まれた「たちぎれ」では、ヒロインである小糸ちゃんの在りしの姿が非常に生き生きとした眩しさをもって表現され、それによって悲劇的な事態が増幅される桂文之助さんのそれや、「もうとりかえしがつかない」というどうしようもなく絶望的な事態の深刻さにスポットをあてた濃密な桂よね吉さんのそれが深く印象に残っているのだけれど、新治さんのは(当たり前だが)そのどちらとも異なる。それぞれの登場人物が相手を気遣い自制を効かせ、それでもつい漏れ出てきてしまう感情にこちらは心を打たれる。
そしてそれが最高潮に達したのが、仏壇に線香をあげ、手を合わせると仏壇に供えてあった三味線がひとりでに鳴り出す、あの名シーンだ。
それを聞いた様々な人物が、所作で表現される。下を向く、手を合わせる、思わず涙をぬぐう……登場人物の誰もが言葉を失い、一言も発することができない。沈黙の中で話が進み、その沈黙がこれ以上ないくらい雄弁にその場にいるものの哀しみを表現する。
(ああ、もうこれ以上余計な言葉は要らない)と、そう思っている時に、ふと気がついたのだ。
会場に、いい香りが漂っている。
線香の香りである。
余計な言葉はもう要らないと、所作で表現される感情を味わっている最中に、嗅覚を刺激されたのである。もう、完全に不意打ちだった。
この演目は「たちぎれ線香」である。この場面ではきっと線香の香りが立ち込めていたに違いない。そりゃそうだ。
でも、実際に嗅いでみるまで、そんなことは意識に昇らなかった。
これ以上何を足しても邪魔になってしまうような最高潮の場面で、邪魔にならない上品さで思いもよらないものを足してみせた。その演出に、ものすごく感動して、帰途についたのだった。

桂千朝「ながたん息子(菜刀息子)」を聞いて感じた事/発達障害と向き合うということ

日常 落語

2016年10月29日土曜日。テイジンホールへ「桂千朝独演会」を聞きに行く。
テイジンホールは初めて。昭和モダンな感じがして、雰囲気が良い。ただ、トイレがちょっと狭い。
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演目は以下のとおり

吉の丞……犬の目
佐ん吉……いらち俥
千朝……地獄八景亡者戯
中入
千朝……ながたん息子


ながたん息子が圧巻だった。ながたんは「菜刀」と書き、菜切り包丁のこと。「弱法師(よろほし)」の異題もあり、桂吉朝師が死の直前に壮絶な高座を披露した演目としても知られるが、私はその高座を聞いたことがない。以前に桂小南師の録音を聞いたことがあるのみで、生で聞くのはもちろん初めてだった。
「百年目」が現代的な視点でもマネジメントに関する落語として評価できるのと同様に、「ながたん息子」も現代的な視点で評価できるのではないかと感じた。発達障害に関する落語として捉えることができると思うのだ。
お店の旦那が引っ込み思案な若旦那を叱責する場面から始まるのだが、この若旦那の引っ込み思案の度が過ぎているのである。でも、こういう人はいる。いるのだ。
自分の意思を表出することができない。それどころか、はっきりとした意思があるのかどうかすら、傍から見るとよくわからない。以前録音で聞いた時には、ただ単に落語らしく誇張された人物として私はそれを捉えた。しかしこの日、千朝さんがきっと目を伏せ、旦那さんからの問いかけに返答するのも容易ではないさまを見て、私は「ああ、これは発達障害を抱えた人じゃないか」と感じた。
そうすると、この落語のストーリーがまるで違うもののように見えてきたのだ。
父親の厳しい叱責の言葉、母親の擁護の言葉、そして父親の叱責に込められた願い。それらが、発達障害という概念がなかった時代にそれに立ち向かわざるを得なかった親子の必死の姿に見えてきたのだ。
今日的な視点から見ると、父親のとった対応というのは決して褒められたものではないだろう。それでも、そこに込められた願いの真剣さ、真摯さは否定することはできない。そういった思いに胸が詰まった。
そして、最初聞いた時にはくだらない類のものだと感じたオチが、今回は大きな意味を持つものに感じられた。
ほとんど自分の意思を表現する、自分から何かを発信することがなかった若旦那。それが、たとえその内容が一見馬鹿馬鹿しいものであったとしても、自ら大きな声を上げて何事かを他者に向けて発信する。それ自体が些細ではあるが大きな前進であり、小さくはあるが誇るべき勝利であるように思われたのだ。

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