万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

ウマ娘三期の感想を簡単に記しておく

ウマ娘3期の感想を簡単に記しておく。

結論としては「前半は平凡。後半はとても良くできている佳品」だ。

このアニメの評価が分かれているのは、視聴する側のバックグラウンドの違いにも依存しているように思う。なので、そこも簡単に記しておく。

そもそも、90年代半ばから競馬ファンであった。毎週新潟競馬場に通い、毎週ギャロップ競馬エイトを買っていた。

しかし、社会人になってから基本土日が仕事であった期間が長く、やはり少しずつ関心が遠のき、なんとかギリギリカバーできているのはディープインパクトの引退くらいまでである。なので、キタサンブラック、オルフェーブル、ゴールドシップといった有名な馬たちは、もちろん名前と実績くらいは知っていたが、リアルタイムで追っていない。2010年代の競馬については門外漢に近い。

そして実は、いまだにアニメの一期と二期を見ていない。実は、アニメの一期が始まった時に第一話だけ見ようとしたのだが、レースシーンを見て視聴をやめてしまった。当たり前と言えば当たり前なのだが、レースシーンに物足りなさを感じたのだ。そりゃ、歩き始めたばかりと言えるアニメ一期1話のレースシーンと、実際の競馬のレースシーンを脳内で比べること自体、フェアじゃない気もするのだが。

やがて第二期が始まったのだが、終盤にアプリがリリースされた。二期も見ておらず、アプリの事前登録もしていなかったのだが、アプリリリース当日にTwitterのタイムラインがあまりに楽しげなものだったから、リリース初日からプレイしている。んで、ハマってしまって、その影響で久しぶりに競馬にも復帰した。

まとめると「競馬ファンウマ娘ファンだが、アニメ1期2期と、リアル競馬2010年代からウマ娘リリースまではエアプ」だ。

さて、というわけでコンテンツとしてのウマ娘はアプリを中心に楽しんでいると言えるのだが、アプリ内では中々描ききれない競馬のあり方、というのもやはりある。その一つが「ピークアウトして、成績を落として引退していく姿」だ。

これ、「そんな姿は見たくない」というのも心情としては良くわかるのだが(実際、「これ以上晩節を汚さずに、もう引退させてやれよ……」と思う馬というのも、割とたくさんいる)、一方で、ピークを過ぎても戦い続ける姿が忘れられない馬、というのもやはりたくさんいる。

例えばナリタトップロードの引退年。ついに再びのG1には手が届かなかったが、阪神大賞典で次世代のジャングルポケットをねじ伏せ、秋の天皇賞では苦手な中山開催だったのにシンボリクリスエスに半馬身まで迫り、年末の有馬記念ファン投票1位を取るまでに愛された。

3期はこれを描こうとしたチャレンジ、だというふうに捉えている。アプリでは中々描ききれないこのチャレンジについては肯定的に評価しているので、私の3期への評価も肯定的に寄る。

実際のキタサンブラックがピークを過ぎて翳りを見せていたかというと、それは実に疑わしい。そんな馬をベースにピークアウトした姿を描こうとするなよという意見も一理ある。

だが、では実際にピークアウトして引退する姿を描こうとした場合、「負けが混んで、そのまま寂しく引退」では、あまりに視聴の後味が悪過ぎてお話にならん、とも思うのである。最後の花道を飾れる展開にしないとエンターテイメントとしてかなり難しいことになる。

では、ウマ娘になっている競走馬の中で、見事に最後の花道を飾ってみせたウマ娘は誰か? これはキタサンブラックだろう。

私の中では「そうだよな。引退を描くならキタサンブラックがピッタリだよな!」となってるわけだ。

だもんで、美しい引退を描くがために「実際にピークアウトしていたのか?」という部分の解釈をアニメではいじった。歴史小説における歴史の最解釈みたいなものだと認識している。

あとは、その歴史観、新たなキタサンブラック像を受け入れられるか、お気に入りになるかという話。もう、好みだろう。また、何歳の時に見るかにも、どの程度競馬をみているかにも、アニメ1期2期への思い入れがどの程度あるかにも、大きく影響されるだろう。まだまだ若く希望に溢れたあなたと、もう人生を9割方諦めている私とでは、黄昏に対する感情移入が段違いなのだ。

私個人としては、引退の描き方には大満足である。むしろ、1クールのペースなら、キタサンブラックのキャリアの前半をもっともっと大きくカットして、後半部分をより長くじっくりやって欲しかったまである。しかしそうすると、アニメにとどまらないコンテンツとしての「ウマ娘」において目玉になるであろうドゥラメンテにスポットを当てられないと言うことも意味するので、商業的な理由から現実的ではないだろうなとも。