私自身も確か触れなかったと思う。なぜ触れなかったかというと、この作品を作者の人生と結び付けて語るにはまだ早いような、それにふさわしいのは読者にとって(そして願わくば著者にとっても)、発表当時のことを過去として振り返ることができるくらいの時間がたってからであるような、そんな思いがあったからだ。
こんなに早く過去になるとは思わなかった。
「ハーモニー」と著者の人生を結びつけて語るのは、その作品が鮮烈であるが故に、あまりに容易だ。
「ハーモニー」は人間性の否定に抵抗し、精一杯悪あがきして敗れる物語だった。
伊藤計劃氏が様々な治療を受けたであろうことは想像に難くない。そんな中で、自分が人間でないような感覚を覚えたと想像するのはあまりに容易だ。
おぼつかない足元で、とにかく抵抗する主人公に作者を重ねる誘惑に駆られてしまう。
容易であるが故に、それはやってはいけないことなのではないかという気がしている。
色んな方に対して失礼な発言になるかもしれないが、一人の人の生というのは、小説一冊で語ることができるほどの情報量しか持っていないのだろうかというと、そんなわけないじゃないかという思いがある。
誘惑に駆られ「ハーモニー」と伊藤計劃氏を重ねて語るのは、故人の豊饒な生に対する侮辱になるのではないだろうかという恐れがある。
そうか、やっぱり、まだ過去にはなっていないのだな。当り前か。