「不死細胞ヒーラ ヘンリエッタ・ラックスの永遠なる人生」を読了しました。
タイトルにもなっているHeLa(ヒーラ)細胞とは、1951年から現代にいたるまで世界各地で培養され続けているヒトの癌細胞です。医学の進歩に多大なる貢献をしています。ポリオワクチンも、子宮頸癌などを引き起こすヒトパピローマウイルスのワクチンも、ヒーラ細胞なしでは存在しなかったでしょう。
この細胞は、ヘンリエッタ・ラックスという黒人女性から無断で採取されました。ヘンリエッタ・ラックスの頭文字をとってHeLa細胞と呼ばれているわけです。ヘンリエッタ・ラックスは1951年に癌で死去しています。
ヒーラ細胞のドナーがヘンリエッタ・ラックスであるということは、長い間明らかにされませんでした。明らかにされたのは1970年。ヘンリエッタの遺族が、人づてにおぼろげな形でヒーラ細胞のことを知ったのが1973年。
ヘンリエッタ・ラックスの人生と、ヒーラ細胞やその研究がたどった歴史だけでも、十分に面白い本になったでしょう。実際、その部分だけでも面白いですし、それが読めることを期待して私もこの本を買ったのですし。
しかしながら、私が本書に感動を覚えたのはそれ以外の要素でした。
実は本書の邦題、サブタイトルに偽りありと言わざるを得ません。
扱われているのはヘンリエッタの人生だけではないからです。
ヘンリエッタの遺族たちの人生。
そして何より、その娘、デボラの人生が扱われているのです。
デボラが幼い頃にヘンリエッタは亡くなってしまったため、デボラには母の記憶がありません。
こういっちゃなんですが、デボラの人生は幸せなものとは言えなかったかと思います。
少女時代に性的虐待を受け、最初の夫とDVが原因で離婚し、シングルマザーとして爪に火をともすような生活を送っている黒人女性です。
そんな彼女に、母の細胞が生きているというニュースが飛び込んできます。ただ、これは専門家が説明してくれたわけではありません。人づてにたまたま飛び込んできたニュースです。「これが真実なんだよ」と親切に教えてくれる人はいませんでした。
デボラは母のことを知りたいと思ったのでしょう。様々な情報を集めたり、行動したりしました。
しかし、ヘンリエッタは少し特別な存在でした。過去の思い出話を掘り出せばそれで済むというわけではありません。何しろ、母の細胞が今も世界各地で生きていいるのですから。
彼女は高水準の教育を受けているとは言い難いです。科学に対するリテラシーは高くはない……というより、むしろ低かったと言っていいかと思います。
それでも、母は既に医学の世界の住人でしたから、彼女は雑多な媒体から自分流に学んでいくしかありませんでした。医学についてではなく、母について。
複雑な感情や家庭環境に翻弄され、社会の状況にも影響され、科学に対する誤解や偏見も抱いたりしながら、それでもデボラは母についてのことを学び続けました。精神的な重荷でつぶされそうになった心を宗教に救われたりもしています*1。
彼女が専門家並みにヒーラ細胞について理解していた、とは決して思いません。それでも、デボラは母のことを知るために科学について学ぶ必要があり、そしてそれを学んだのです。
最近、ネットでは「情報弱者」「情弱」という言葉を目にすることも多いですが、デボラの姿の前に、その「情報弱者」なる言葉がなんと薄っぺらく見える事か。
デボラは一生をかけて学び続けたのです。
彼女をご親切に「啓蒙」してくれるような人物はほとんどいませんでした。それでも彼女は学んだ。
デボラが生き別れの姉の最期について調べ、事実を知った時の言葉を引用しましょう*2。390ページより。
「兄弟たちにいつも言ってるんだ。歴史を調べるときは、恨みがましい態度を持っちゃだめだって。時代が違ったんだっていうことを、思い出さなきゃいけないってね」
私は、故デボラ・ヘンリエッタを、心より尊敬します。
真の賢人になったが故に。