「君の名は。」2回見て来ました。実は3回目のチケットも予約してまして、開場までの待ち時間にスマホをポチポチいじって、この文章を書いております。
これから「君の名は。」の感想を書こうと思います。ネタバレしますので、まだ見ていない方は注意してくださいね?
本当に、ネタバレしますからね?
さて、今作は爽やかで、痛快で、泣ける、荒唐無稽なファンタジーであります。
ええ、荒唐無稽ですとも。だっていわば「強く思い続ければ、どんな障害があろうとも必ず想いは届く」って映画ですよ? これが荒唐無稽でなくてなんだっていうんですか。ええ、もう、大好きですとも。
ただ、この「ファンタジー」には、信じるだけの価値があるのではないかな? と思います。
さて、私は「君の名は。」にどのようなファンタジーを、人間にとって必要不可欠な幻想を見出したのでしょうか?
それはもう書きました。「強く思い続ければ、どんな障害があろうとも必ず想いは届く」です。
で、ですね、これ、めちゃ重要だと思うんですか、作中で届いた想いは、ようやく聞き届けられた祈りは、主役である三葉と瀧、二人だけのものではないんです。
作中、宮水の女系は、三葉と同じように「入れ替わり」を過去に体験していることが語られました。
おそらく母、祖母、曾祖母と遡っていくのでしょう。
糸守湖は隕石のクレーターに水が溜まった隕石湖でした。
もう一箇所、クレーターが出て来ます。宮水神社の御神体があるところ。クレーターの中心に、御神体は位置します。
その御神体が置かれている場所には、彗星の壁画が描かれていました。
つまり、過去に最低2回、糸守の地は空からの災害に見舞われています。
あの彗星は1200年周期で公転していることが作中で明言されていますので、1200×2=2400です。
従って、ですね。
今作で届いた想いは、聞き届けられた祈りは、最低でも2400年の蓄積を持つのです。
2400年の間に2回、糸守の地を襲った未曾有の大災害。このような悲劇を繰り返してはならないという想いが、1200年前は回避できなかったけれど、今度こそはという祈りが、現在にまで伝わっていたのですよ。
まぁ、タイムリープなんて荒唐無稽の最たるものですよ。そのようなインチキに頼らなければ、このような幻想は維持などできないのか? と疑問に思ったり、冷めてしまう人もいるかもしれません。
ちよっと待って。私たちはこの想いに似たものを、この祈りに似たものを、実例として知っているはずです。きっと探せばたくさんあるでしょうが、ここでは浅学の私が思いつく程度で許していただきたいのですが。
東日本大震災では、現在まで伝わっていた想いのために救われた人がいました。「ここから下に家を建ててはならない」
http://memory.ever.jp/tsunami/tsunami-taio_307.html
津波てんでんこ。過去の経験からこの言葉が作られ、多くの人を救いました。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E6%B3%A2%E3%81%A6%E3%82%93%E3%81%A7%E3%82%93%E3%81%93
悲しい例もあります。「八木蛇落地悪谷」この地名にどういった想いが、どういった願いが込められていたのか、今となっては知るよしもありません。
http://takanashi.hateblo.jp/entry/2014/08/28/235406
作中で、伝統の意味は既に失われてしまっていることが語られます。その伝統の意味はわからないけれど、それを伝えていくことが大事なのだ、と。
だって、1200年前の、そして2400年前の、想いが、願いが、悲しみが、怒りが、無念さが、祈りが、たとえほんの欠片だけでも残らず、すっかり消え失せてしまっているとしたら。
こんなに悲しいことはないじゃありませんか。
ですから、本作は時間に反逆するエンターテイメントです。それは三葉と瀧を隔てる三年だけじゃない。1200年、2400年、いや、もしかしたら3600年、4800年、もっとでさえあるかもしれない。
そんな悠久の時の流れにすら反逆している、そのような作品だと思うのです。
忘れ去って、なるものか、と。
と、いうわけで「君の名は。」は「強く思い続ければ、どんな障害があろうとも必ず想いは届く」という幻想を扱った作品だと思うわけですが、どんなもんでしょうね?
私は大好きであります。
追記
twitterで上記のエントリを知りまして、このエントリを書かれたしのさんとやり取りする中で自分の考えが次第に言語化され、そのおかげでこういった感想を書くことができました。
ウチみたいな零細ブログからであれなんですが、わずかながら感謝の気持ちも込めまして、皆様にご紹介させていただきます。