万来堂日記3rd(仮)

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「最後から二番目の真実」はいいタイミングで復刊されたかも

最後から二番目の真実 (創元SF文庫)

最後から二番目の真実 (創元SF文庫)

待望の復刊。
というか、ディックの本だったらなんであろうと私にとっては「待望」なんだが。
敬愛する作家であるディックについては冷静に語ることが中々できないので、この本が色んな人にオススメできる水準にあるかどうか、わからない。私は十二分に楽しんだので、ディックファンの人はきっと楽しめるだろうけれど、ディックファンじゃない人が読んでも楽しめるかどうか。面白いとは思うんだけどなぁ。


ただ、本書はマスメディアがテーマとなっているという点でユニークである。
以下、若干のネタバレを含みます。

マスメディアによる情報操作が大きな道具立てとして扱われている本作。これで、国家権力がマスメディアをも支配してしまっているという構図だと、まあなんというか、古きよきSFな感じなのだが、本作ではそれが逆転している。マスメディアが国家権力の座にまで登りつめたのが本作の未来世界なのだな。


ディックという人は、基本的に小市民的な人間観というものにとても愛着を抱いていた人だと考えている。隣人には優しくとか、ささやかでも幸せになりたいとか。それだからこそ「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」では、「感情移入」という要素が重要な意味を持つこととなった。
私生活で必ずしも恵まれているとはいえなかった(と、少なくとも本人は思っていたんじゃないかな)ディックは、特に秀でたところを持たない主人公たちが、ささやかな幸せを求めて苦闘する話ばかりを書いている。それが世界の命運や現実の不確かさと容易にリンクしてしまうあたりが、なんとも独特であったわけだけれども。


「最後から二番目の真実」でもそれは変わらない。お得意の一人称多視点が採用されているんだけれど、それぞれの主人公たちは、特にこれといった取り柄を持たないように見える(というか、秀でた人物であると説明はされるのだけれど、読んでいてもそんな感じはしないんだよな)。
その主人公たちが苦心惨憺の末にたどり着いたのは、実にささやかな勝利であり、実のところ、それは勝利であるとさえいえない代物だ。ちょっとした新たな視点の獲得程度のことに過ぎない。
それでもそのラストがそれなりに意味を持つのは、主人公の状況というのが、もう陳腐なくらいに今の私たちの状況に当てはめやすいからだ。
だってそうでしょ? マスメディアによる情報操作? マスメディアの権力化? 「俺たちはだまされていたんだ!」?
なんと陳腐な!


陳腐だろうがなんだろうが、その中で生きていくしかないわけで、そんな私たちにとっては、「最後から二番目の真実」は、ささやかかもしれないがそれなりの意味を持つ。


ちなみに、原著の刊行は1964年。
素晴らしいね。