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万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

「イヴの時間」/夢見る脊椎動物/いやはや、すごいSFアニメを見逃していたもんだ!

SF 映画・アニメ

イヴの時間

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いやあ、ついさっき、ネットで3話までみたんだ。
で、発作的に1話と2話のDVDをAmazonのカートに入れてしまったわけなんだよ。
いやあ、すごいアニメを見逃していたものだ!

以下、盛大にネタバレを含みつつ、絶賛する。

ではまいります。
まずは簡単なあらすじ。

近未来の日本。人間型ロボットであるところのアンドロイドが実用化され、一般家庭にも導入されている世界。ワイドショーではアンドロイドに依存する若者の話題が消費され、ロボット排斥につながりそうなCMが、政府広報のCMっぽい感じでテレビで流されている、そんな世界。
主人公のリクオは、自分の家のアンドロイドのログに、不自然な「寄り道」が記録されていることに気が付き、友人のマサキと一緒にアンドロイドが「寄り道」した場所へを訪問する。都会のうらぶれた雑居ビル。そこにあったのは一見怪しげなドア。
ドアの向こうにあったのは「イヴの時間」という名の喫茶店。
入口におかれた黒板にはこの喫茶店のルールが書かれている。曰く、この喫茶店では人間とアンドロイドを区別しません。
実際、その喫茶店の中では、外の世界でアンドロイドの頭上に天使の輪のように輝いている識別マーカーが表示されないようだった。
アンドロイドなのか人間なのかはわからないが、リクオはイヴの時間で様々な「人物」を知る機会を得ていく。



ってなところかね。
パッと連想してしまうのは、やはりかのフィリップ・K・ディックの著名な作品「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」だ。作中でさらりと「ブレードランナー」なんていう単語が出てきたりもする。
未読の方はぜひご一読を。おそらくその方が、この作品を楽しめる。「イヴの時間」を見たあとでもいいから。
この作品ではアンドロイドと人間を隔てるものとして、感情移入をする能力が挙げられている。ディックというのは、一見高尚な問いを発しているように見えて、実のところ、実生活のやりきれなさに顔を真っ赤にして激怒し続けた作家である。すっごく俗っぽい言い方をするならば「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」ってのは「お前ら人間じゃねぇ!」という思いが詰まった小説でもある。
とはいえ、人間じゃねえと言いたい相手に欠けている要素として感情移入能力を挙げているのはさすがといったところだ。初めて読んだ高校生の頃にはさっぱりだったが、「心の理論」やら「サイコパス」やらといった言葉を知るようになって振り返ってみると、また違った印象を受けるよなぁ。


で、そのアンドロ羊の映画化がかの有名な「ブレードランナー」なわけだ。
ブレードランナーは原作をくるりと反転させて見せる。いうならば「アンドロイドの方がむしろ人間らしいんじゃないの?」といったところ。伊達にタンホイザーゲートは見てきていない!*1


そして「イヴの時間」。
いきなり1話で、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の構図を、「ブレードランナー」とはまた違った形でくるりと反転させて見せるのだ。
いいか、ネタバレするよ?













えーとですね。
ディックは自分が「理解できない」と思った人間をアンドロイドという形で扱った。
ブレードランナーリドリー・スコットは、むしろアンドロイドこそが我らが共感できる、被差別者として描いて見せた。
「イヴの時間」のアンドロイドは、身近なエイリアンだ。宇宙人ではなくて、異質な存在としてのエイリアンね。
第1話で描かれるのは言わば「人間ってどんな夢を見るんだろう?」と興味を持ち、理解しようと努めるアンドロイド。
人間が「アンドロイドは夢を見るか?」って言ってるけど、実はアンドロイドの方も「人間って夢を見るのかな?」って思ってるって寸法さね。


さらに、だ。
このアニメではかの有名なロボット工学三原則も扱われている。引用しよう。

* 第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
* 第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
* 第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

(日本語訳は『われはロボット』小尾芙佐訳 昭和58年 早川書房 P5 より引用)

つーわけで、孫引きになるわけだけれど。
三原則の生みの親、アシモフがその作品で示したのは、人間から見ると不可思議に見えるアンドロイドの行動が、実は三原則に基づいたものだった、ってな作品だった(もちろん、そういった話ばっかりってわけじゃないですよ!)。
2話〜3話で、「イヴの時間」はこれをもひっくり返しているように見える。
つまり、ロボット工学三原則が、アンドロイドにとっての「感情」として機能する可能性の示唆。


さらにさらに。
「イヴの時間」店内では、アンドロイドにとっても相手が人間であるかアンドロイドであるかが識別困難なことまで示されている。
うひゃぁ! なんだよ! どこのウィトゲンシュタインだよ! どこの中国語の部屋だよ! どこの哲学的ゾンビだよ!
私たちにとって、他人の主観的経験、っていうか自分の主観的経験以外の物事ってのはつまるところ絶望的なまで知り得ないわけで。「たぶんあの物体は私と同じような主観があるのだろう」という推測に基づいて行動や判断をしているにすぎない。まあ、その方が社会的な生活を営む分には有利に働くことが多いんだろうね。私達が動物や、時には物体や自然現象にまでも「感情」を見てしまうのは、おそらくそういった要素が淘汰圧とし働いた結果、備わった能力なんだろう。
ちょっと話はずれたが、このアニメはもしかしたらそんなところま切り込んでいくかもしれない。



私は何をこんなに興奮しているのか?
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」や、アシモフのロボットものを超える可能性のあるSFアニメがでてきたら、そりゃ興奮するだろ。
しかもこれ、ありそうでなかった超え方だよ?

*1:劇中でアンドロイドを演じたルドガー・ハウアーの名台詞にちなんでます。ご存知の方の方が多いかと思いますが、一応