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万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

カーネマン「ファスト&スロー」と伊藤計劃「ハーモニー」が出会ったら


ダニエル・カーネマン「ファスト&スロー」はごく控えめに言って、ドーキンスの「利己的な遺伝子」だとかジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」と同じくらいか、それ以上に広く読まれるべき大変重要な一般向け科学書ですが、まあ、それはそれとして。
伊藤計劃「ハーモニー」が好きな奴は全員「ファスト&スロー」読んでおけ、というのが本エントリの結論です。



簡単に内容をまとめますと、「ファスト&スロー」は、人間の判断と言うものが如何にいい加減で非合理的で根拠がなくてそのくせ自信満々であるかを、これでもかこれでもか、えい、これでもか! と論じた上で、それは人間に備わった特性であるから逃れることなど不可能でお前は絶望に苛まれながら滅んでいくのだ、というのを、「ノーベル経済学賞受賞」という肩書を利用してビジネス書のふりしてみんなに読ませてしまおうという、大変に悪の秘密結社的な企みであります。

人間は非合理的なのが常の姿でありディフォルトである、という、いわば心理学的人間観というのはもっと広く社会に浸透すべきだと思います。いつかはそういった軸に沿った書籍紹介なども書いてみたいですが、それにはまだ読んでいない本が多すぎて*1、いつになったらできることやら。

カーネマンはこれを「少ない材料で連想的・直感的に物事を判断・評価するシステム1」と「物事を慎重に合理的に判断することがやろうと思えばできるんだけど、働きたくないので基本システム1にお任せなシステム2」という2つのシステムが人間の判断・評価・意思決定において働いているという形で論じていくんですが、いや、本当ね、人間なんていい加減で嫌気がさすというか、感情なんて邪魔でしかねえな、と。
もちろん、生き残るのに役に立ったから、今でも人間に感情なんて言う扱いにくい代物が残っているんでしょうが。もうね、色々な面において知識が不足している子どもの頃なら今でも感情は有用なんでしょうが、もう成長するに伴って感情を失っていった方が世の中、ずっとうまく回るのではないかと。ったく、めんどくせーな。あらかじめそういう風に進化しておけよ、人間。



と、いうわけで。
現代社会においては、非合理的ではあるが迅速に判断することで「その決断は遅すぎた」というリスクを回避するシステム1なんていらねーんじゃねーかとか、ここまで思ったところで、伊藤計劃の「ハーモニー」ですよ。進化していないのなら、テクノロジーで何とかすればいいんですよ!

伊藤計劃は、その時流行っている生きのいいトピックを自身の内面的な葛藤と組合わせることが非常に巧みであった、と思っています。
虐殺器官」では進化心理学的な視点ってのが盛り込まれていますし、他にも民間による軍事行動とか、昨今的なネットワークの描写であるとか。
残念ながら間に合わなかったわけだけれど、もし伊藤計劃が「ファスト&スロー」を読んでいたら、これはもう間違いなく「ハーモニー」に組み込まれたはずで。物事を必要以上に複雑にしない、その一歩手前で踏みとどまる「わかりやすさ」というのが作品を非常に魅力的にしているんだけれど、それでも、もっと複雑になったでしょう。
劇的な形で「自己」を否定して見せた「ハーモニー」のラストは、また違うものになっていたはずです。
そもそも「自己」って、封じることが可能であるものなのか、単一の「自己」なるものを想定することが妥当であるのかどうか、とか。
感情を封じることは、実はディストピアでもなんでもないんじゃないか、とか。



と、いうわけで、カーネマンの「ファスト&スロー」は、まあ、全人類が読むべきなのですけれど、とりわけ伊藤計劃「ハーモニー」が好きだという連中は必読です。

*1:「目撃者の証言」と「マインドタイム」は、やっぱり読んでおかなきゃだよねぇ……