万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

KOHEI JAPANと日本の「リアル」なHIPHOP

KOHEI JAPANのニューアルバム“FAMILY”をようやく手に入れることができた。
彼のソロアルバムとしては3枚目。自身が所属するグループであるMELLOW YELLOWでも4枚のアルバムをリリースしているので合わせるともう7枚目になる。
これまでのキャリアの中で、最も愛すべきアルバムだと思う。最高だ。


自らがトラックメイキングの多くを手がけていたこれまでのアルバムとは異なり、外部のプロデューサーを多く起用しているのが本作の特徴だ。自分自身の手による楽曲は二曲に留まり、実兄であるRhymesterMummy-DMummy-D竹内朋康のユニットであるマボロシMURO、DJ SANCON、DJ MITSU THE BEATSGAGLE)、KREVAがそれぞれ一曲ずつ、個人的にはSoffetの“Life”や“春風”といったナンバーが印象深い藤本和則が2曲、Physical Sound Sportsがスキットを2つ手がけているが、何といっても気鋭のプロデューサーチームであるBuzzer Beatsが5曲を手がける大活躍である。このアルバムが彼らにより注目が集まるよいきっかけにならんことを。それにふさわしい見事な仕事をしたのだから。


前作となるMellow Yellowの“地球ウォーカー”同様、本作のトラックも多彩である。重心の低いファンキーなトラックを軸に、メロウなトラックやちょっと変わった、フリーキーなトラックが花を添える感じ。
ただ、こんなことを言うと失礼かもしれないのだが、トラックだったら今までのアルバムだって優れていたのだ。
あまりにも研ぎ澄まされたリリック、KOHEI JAPANのMCとしての充実ぶりが、本作を今までとは一味違うものに仕立て上げている。


なんといってもベテランだ。そのテクニックは今までの作品や数々の客演で証明済みである。
声質も節回しも決して派手ではないが、巧みにリズムに乗り、耳に心地よい韻を踏む。真っ当すぎるぐらい真っ当なスタイルは、本作でも変わっていない。
というか、彼くらいのレベルのラッパーに、今更スキルやらテクニックやらいうこと自体がおこがましい。
つまり、テクニックやスタイルは今までどおり。ただ、リリックの内容が深みを増しているのだ。


本作の歌詞を一言で表すとすると「家族へのラブソング」である。
妻子もちであり、今でも調理師とミュージシャンの二束のわらじを履きこなしていることが、リリックの端々に顔を出し、浮ついた雰囲気を一切排除している。地に足が着いているのだ。
もっと具体的にいうならば、それはそんな境遇でがんばる自分を支えてくれることへの感謝であったり、なかなかそれに報いることが出来ないことの謝罪と愛の告白であったり、行く行くはその苦労にきっと報いるという固い決意であったりする。


そもそも日本におけるシーンの黎明期からして、そのような生活感のあふれるリリックというのは、HIPHOPでは敬遠されがちであったところがある。
90年代に「J-RAP」なるフレーズをあてがわれてメディアに持ち上げられた楽曲群は、EAST-ENDやスチャダラパーに代表されるように、生活感あふれる日常性を大きな特徴としていた。
反面、それらは軽薄に感じられる点や、まさにメディアにも持ち上げられている点がシーンの反発をも招いた。
その象徴のひとつが、伝説的なイベント「さんぴんCAMP」でのECDの一言
「J-RAPは俺が殺した!」
であったりする。
結果、いわゆる「リアルでハードコアな」内容のリリックがシーンを席巻することとなる。
もちろん、何がリアルで何がハードコアなのか、それぞれのアーティストによって解釈は異なったし、そのなかで様々な曲が生み出されたことは間違いない。
ただ、明らかな傾向として、HIPHOPを知らないリスナーには中々理解しづらい、HIPHOPコミュニティーの中でのみ通用するような言い回し、価値観が導入されるようになったと思う。
スチャダラパーが、そういった流れを意識したアルバム“FUN-KEY LP”を発表したタイミングで再び評価が高まったりもした。
今ではマスに名を知られるグループの代表格であるRhymester宇多丸師匠が、94年発表のアルバム“EGOTOPIA”に収録された“口からでまかせ”で、いみじくもこのようにラップしている。

HIPHOPのどこがリアル?
それは現場 つまりここにある

これは確かに真理であるとも思うのだが、反面、現場というある意味限定された場に「リアル」を閉じ込めてしまう発想だともいえる。多種多様なリスナーそれぞれにとっての「現実」には、この「リアル」では対応しきれないのだ。
言い換えると、当時は宇多丸師匠ですらそのようにラップしていた。それが時代の必然だったのだ。


時代は流れ、時代の必然も変化していく。それはシーンで確立された「リアル」を、より日常的な「現実」へと回帰させていく流れとして捉えることが出来る*1
今思い浮かぶのは社会情勢や時代の雰囲気をも取り込み、かつくだらない日常をも取り込むRhymesterだったり、より内省的な苦悩を秘めたリリックで復活を遂げたGAKU-MC/EAST-ENDであったり、ヒットチャート的に広く支持されたKICK THE CAN CREWRIP SLYME、POPでジャジーな曲をつくり続けるSoffetであったり(偏っているのは勘弁しておくれ。満遍なくシーンを追いかけるだけの金も時間も無い)。
KOHEI JAPANは本作“FAMILY”で、そのひとつの到達点を示したといっていいだろう。
自らの日常、自分のライフスタイルと深くリンクし、それでいて耳に心地よく、その点が正にかっこいい。ここまでリリックと自らの日常を深くリンクさせることに成功したMCを、私は寡聞にして知らない。
今年買った新譜の中では今のところこれがベストだ。傑作である。

*1:もちろん、従来どおり現場的な「リアル」にこだわった曲もまだまだつくられ続けている。こちらはこちらで無くしてはならないものだ。多様性は大事。