上記読了。面白かったー。
シリーズの既刊で張られていた伏線をこれでもかと回収している。
で、その中でもあのエピソードが重要な伏線となっていたとは! いやあ、痛快痛快。
電車で出かける用事があり、その車内で読んでいたのだけれど、ラストに近づくにつれてこちらも引き込まれてしまって、後もう少しというところで目的の駅についてしまった時の悔しさといったら。
で、そのままホームのベンチに座り込み、ラストまで一気に読んでしまった。
で、連想したのが北村薫の「秋の花」だった。いや、私、ミステリには詳しくないので、引き合いに出すのにもっとふさわしい作品があるに違いないのだけれど、私が「ああ、シリーズ物に手を出してよかった! この本の面白さはシリーズの既刊を読んでいてこそ充分に楽しめるってもんだよね」と膝をうった本というと、なんといっても「秋の花」なのだ。
以下、「秋の花」のネタバレを含んでしまうので、未読の方は読まないほうが良いかと思う。それよりも文学少女シリーズか、北村薫の「空飛ぶ馬」「夜の蝉」「秋の花」を読んだ方がいい。もうどれも読んでしまっているし、この続きを読む気もないという人は、えーと、お昼寝でもしてはいかがでしょうか。
「文学少女と慟哭の巡礼者」はシリーズのそれまでで張った伏線を回収するし、そんな重要だとは思っていなかった要素が実は重要な伏線であったという驚きをもたらしてくれる。いわゆるシリーズ物の魅力を発揮させる方法としては、実に真っ当な王道である。
対して「秋の花」はちょっと異なる。「このシリーズはこういった感じのものだ」というイメージを読者が持っている、というのが、大変に重要な要素となる。
「空飛ぶ馬」「夜の蝉」はいずれも短編集で、女子大生の「私」と、探偵役の落語家 円紫師匠が日常に潜むささやかな謎を解き明かしていく。日常に潜むささやかな謎というのが当時は目新しかった(だろう)し、その日常を捉える瑞々しい感性もなんとも言えず良かった。なんというか、癒し系だったのである。
で、そんな癒し系のシリーズにおいて。
「秋の花」ではとうとう、人が死んでしまうのだ。
これまで日常のささいな謎を追っていたささやかな世界において、初めて死人が出る。
そして(ミステリにおいては)「たった」一人が死んだだけだというのに、その死がどうしようもないくらいに、登場人物たちに暗い影を落としていく。「人の死」というものが、どんなにか重い物であることか。
これが、名探偵あるところに死人ありみたいなシリーズだったら、人の死の重さを充分に表現することはできなかっただろう。その意味で、文学少女とはまた違った形、それまでのシリーズのイメージを逆手に取るという形で、シリーズ物の強みを活かしきった傑作であると思う。
いや、ラストシーンは今でも忘れることが出来ない。