万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

勝手にSFだけでハヤカワ文庫100冊 その8 サイバーパンク農業(52〜60)

かつて、そこには豊かな森が広がっていた。最初期にそこに移り住んできた作家たちはその地域の利用可能な資源の豊かさに目を見張った。入植者たちは「SFktkr! これで勝つる!」と喜んだ。
仕留めやすい獲物も多かったし、果実ももぎ放題だった。
すぐ近くに農業に適した土地も見つけた。季節によってその土地を訪れる程度だった作家たちは、そこに定住し始めた。
やがて土地がやせてきたが、テムズ川の水が氾濫し、大洪水となった。新しい波とよばれたその洪水が引いた後には、豊かな土壌が土地を覆っていた。
農業の技法も発達し、なおも人口は増え続けたが、80年代を迎えるころには、再び土地がやせ始めていた。降雨量も減少しており、空気も乾いており、洪水を期待するわけにもいかなかった。
やがて血気盛んな若者たちが、「サイバーパンク! サイバーパンク! サイバーパンク! 大事なことなので(ry」と叫びながら森に火を放った。
焼畑農業の誕生である。

52・「クローム襲撃」ウィリアム・ギブスン
53・「ニューロマンサーウィリアム・ギブスン
54・「蝉の女王」ブルース・スターリング
55・「スキズマトリックスブルース・スターリング
56・「ソフトウェア」ルーディ・ラッカー
57・「空洞地球」ルーディ・ラッカー
58・「ミラーシェード」アンソロジー
59・「ハードワイヤード」ウォルター・ジョン・ウイリアム
60・「重力が衰えるとき」ジョージ・アレック・エフィンジャー


以前もサイバーパンクについて書いたことがあるんだが、その時の文章を引用すると、

サイバーパンク運動の提唱したことを簡単にまとめると、SFにおけるサイエンスってのを復権させようぜってのがひとつ。で、そのサイエンスやらテクノロジーやらってのが一部の特権的なものではなく、もっと日常に入り込んだ、社会に密着した、市井にまみれた様を書いていこうぜ、ってのがひとつ。

とまあ、サイバーパンクというのはこのような理念を持った威勢のいい若手SF作家たちが起こした運動と言える。
理念的にはこれでOK。ただ、サイバーパンクとして語られる作品が必ずしもこの理念通りにすんなり収まるわけではない。例えば、中心人物のひとりであったルイス・シャイナーはむしろ「うち捨てられし心の都」([asin:4150108773][asin:4150108781])や「グリンプス」([asin:448870901X])といったファンタジーよりの長編で知られているし、敢えてこのエントリではリストに加えなかったグレッグ・ベアの「ブラッド・ミュージック」([asin:4150107084])などは、サイバーパンク運動最初期に深くかかわった人物であるのに、むしろ昔ながらのSFを継承しているようなところがある。マーク・レイドローの「パパの原発」([asin:4150107726])などは、サイエンス色よりもむしろ社会風刺色が強いし、ラッカーにいたっては、なんつーか、その時たまたまその場に居合わせただけで、ずーっと数学SF書いていただけなのだ。
つまり、なぜにサイバーパンク焼畑に例えるかというと、「よーし、こんな畑を作るぜ」と火をつけて、その試みは成功したのだが、当初の意図を超えてその火が燃え広がってしまったのではないか。理念以上のものを巻き込んで繰り広げられたサイバーパンク・ムーブメントは、理念通りのすっきりと整理されたわかりやすいものではなく、もっと無秩序でアバウトなものだったのではないかという意識による。
以上、前置き終了。



サイバーパンクの代名詞といったらウィリアム・ギブスンである。というか、「ニューロマンサー」が代名詞と言い換えてもいい。
サイバースペース、電脳空間に意識を潜り込ませる(没入する、ジャック・インする、ダイブする。まあ、どんな動詞を使うかはお任せするが)という、サイバーパンクを象徴するガジェットを広めたのは、まさに「ニューロマンサー」であるからだ。
ただ、「ニューロマンサー」は、挫折する人の多いことでも知られている。読みやすくもないしわかりやすくもない。
であるから、試しに読んでみるのだとしたら、短編集である「クローム襲撃」をぜひお勧めしたい。実のところ、私が心の底からギブスンすげーと思ったのって、「ニューロマンサー」、および三部作を構成する「カウント・ゼロ」「モナリザ・オーヴァードライヴ」によってではなく、「クローム襲撃」よるものだったりする。特に、収録作である「冬のマーケット」には圧倒された。
先ほど、サイバーパンクというのはサイエンスが特権的なものではなく、市井にまみれた様を描くことを志向すると書いたが、「冬のマーケット」はさらにその一歩先、世の中に浸透した新たなテクノロジーが、人間に不可逆な変化を与えてしまうというヴィジョンを提示している。この問題意識はかのバラードのテクノロジー三部作にも通じるものだが、対象となるテクノロジーがアップトゥデートされている分、こちらの方が衝撃度は強いかもしれない。


ブルース・スターリングサイバーパンクを代表する作家である。彼のこの時期の作品は〈工作者/機械主義者〉と呼ばれるシリーズを構成する。
彼の描く未来では人類はその生息域を太陽系中に広げており、自らの体に生物学的/遺伝学的操作を加えて新たな環境に適応しようとする生体工作者と、自らをサイボーグ化していくことで適応していこうとする機械主義者の対立が激化している*1
まずは、サイバーパンクお馴染みガジェットであるサイバースペースが登場しないことに注目してほしい。いわゆる攻殻機動隊電脳コイルのような(いや、どっちも凄い作品ですが)イメージのみではこぼれおちてしまう部分だ。サイバーパンクが扱うサイエンスは情報科学に限定されるわけではない(まあ、身体の機械化という点では攻殻機動隊もかなりの線いってますが)。
また、そういった身体の改造が人間性の変容につながるという、ギブスン作品と同じ構造を有していることにも注目せねばならない。というか、論客としてそれを強く主張したのはむしろスターリングの方であった。
「スキズマトリックス」はシリーズ唯一の長編であり、いや、もう大好きなんだが、これもまた「ニューロマンサー」同様、決してとっつきやすい作品ではない。初めての読者には短編集「蝉の女王」をお勧めしたい。「スパイダー・ローズ」と「巣」はシリーズの中でも白眉である。


さて、次は鬼才ルーディ・ラッカーである。本業は数学者。数学を扱ったノンフィクションも書いている。
今にして振り返ると、ラッカーはサイバーパンクムーブメントがなくても、きっと同じような作品を書いたのではないかと思う。一見数学とは縁遠く見えるロボットの自己増殖と反乱を扱った「ソフトウェア」にしてもコンピュータ上でのセイメイシミュレーションに関連しているし、初期長編のテーマは「無限」であったり「高次元」であったり。もろ数学である。数学SFに元ヒッピーのぶっとんだ感性をぶち込むとラッカーになる。なにせ、作品の中で原子爆弾手作りしたりするし。ゴキブリが巨大化したり、高次元生物がフリーセックスをもたらしたり、もうメチャクチャですよ(笑)。
ただ、そんな中で「空洞地球」は例外といえるかもしれない。エドガー・アラン・ポーが生きた時代、当のポーを巻き込んで地球の内側、空洞世界での冒険を繰り広げるこの作品は、SFの古典バロウズの〈地底世界ペルシダー〉へのオマージュであり、ペルシダーを20世紀後半のサイエンスで半ば強引に復活させた、サイエンスの復権的な作品でもある。本書はサイバーパンクの理念に影響されているのかも。


で、サイバーパンクのショーケースとして編まれたアンソロジーが「ミラーシェード」である。
現在ではなかなか入手困難であるけれど、思ってもいなかったサイバーパンクの多様性を確かめるには格好の短編集である。この手のショーケース的短編集では、イギリスSFの精華を集めた「アザー・エデン」([asin:4150108277])と双璧を成す、とか勝手に思っている(ニューウェーブのショーケースである有名なアンソロジー「危険なヴィジョン」([asin:4150105375])ってのもあるんだが、いや、お目にかかったことがないのですよ!)。


「ハードワイヤード」と「重力が衰えるとき」は、サイバーパンクの影響下に生み出されたエンターテイメントSFとして。ウィリアムズもエフィンジャーもこの時にはすでにベテランであり、サイバーパンクが「燃え広がった」事例としても見ることができる。前者は身体改造ロジャー・ゼラズニイ「地獄のハイウェイ」へのオマージュを組み合わせたもの。後者は架空のイスラムハイテク都市ブーダイーンを舞台に、人格をソフトウェア的に変更できる主人公が事件に挑む探偵もの。主人公がネロ・ウルフの人格モジュールを使用するところなどはミステリファン爆笑必至、らしい。

*1:ジョン・ヴァーリイの〈八世界〉シリーズの影響なんかを感じてしまうんだが、いかがだろうか。ただ、ヴァーリイが変容していく中でも変わらないものにスポットを当てているのに対し、スターリングは変容そのものを書きだすことにより重きを置いている