万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

橋本紡を読んだ

このエントリは万来堂日記2ndで2007年2月23日に書いたエントリの転載です。

http://d.hatena.ne.jp/banraidou/20070223/1172253076








2ヶ月ぶりのブログである。
この間何をしていたかというと、ただひたすらに仕事をしていた。いや、本当に忙しいんですのよ。楽しくもありますが。
で、寝る前にちょっと本を読んで、そのまま本を開いたまま寝る、というのをここ2ヶ月ほど繰り返してきたわけである。


そんな中で、初めて橋本紡の本を読んだわけである。読み出したら止まらず、とりあえず積んであった橋本紡の本を全部読んだ。
積んであったくらいだから、前々から気になってはいたんだろう。多分。
ただ、相変わらず未読のまま積んである本は数百冊残っているのだけれども。
読んだ本は「半分の月がのぼる空(1)~(8)」「流れ星が消えないうちに」「ひかりをすくう」「空色ヒッチハイカー」。
作者のあとがきによると、橋本紡が作風を変えて以降の作品を読んだことになるのかな。
とても楽しめたので、思ったことや気がついたことを書きたくなったわけだ。
おそらくは、ネタバレを含むと思うので、未読の方は注意されたし。

小道具の使いまわしと繰り返される構図

読んでいるといくつかの作品で、小道具的な要素が共通している事に気づく。例えば、電子レンジを使わずにミルクパンで温めたホットミルク(蜂蜜入り)であったり、映画「ファンダンゴ」からの引用であったりする。一気呵成にガーッと読んだだけで気がつくのだから、他にもいろいろとあるに違いない。
そんな中で一番顕著なものは、「何かのために社会的キャリアを棒に振る」という構図である。
半分の月がのぼる空」の裕一は、ヒロインである里香と共に生きるために、進学のために上京することをあきらめる。
同作品の夏目医師は、妻の静養のために都内の大病院から浜松の病院へと移る。

「流れ星が消えないうちに」の主人公の父は、長年の夢をかなえるために会社を辞めようとする。
「ひかりをすくう」の智子は静養のために順調だったグラフィックデザイナーを辞め、その伴侶である哲は智子を支えるために仕事をやめ家庭に入っている。
「空色ヒッチハイカー」では主人公の兄彰一は国家公務員への道を棒に振り、佐賀で農家の婿殿に収まっている。

「キャリアを棒に振る」のうまい表現はないものか? とりあえず「逃走」と呼ぶけれども

「社会的キャリアを棒に振る」と書いたけれども、これだと少々ネガティブに聞こえてしまうなぁ。作品ではそれはネガティブなものではなくポジティブなものとして扱われているので、少々困ってしまう。個人的には後述する理由によって「逃走」と呼ぼうと思うのだけれど、これもやはりネガティブな感じが付きまとってしまう。本当、もっとポジティブでぴったりとくる表現がないものかしらん。

対となる作品としての「半月」と「空色ヒッチハイカー」/もしかしたらアンチテーゼかしらん

半分の月がのぼる空」と「空色ヒッチハイカー」はそのプロローグからしてそっくりである。どちらも作中の何気ない日常を切り取って見せ、その後でこの物語では大事件はおきないことを宣言し、しかる後にこのような文で締められる。
半分の月がのぼる空」では

もちろん、僕たちにとって、それは特別なことだったけれど。
いや、ちょっと違うな……。
僕たちにとっては、本当に本当に特別なことだったけれど。

「空色ヒッチハイカー」では

もちろん、僕にとっては、特別な物語だ。
いや……訂正した方がいいかな……。
僕にとっては、すごくすごく特別で大切な物語だ。

間違いなくわざとやってるよな。

おまけに、作中における「逃走」の扱いがかなり違うのである。
半分の月がのぼる空」では逃走というのは、尊重すべき選択として書かれている。自分の社会的なキャリアよりも、不治の病に冒された伴侶と一緒の時間をすごすことを選択するわけである。その主体的な選択を責める他者というのは登場しない(ほぼ唯一の例外がヒロインであり、選ばれた側である里香である。だからこそ彼女の「あたし、裕一からなにもかも奪っちゃうんですよね」という言葉が胸を打つんだが。あのシーンはもう、本当に大好きである)。
「空色ヒッチハイカー」では、大学受験前の大事な夏休みに、家を飛び出してキャデラックで旅する少年、彰二が主人公である。途中で目標としていた兄の不在がこの旅の原因であることが示唆される。
ああ、この主人公もまた逃走しているのか……と思って読み進めていくと、作者はそれを見事にひっくり返す。
なんだよ! お兄さん、死んでないじゃん! バッチリ生きてんじゃん! ていうか、キャリアを捨てて田舎に引っ込んだお兄さんを連れ戻しにきたのかよ! むしろ逃走してたのおにいさんの方じゃん!
そう、逃走に異を唱える人物が出てきたのだ。しかも主人公で。わぁお。
私が読んだ4作品の中では「半月」と「ひかりをすくう」では逃走する側が主人公、「流れ星が消えないうちに」は主人公の父が逃走するのでちょっと違うが、「空色ヒッチハイカー」ではとうとう逃走を責める側が主人公である。
「半月」では積極的に逃走し、「流れ星が消えないうちに」では逃走する人間の身内が主人公、そこから自らが自伝的長編と語る「ひかりをすくう」をはさんで、「空色ヒッチハイカー」で逃走に異を唱える人間が主人公になったわけだ。
実は逃走に異を唱える人間自体は、間接的な形で(というのは、話で出てくるだけで実際に登場はしないからなのだが)既に「流れ星が消えないうちに」にもでてくる。主人公の父は、会社を辞めることを母に猛反対され、一人暮らしをしている娘(すなわち主人公)のところに家出してくるのだ。また、「ひかりをすくう」でも主人公のキャリアを惜しむ上司と取引先の恩人が登場する。
言い方を変えると、「半月」では存在せず、「流れ星が消えないうちに」では言及のみ、「ひかりをすくう」ではちらっと登場した、逃走に異を唱える人物がとうとう主人公にまで昇格したのが「空色ヒッチハイカー」であったわけだ。

それでもネガティブではないのである

それでも「空色ヒッチハイカー」における逃走の扱いは決してネガティブなものではない。兄が戻ってくるかこないかをかけた、傍から見るとじつにこっけいな勝負に挑み敗北した主人公は、それまで追いかけていた兄の背中から視線をはずし、自分自身の人生を歩むことを決意するところで物語は終わる。
兄を社会的キャリアの象徴として捉えると、それから逸脱し始めるところでこの物語は終わるのだ。「空色ヒッチハイカー」は、一人の人間が逃走を責める側から、逃走を是認する側へと転向する物語であるとも言える。
かくのごとく、私が読んだ橋本作品では逃走が主要なテーマとなっている。

個人的な失踪のサンバ

さて、話は微妙に変わる。
失踪のお話。


失踪というのは、もっとも過激かつ効果的に社会的キャリアを放棄する方法のひとつである。
今までの人生で4度、私は失踪というものに遭遇している。
うち二つは勤め先の人間(うち一件はつい最近)、一人は仲の良かった会社の同僚、もう一人はなんとびっくり私自身だ(照れくさいんで詳細は内緒)。
ただ、基本的に今まで遭遇した失踪って、動機からしてネガティブなものなんだよな。「もうだめ。逃げ出したい」って奴だから。
その点で、橋本作品での、主体的にこれからの人生を決めていこうという「逃走」と、失踪は決定的に異なる。失踪の場合はこれから先のことなど考えていない。というか、そんなもの考える余裕がないとこまで追い詰められて失踪する。


ただし、これだけは書いておきたいのだけれども、私自身が失踪したとき……つっても、その実態は3日間ほど誰にも居場所を伝えず車を乗り回したくらいの情けないものだったんだが……気分は実に爽快であった。ものすごく開放的。
社会的な枠組みから外れるということ自体が気持ちいいというか。
今考えると青臭いというか馬鹿らしいというか。いや、若かったねぇ。逃げ出せば解決すると思っていたもんな。

逃走のファンク


ライムスターに「逃走のファンク」という曲がある。もう大好きな曲で、ベストアルバムに収録されなかったのが残念で仕方がない。
この曲で、ライムスターが誇る2MCは、リスナーに向かって社会的枠組みからの逃走を扇動する。
この曲を聴いたとき、漠然と「ああ、これは時代を捉えた曲だな」と思ったんだけれども。
橋本紡作品における社会的キャリアからの逸脱を「逃走」と呼ぼうと思ったのも、この曲からの連想である。

この逃走とは逃げ出すことではなく

ライムスターは、思いっきりファンキーに逃走を扇動して見せてくれたけれども、橋本紡作品では、その逃走というのがただ単に今の社会的枠組みから逃げ出すことではなく(そいつぁ失踪と大差ない)、ある社会的な枠組みとその中で築いてきたキャリアから、他の社会的枠組みとキャリアへと移行する(もしくはしようとする)ことであるというのが描かれている(その点、いってみれば隠居生活の日常を書いた「ひかりをすくう」は異色であると思う)。
書いてしまうと当たり前のことに思えてくるから不思議なのだが、個人の幸福のための選択が社会的成功と同一視できない時代になって久しい(というか、ずっとそうなのかもしれない。ずっと生きているわけではないから知らん)。それでも何らかの枠組みの中でしか私たちは生きていけないわけで、別の枠組みへの主体的な逃走というのが、有効な手段として意識されている時代なのかもしれない。
そんなことを考えさせられた作品たちでしたよ。もういっぺん読み返したくなってきたな。どうしよう。