万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

「聲の形」/西宮硝子のハードな日常について

また「映画 聲の形」の話です。
ネタバレを含みますので、まだ映画をご覧になっていない方は気を付けてください。映画オリジナルの要素にも触れますので。というかあの要素が映画オリジナルって、脚本と監督はドSに違いありませんよ。








この映画は(原作もですが)基本的には主人公・石田の物語として構成されているため、ヒロインである聴覚障碍者・西宮硝子が、ともすると理想化された人物として受け取られてしまうかもしれないなと思うのです。
そこで、西宮硝子が暮らしている日常が、いかにハードであるかをちょっと考えてみようと思います。



・友達がいない
友達がいません。昔も。今も。
「え!? 今は友達がいるんじゃないの!?」と思ったあなた。私もそう思ったのですが、ところがですね、映画でも原作でも、今通っている学校の友人出てこないし、家族以外に西宮固有の人間関係が出てこないんですよ。友達の輪を広げていこうという物語なのに、石田側からのアプローチばかりで西宮側からのアプローチが一切ないんです。あれでしょ? 小学校の同級生である佐原とまた仲良くなったんだから、今の学校での友達を佐原に紹介したってなにも不思議はないでしょ? というかむしろ自然ですらありますよね?
ところが出てこないんです。いないのでしょう。
これは映画よりも原作でより明快に語られているのですが*1、西宮は過去の体験により人間関係の構築に難を抱えていることが明示されています。
ですから、本当に残念ですが、いないんですよ、おそらく。



・右耳が聞こえない
これ、映画オリジナルの要素だと思います。少なくとも原作では強調されていません。脚本と監督、ドSもいいとこです。
「え!? でも両耳に補聴器つけてたよね!?」はい。その通りです。途中まで両耳につけてました。
中盤、病院で診察を受けているシーンがあります。横でハッとした顔をする祖母。次のシーンでは、夜、部屋の電気もつけずに西宮が嗚咽をこらえながらベッドに寝そべり、右耳にあてた手のひらを近づけたり遠ざけたりしています。
これ以降、西宮が身に着けている補聴器はひとつだけとなります。


少しシーンを遡ります。小学生時代のいじめのシーン。
石田が西宮の補聴器をむりやり乱暴に取り外したために、西宮は耳を負傷してしまします。
右耳から肘まで、血が滴っていました。


作中では子供の頃の右耳負傷と、高校になってからの右耳聴力喪失に関係があるとは、一言も言われていません。
でもね、それを見ている私たちは、どうしたってそこに因果関係を見てしまうじゃないですか*2


彼女は、今現在和解しつつあり、友人となりつつある人物に、右耳をつぶされてしまったのかもしれないんです。
ああ、もう、書いているだけで胃がね……もう……彼女の胸中を想像することすらできないですよ。



・過去にも自殺未遂経験がある
これも映画独自の要素です。硝子の妹・結弦の回想ではっきりとそのシーンが出てきます*3
硝子がクライマックスで、わざわざ声に出して伝えるセリフをもう一度振り返ってみましょう。

「私が変われなかったから」

彼女は悪夢のようないじめから脱して、今は幸せに暮らしているわけじゃなかった。
あの頃からずっと、傷ついたままだったんです*4


まとめますと西宮硝子は

・過去の経験のせいでうまく人間関係を構築できず、現在も友達がいない
・心に傷を抱え続けており、今も不安定な状態から脱していない
・そんななか、和解しつつあった石田が原因で右耳の聴力を失ってしまう
・さらに、自分のせいでやっと構築できつつあった友人関係が崩壊してしまったと認識している
・自分のために友人を失ってしまった石田は、明らかに自分に対して不健全に依存している

そして彼女は希望を失い、他者とコミュニケートすることを諦めてしまったのです。


もうね、何度も言いますが、本当にこの映画は地獄ですよ。

*1:しかし映画でも語られていないわけではありません。悪夢を見て家を抜けだした西宮と、意識を取り戻して病院を抜け出した石田が邂逅するシーンがあります。原作では西宮は手話だけで声は出していないんですが、映画では声を出して伝えようとしている。その語られる内容が、まさにそれにあたります。「私が変われなかったから」。また、植野との二人きりの対話シーンでも示されます

*2:序盤で石田の母が、おそらく西宮の母にピアス引きちぎられて右耳を負傷したんだろうな、というシーンがあります。アニメではより強調されているこのシーンに「因果応報」みたいな思想を読み取ることも可能ですが、西宮はさらに聴力を喪失してしまたことを考え合わせると、むしろこのシーンの持つ意味は「因果応報」の否定ではないかと考えています

*3:原作では硝子が「死にたい」という描写はありますが、実際に行動に移したという描写はありません

*4:だからこそ妹の結弦と母は、現在も過剰に見えるほど硝子を気にかけています。そこに共依存関係を見て取ることも可能です。その不健全な関係を打ち破るキーパーソンは祖母の西宮いとでしたが、みなさんご存知の通り……