万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

先日、ヱヴァンゲリヲン破 見てきました。

先日、仕事終わってから無理矢理レイトショーに行って、新劇場版ヱヴァンゲリヲン破、見てきました。
いやあ、非常に楽しかった。できればもう一度くらい見に行きたい。
まあ、それはそれとして、ネタバレ含みの感想、書いておきます。



いやあ、随分変わってしまったのは、やはりここ10年の(15年、かな?)時代の流れを反映しているんだろうなー、と、いたって凡庸な感想ですが。
TVでは序盤は良質なアクションと謎の提示で視聴者を引っ張った挙句、僕はここにいていいんだとか、みんなから「おめでとう」と言われて承認されたりとかで終わっちゃったわけじゃないっすか。
劇場版は、そこらへん全部置き去りにして、グロテスクな映像美や、オタク文化に対する批評性をにおわせたりで押し切っちゃった、と。
で、十数年たった。
あの頃、自己を肯定できずに苦しんでいた少年・少女や、劇場版でとってつけたようにお前ら気持ち悪いんだよと言われたオタクたちは、この十数年をどのように過ごしてきたかってわけですよ。
もちろん、人の数だけ人生があるわけですが、自己を肯定するとかしないとか、そんなんどうでもいい、それどころじゃない、という過ごし方をしてきた層というのが、ここ数年で確実にクローズアップされていたりするわけです。
私は日々を懸命に生き残ることで精いっぱいだよ、と。
なーんていうと派遣とかフリーターとかを思い浮かべがちで、それももちろんそうなんですが、安月給で月に100時間前後のサービス残業をこなして生き残っている人種も入れてもらえると、個人的にはうれしいですね。
そういった層に気が付いていなかった、というのが旧エヴァだったのかな、とも思うわけです。
私には新劇場版で見られる、生存への強い意志、というのは、こういった層への関心がもたらしたのではないかな、という風に思えたんですな。
そういった意味で、ヱヴァ破というのは、案外ストレートな形で、社会を反映させた作品である、と。
ただ、意思の扱い、という点において、下條信輔氏あたりが展開している議論や、意思の扱いについては極北であろう伊藤計劃「ハーモニー」、飛浩隆<廃園の天使>あたりを通過してしまうと、正直、ちょっとオーソドックスすぎるかなー、という物足りなさを感じてしまうのも事実です。
まあ、見てる最中はそこまで気にならないんだけど(笑)。