96年に刊行され、主にテレビの影響についての研究を紹介し、論じた本です。
200ページ弱とコンパクトにまとめられ、また、文章も平易で、大変に面白く読み進めることができました。
96年ということで、ネットやゲームのことには触れられていませんが、いわばそれ以前に行われた研究の基礎知識と言うことで。最初に読むのがこの本で幸運だった。と、なるといいなぁ。
内容をざっと紹介していこうと思います。
まずは4つの理論
まず、著者は今まで唱えられた理論を4つに分けて紹介しています。簡単に要約しますと……
1・カタルシス
何らかの形で暴力を疑似体験することで「すっとして」攻撃的傾向が抑えられる。
2・観察学習
何らかの形で暴力を疑似体験することで、その影響を受け、攻撃的傾向が強められる。
見たところ、この二つは対立する理論のようです。どちらが正しいのでしょう?
3・脱感作
日常的にメディアの暴力的な場面に触れることで、暴力に慣れてしまい、暴力に対するネガティブなイメージや危機感、恐怖感などが鈍くなっていく
4・カルティベーション
日常的にメディアの暴力的な場面に触れることで、受け手の世界観が影響を受け、必要以上・実際異常に暴力に対するネガティブなイメージ、危機感、恐怖感などが増幅される。
この理論も見たところ、対立しているようです。どちらが正しいのでしょう?
著者はそれぞれの理論を支持する研究を概観した後、いわばケース・バイ・ケースであると結論づけます。
引用しますと
以上のことから読み取れることは、番組の種類が主要な鍵を握っているということである。
従って、どのようなタイプの暴力番組が、視聴者にどのような影響を与えているかを明らかにするための研究が必要であると考えられる。
つまり、どのような効果が得られるかは番組の内容によるよ、ということです。
さらに、受け手の側の状態も問題です。同じ番組を見ても、ある効果が成立しやすい状態もあれば、他の効果が成立しやすい状態もあり、その諸条件を研究で明らかにしていかねばならない、と。
どんな番組がよくて、どんな番組がよくないのさ!
そのため、著者は番組のタイプによる影響の違いの研究、また、暴力的な番組の類型化・タイプ分けに乗り出します。
それらの研究で、以下のようなことが示されます。
いじめで行われるような行為が出てくる番組を多く試聴する児童はいじめを行う傾向がある
ただし、話は単純ではありません。
いじめを行った児童が、どうやってその方法を知ったか(学習したか)も重要だからです。マスメディアとパーソナルメディアに分けて調査したところ、マスメディアでのトップはダントツでテレビ(回答179のうち131)、パーソナルメディアでのダントツトップは「友人から」(回答178のうち144)でした。マスメディアとパーソナルメディア、それぞれがどのように影響しているのかは、この時点での今後の研究課題と言えるでしょう*1。
また、諸理論を巡る研究において、同じ暴力的な場面を見ても、その場面に対して肯定的な説明が加えられるのか、否定的な説明が加えられるのかで、攻撃的な行動が促進されるかどうかに差が出ることが紹介されています。それでいうと、例えばいじめをテーマにし、ドラマ化もされたコミック「ライフ」を読んでも、そこからいじめに走る子どもは少ない、ということでしょうか。
しかしながらさりながら、別の研究において、たとえその後に攻撃的な行動が観察されなくても、提示された攻撃的な行動自体はきちんと学習されている、ということ示されていたりします。
「ライフ」を見ていじめに走る子どもは少なくても、何らかの理由でいじめをする側になると「おめーの席ねーから!」という行動をとってしまうかも、ということでしょうか。
入り組んだ話です。
アニメと時代劇を多く見ている人は暴力的
もちろん、これはかなり乱暴なまとめ方でして。
詳しく言いますと、著者は先行研究に基づき、作品で描かれる暴力を3つに分類しています。
1:ランダム型暴力:話の筋とは無関係に、突発的に描かれる暴力。アニメで描かれることが多い。
2:目的型暴力:暴力が目的達成のための手段として描かれる。刑事番組などに多い。
3:苦悩型暴力:暴力の被害者の苦しみに重点を置いて描かれる。時代劇などに多い。
と、いうわけで、以上のような定義に基づいてアニメと時代劇と刑事ドラマの視聴頻度と暴力的傾向を調べてみたところ、ランダム型暴力と苦悩型暴力において、暴力的な傾向との相関が見られた、という話なんですが、まあ、これは突っ込みどころ多そうな感じがしますね。
それは著者も自覚しています。これらの研究では分類に主観が混じりすぎるとの反省のもと、より客観的な分類基準を作成しようとするわけです。まさに新たな基礎研究に乗り出すわけで。
より客観的なタイプ分けを目指して
実は、この研究紹介が、おっさんホイホイ的に非常に面白くてですね。いや、出てくる番組名が「私鉄沿線97分署」とか「夢戦士ウイングマン」とか「熱っぽいの」とか「ねるとん紅鯨団」とかね……
ともあれ、予備調査を実施して、テレビからどのような満足を得るかを集計し32の項目にまとめ、因子分析して6つの因子を抽出し*2
・平均的充足型:「土曜ワイド劇場」
そして、気分転換中心型はカタルシス、感情移入中心型はカルティベーション、知的満足中心型は観察学習、笑い中心型は脱感作に対応していることを示唆しているのですが、この時点ではまだまだ研究は始まったばかりといいますか、キレイに結果が出ているわけではありません。この研究においてはあくまで類型化に留まっており、それらのタイプに分類された番組がどのような影響を与えているのかまでは踏み込んでいませんし、「ギミア・ぶれいく」においては、教養番組的な前半と「笑ゥせぇるすまん」のアニメが放映されていた後半とで番組の傾向が大きく異なることに影響を受けた可能性にも言及されています。また、土曜ワイド劇場は毎週別の話をやるわけで、その結果として平均的な数値がでてしまったのではないかという可能性(じゃあ火サスはどうなんだって話でもあるんですが)にも言及されていますし、また、どの番組もどれかひとつの因子に特化しているわけではないことにも著者は注意を促しています。
つまり、ある作品・番組をタイプ分けするのはなかなかに難しいし、ある番組は様々な満足を受け手に与えるからこれまた測定は難しいかも、ということで。
しかしながら、6つの因子が示されたことはすごいことでもあるわけで。この研究に基づいた研究にどのようなものがあるのか、興味が湧いてきます。
社会はメディアとどう付き合うべきか
最後の章で、メディアに対してどういった対応をとるべきなのか、論じられています。
筆者はメディア暴力にさらされる機会が少ないに越したことはないと言う立場のようでして、何らかの規制には賛成しているようです。機械的に暴力的な番組・場面を遮断するVチップも紹介されていますし、業界の自主規制がうまく機能していないのではないかと危惧していますし、政府にレベルでの対応が期待されるなんて表現も出てきます。
しかしながら、規制してそれで解決とは言ってなくて、同じくらい受け手の側の対応を取り上げています。
例えば共同視聴。イスラエルで行われた調査だそうなんですが、都市部の子どもたちと、キブツの子どもたちでは暴力的な番組からの影響に差が見られたそうで、キブツでは年長者とテレビを一緒に見るんだそうです。そのために影響がなかったのではないか、と。一緒に見ている人が「いやー、これはないわー」というだけで、何かが変わるのかもしれません。
また、そこから踏み込んで子どもたちの暴力に対する認識を変えようと言う教育的介入なる方法も紹介されています。オランダでは3500の小学校で取り入れた結果、有意な結果が得られたそうで。面白いのは暴力的な映像を用いて、逆に教育をしていると言う点です。その映像で悪影響を与えないよう十分に配慮を払うべきことは強調されていますが、十分に配慮を払えば、暴力的な映像や題材から非暴力的な反応を引き出せる、ということでもあります。
ネガティブなループ、ポジティブなループ
最後に、著者はメディアから受ける暴力的な影響の悪循環を深刻な問題として指摘しています。
何らかの問題を抱えた人物がメディア暴力に触れ、その方法を学習し、問題を解決する際にその方法を使ってしまい、結果として問題は改善せず(もしくは悪化し)、またメディア暴力に触れ……といった具合で。
この本を読むきっかけになったのが二次元ポルノの規制問題についてなもんで思いついてしまった不適切な喩えですが、あれですかね、非モテ童貞が憧れのセックスの際、突きゃあいいもんだと思ってガンガン腰振っちゃって、女の子を痛くしちゃってお互いに不幸せな夜になってしまう、みたいな感じですかね。
著者はその次の可能性として、ネガティブな循環があるのなら、ポジティブな循環を作ることだって可能ではないかと言う可能性を語っています。これは、先に触れた教育的介入が、教育場面ではなく日常メディアに触れる場面で機能するような物だとも捉えることができると思います。
恋人と幸せなセックスをするためには、というポルノが普及したら、みたいな話でしょうか。
ちなみに、「ふたりエッチ」はパラパラと読んだ事しかないです。
以上が簡単な内容紹介になります。
やはり、メディアが与える影響というのは、「◯◯ならダメ」みたいな単純なものではなくて、ひどく入り組んだものだなあ、というのがわかるといいましょうか。
例えば「ロリはダメ」といったところで、その内容は作品ごとにかなり異なり、与える影響もまた異なってくることが考えられます*3。
受け手の状態の問題、というのも大きく関わってきますし。
公的な規制にしろ自主的なゾーニングにしろ、今の時代、ある情報を完全にシャットアウトするというのは非常に難しくなっているわけで。今の流れだと、ある情報に「触れてしまった後」の事があまり考えられていないのかも。
ぶっちゃけた話、ゾーニングや公的な規制でどのくらいの効果が得られるのか、というのも、実に不確定なわけですよ。やってみて、数年かけて効果の程を調べてみて、あまり効果ありませんでした、というのが一番悲惨なシナリオで。
それならば、情報にはいつかさらされてしまうということを前提にして、この本で触れられているような教育的介入のプログラムや、またポジティブな効果のある「暴力的作品」*4を奨励していくような流れが効果的なのかもしれない。
そんなことを考えさせられました。
さて、次はインプレスジャパンから出ている「ゲームと犯罪と子どもたち ――ハーバード大学医学部の大規模調査より」([asin:4844327089])という本を読んでみようと思います。原著は2008年、翻訳は去年刊行されていまして、面白そうです。原題が素敵でしてね。“GRAND THEFT CHILDHOOD”って言うんですよ。このセンスからして、非常に楽しみです。
*1:著者はそのようには言及してはいませんが、それを意識しているからこそ情報源としてパーソナルメディアを加えたのだと思います
*2:「行動刺激」「気分転換」「感情移入」「知的満足」「笑い)」「感動」))、いわゆる「暴力的な番組」からはどのような満足が得られているのかを調べ、暴力番組を5つにタイプ分けしています。 懐かしさと共に、どうぞ。 ・気分転換中心型:「大岡越前」「暴れん坊将軍」「はぐれ刑事純情派」「三匹が斬る」 ・感情移入中心型:「火曜サスペンス劇場」 ・知的満足中心型:「ギミア・ぶれいく」 ・笑い中心型:「志村けんのだいじょうぶだぁ」「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」((ひょうきん族は? ねえ、ひょうきん族は?
*3:私はお姉さん大好きです。天地無用でも魎呼大好きでした。
*4:「暴力的作品」であるのが重要だと思います。最後に触れたような悪循環に陥ってしまっているケースでは、「暴力的作品」を選んで試聴する状態になっていると考えられるわけですから。そういった人に見てもらわないと意味がない。