万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

「松喬十六夜」の「寄合酒」

DVDBOX「松喬十六夜」を少し前に購入した。癌であることを公表され闘病生活に入ってからの高座が収録されている。期間的には2012年の10月から2013年の4月まで。闘病生活に入られたのが2011年の12月、亡くなられたのが2013年の7月30日。
楽しみにはしていたのだが、少々追悼めいた気持ちがあったことは否定しない。見ていてしみじみしちゃおうというか。
さっそく見始めたのだが、感傷に浸る余裕など全くなかった。もう、そんなこと忘れて見入っていた。面白いんだ、これが!
闘病前はふっくらされていたのだけれど、すっかり痩せられている。張りのあった声も若干弱くなっている。それなのに、余裕綽々ですっごくいいんですよ。もしかしたら、闘病直前に収録されたDVD「松喬ひとり舞台ファイナル」よりこちらの方が好きかも知れない。
特にお気に入り、度肝を抜かれたのが「寄合酒」。今まで聞いた中では米二さんの独演会で聞いたものが私の中でのベストだったんだけれど、もうひとつ頂上が出来てしまった。こんなにそれぞれのキャラの立っている「寄合酒」聞いたのは初めて。
以前からこう言った形でやられていたのか知りたくなったもので「寄合酒」収録のCDを注文したのだけれど、まだ届いていないのでその点はわからない。
先ほどキャラが立っていると書いたけれども、その中でも特に印象に残る二人がいる。「オカマ」の人物と「口が回らない」人物が出てくるんだ。うぉう。二人とも大活躍。
特にすごいなと思ったのが「口のまわらない」人物の演じ方。以前に読んだ著書「おやっさん」で、落語における酔っ払いの演じ方として、呂律を怪しくするのではなくて言葉自体はしっかりと喋り、間で酔っていることを表現するというようなことが書いてあったのだけれど、まさにそれの応用とでもいうのだろうか。私がたまに日常生活で出会う喋るのが不自由な人は聞き取ること自体に労力がいるのだけれど、むしろ聞き取りやすいのである。それでいて話すことに苦労していることははっきりとわかる。
でね、そういった人を「愚鈍」に描写してしまっていたら、これは良くないと思うのだけれど(だって、話すことに苦労しているだけだし)、むしろ頭のまわる人物として描写されているのにまた好感を覚える。まあもちろん、落語の登場人物であるのでおかしなことはやらかすのだけれど(また「寄合酒」というのは、出てくる連中全員なにかしらおかしなことをやらかす演目なんだわ)。
それと比べるとオカマの姉さんのほうはちょっと引っかかるところがあるかもしれない。作中で馬鹿にされていると感じる部分はあまりないのだけれど「男らしさ」「女らしさ」にがっちり依存したつくりになっていると言えなくもないので、そこらへんに敏感な人はまた私とは違った感想を持つかもしれない。

真夏の「福禄寿」と「緊張の緩和」

今日は道頓堀ZAZAに行ってきた。柳家さん喬ひとり会。会の開演まで時間を潰そうとあたりを歩いたら、キャッチに声をかけられてウザったいことこの上なかった。行く度にそんな感じだから、道頓堀ってあまり好きじゃないんよ。
会の方は開口一番で小鯛さんが「平林」。おそらく客席にはすれっからしの落語ファンも多いであろう中、話が進むにしたがってきっちり盛り上げてバトンタッチ。
さん喬さん、最初の一席目は「千両みかん」。まずまくらで大阪の思い出や最近の雑感をフリートーク気味に(大阪に来て最初に食べたものは金龍ラーメンだったんですって!)。その後にお決まりのまくらに入ってから本編へ。コミカルで大変に楽しい。
「千両みかん」は、みかん問屋の番頭さんが気分を害して千両という値段をつけてしまうという上方の演出が大好きなんだけれども、今日見たさん喬さんのものでは、みかんを食べようとして若旦那が味わうよりも先にまず香りにやられてしまうところの様子がとても新鮮に感じられて心に残った。そこを強調して演じられる上方の落語家さんってそういえば見たことないかもしれない。
そのまま高座を降りずに二席目は「船徳」。これも大変にコミカルで楽しい。船に乗り込みまず見栄を切り、歌いながら興が乗って竿を振り回す若旦那の愉快なことと言ったらない。また、中盤以降で登場する二人組の客、その中でも船が嫌いな男性の存在感が印象に強く残った。

そんなこんなで笑い転げて中入。愉快な夏の話が続いたところで、トリの三席目には何を聞かせてくれるのかなと思っていたら、これがなんと「福禄寿」。真冬の話。しかも、笑う所もなくオチもない、ほんまもんの、狭義の『人情話』である。
しかも、人情話ではあるけれど号泣させるような話でもない。
でもそこはさん喬さんであるから、こちらも集中力を途切れさせることもなしに話にのめりこむのではあるけれど、でもやはり笑う所はほぼないみたいなものだし、オチもない。
で、噺の終りにさん喬さんが言った一言
三遊亭圓朝作『福禄寿』…少しは涼しくなりましたでしょうか?」
この一言で一気に高座の印象が良くなってしまったというか。客席からの拍手も、さん喬さんが袖に引っ込むまで弱まることがなかった。
で、帰りにご飯を食べながら、なぜあの一言であんなにも満足したのか考えていたんだけれども、あれかな、枝雀さんがいう所の「緊張の緩和」という奴かな、などと。
前述したように「福禄寿」にはあまり笑う所がない。つまり、笑いでお客さんが発散するところがないわけで、これはずっと緊張を強いられている状態であるという事もできると思う。
それが最後のあの一言で一気に発散されたわけで。「緊張の緩和」は笑いがどういうときに発生するかを説明付ける理論だけれど、今回は笑いではなくなかなか鳴り止まない拍手と言う形でそれが表に出たのかなぁ。
表出する形では「笑い」と「拍手」は違うけれど、「緊張した状態から軽やかで愉快な状態に遷移した」と言う点で共通するのかもしれない。

客席の雰囲気

今日は久しぶりに繁昌亭の昼席へ行ってきた。今週は二乗さんの繁昌亭輝き賞受賞記念ウィーク。二乗さんが出演するのはもちろんだが、毎日口上がある上に、米二さんが毎日トリをとられる。私が一番好きな落語家さんが米二さんであるので、前々からすごく楽しみにしていた。
本当は明日も行きたかったのだけれど、チケットが売り切れていたのよね。
私が落語に関心を持つようになってから米二さんが一週間トリをとられるのは初めてのことなので、どんなネタをかけられるのかと思っていたのだが、水曜日まで「青菜」「くしゃみ講釈」「茶の湯」と、普段中トリで出演される際には(おそらく)少し短めにまとめてかけているネタを、たっぷりと時間を使ってかけてらっしゃるようだ。
二乗さんは繁昌亭では「癪の合薬」の印象がやたらと強いのだけれど、初日は「癪の合薬」、それ以降は「短命」「阿弥陀池」と、こちらも毎日ネタを変えていて、普段の出番では見られない顔を見ることが出来ているようで。
おまけに中トリが塩鯛さん、脇を固めるのがよね吉さんに文都さんだから、これは強力なラインナップである。
それと、ネットでの配信でも感じたし、今日客席でも感じたんだが、客席の反応がとてもいい。すこし反応が鈍いときだとスルーされるようなクスグリでも敏感に反応し、つられてどんどん楽しい気分になってくる。受賞記念ウィークということで二乗さんや米二さんに思い入れのある人が多く来ているということもあるのだろうか。とにかく、みんな積極的に楽しみにきている感じがする。
以前福笑さんがまくらで、演者をどんどんのせていく客席と言う話をされていたのを聞いたことがあるが、今週の客席がそのようなものになれていたとしたら、聞く側としてもこれは大変に幸せなことである。

それで思い出したのが、少し前に行った動楽亭の昼席。これが見事な流れで。逆に客席の空気をうまいことコントロールされるような快感があり、とても心地よかった。
この時は開口一番の優々さんからして少し珍しいネタ(「裏向き丁稚」)で、少し得した気分で始まった。その次が雀太さんの必殺の爆笑ネタ「代書」で、つぎをわかばさんが「つる」で繋いで、中トリのよね吉さん「子は鎹」で最高潮に達する。実に濃い、涙腺こじ開けるような熱演。
さて、これがなんというか、普通の落語会だったらこれでもうおしまいで、「今日の『子は鎹』よかったなー」と余韻に浸って帰路に就く雰囲気であり、最高潮に達しちゃったんだから後は落ちる一方なんである、普通だったら。
(そういう意味では中トリでは少し重量級に過ぎるネタとその完成度だったのかもしれない)
ただ、ここから先が圧巻だった。中入が終わり文之助さんは「短命」。これが軽快さの権化みたいな素晴らしい高座で、重量級の「子は鎹」を受け止めて、感動しつつもすこし重々しくなっていたこちらの心を見事に軽やかに、愉快にさせてくれる。
トリは九雀さんの「筆まめ間男」これも小品であるけれど、実に気の利いた新作で。
終わってみると、重厚な「子は鎹」の余韻に浸って帰路につくはずが、実に軽やかで爽快感あふれる気分になっていたのである。実にお見事だった。
よく「普通は一番の大ネタをトリに持ってくるけれども、米朝一門では一番の大ネタを中トリに持ってきて最後は軽めにして締める」と聞くが、なるほど、それはこう言う事だったのか!

歌う落語家さんたち

今日は笑福亭仁智さんの勉強会「笑いのタニマチ」へ行ってきた。仁智さんみたいなベテランが、勉強会でジャンジャンネタおろししてるんだから、すごい。
常連さんが多いんだろう、時に観客から声が上がり、仁智さんもそれに応えるという、完全なホームの雰囲気。仁智さんが高座で長々と歌っているだけで(なに歌っとんねん!)(ていうかいつまで歌っとんねん!)という笑いの波が広がっていく。
そういえば、上方の創作落語、歌うベテランが多い。仁智さん、文枝さん、福笑さん。福笑さんに至っては、「ムーンライト伝説」から懐メロからボブ・マーリィまで、歌うジャンルがやたらと幅広い。
逆に、若手や中堅と言われる上方落語家さんで、歌が印象に残っているという人をパッと思いつかない。楽しいんだから、みんなじゃんじゃん歌えばいいのに。

落語会の雰囲気

今日は大美落語会に行ってきた。第二十回記念公演と銘打たれているが、スペシャルゲストを招くというよりも信頼のおける腕っこきを集めたような番組。ネームバリューだったら次回出演予定と告知されている南光さんの方が上だもんね。今日の出演者は敬称略で二葉、文三、米二、竹林、文太という面々。キャリアの浅い二葉さんはともかくとして、自分の会を積極的にやっている実力派がズラリ。
大美落語会って好きな会なのだけれど、理由は二つあって、実力派が並ぶのでハズレがないところと、観客に笑いが多くいい雰囲気なところ。今日は高座の最中にケータイが鳴ってしまうことが複数回あって残念だったけれども。
いい雰囲気の会というともう一つ思い浮かぶのが田辺寄席で。こちらは個人的に休みが合わないのでなかなか足を運ぶことが出来ないのだけれど、晴れた日の田辺寄席なんて、もう、最高だ。中入で、池に面した中庭に出て、木陰で主催のみなさんが用意してくれたお菓子をいただきながらお茶を飲んで落語会前半の余韻に浸るとか、ものすごく贅沢な時間を過ごしているなと言う気分になる。
最近思うのだけれど、自分は落語会に「接待」を求めて足を運んでいる気がしている。というと語弊があるかもしれないが、ちやほやされたいというのとはちょっと違う。
いや、実生活において、自分が「歓迎」されているなんていうのは、考えてみるとあまりないもので。そりゃ、買い物すれば「ありがとうございました」は言ってもらえるけれども、あれは歓迎されているというのとはちょっと違う。取引だしね。
そんな中で、「面白い話」「興味深い話」でもてなしてもらえる、その居心地の良さというのは、実によいものでありまして。
だからなのか、横柄に振る舞っているお客さん(たまにいる)を見かけると、こちらも気分が悪くなる。せっかくいい気分になりに来ているのに、なんでそんな、いい気分でもてなしてもらえないような態度とるんだろう。
不思議だよなぁ。私は心地よい気分になりにここまで足を運んだんだけれど、この人はどんな気分になりにここまできたのだろう。

ディスレクシア

とある方が学習障害ディスレクシアかな?)なのではないかと思える様な文章を読む機会があり、その方の現在の姿を思い浮かべ、少し心動かされるなどしている。
下手にもったいつけるよりもちゃんと書いた方がいいか。えーとね、今日行った上方落語勉強会のプログラムに桂二葉さんの文章が載っていたの。
で、そこに「義務教育が始まった6歳の頃から文字が苦手でさけまくり、授業で先生に本読みを当てられても無言でにやにやしたり、睨みつけたりして、先生にパスさせてもらうという大胆な手段を何度も使いながら人生を乗り越えてきました」という一節があったのね。
もちろんこれだけで二葉さんが学習障害の一種であるディスレクシア失読症だったんじゃないかというのは乱暴に過ぎるのだけれど、そういった人が「言葉」を扱う商売である「落語家」になっていて、しかもその高座が確実に進歩しているという事に、少し感動したの。
調べるとディスレクシアの有名人と言うのはかなり多くて、私の馴染みのジャンルだと作家のサミュエル・R・ディレイニーなんかがそう。

桂雀太さん

桂雀太さんの落語を聞いてきた。雀三郎師匠の三番弟子。
この人の独特の間というか、キャラ設定と言うか、空気感と言うか、そういったものが好み。
まだ「若手」に分類される落語家さんなのだけれど、間をしっかりとって、自分のテンポで話してらっしゃる感じがして。逆に自分のテンポでやっていない感じがしてしまう人はどうも苦手である。師匠から教えてもらった通りにやっているのだろうなと言う人でも面白く感じる人と言うのは自分のテンポできちんとやっているのかな、などと最近は思っている。私にとっては桂二葉さんや桂あおばさんがそれにあたる。おふたりとも、もっと上手な人や流暢な人はいっぱいいるけれど、変に流暢な人よりもずっと楽しいし面白い。この進化形が笑福亭喬介さんなのかな。喬介さん、師匠である三喬さんの影響がくっきりはっきり出ているけど、ご自身のほがらかというか愛嬌と言うか、そういったパーソナリティがにじみ出ていてとても面白い。
雀太さんの高座からにじみ出るパーソナリティはグルーミィ、曲者感漂う。
表情(というか表情筋)はあまり豊かではないけれど、身振り手振りがとても豊か。特に右手の「雄弁」なことといったら。
今日聴いた「遊山船」も、真夏の橋の上、夕涼みでごった返すにぎやかな様子ったらなかったし(体いっぱい使った花火の表現、素晴らしかった!)、ネタおろしの「質屋蔵」も後半のドタバタを躍動感たっぷりで演じられていた。
そのうち、繁昌亭大賞の輝き賞を受賞されるだろうなとか勝手に思っている。