万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

米團治さんの飛び道具と米二さんのビート

今日は動楽亭の昼席に行ってきた。番組は、敬称略で
鯛蔵…阿弥陀池
しん吉…若旦那とわいらとエクスプレス
雀喜…うなぎや
出丸…皿屋敷
中入
米團治…片棒
米二…青菜

米團治さんの「片棒」がとんでもない飛び道具で。なんと、登場する親旦那が米朝師匠なんだよ!(噺の中では「中川兵衛」って、やっぱり米朝師匠じゃないすか!)
で、その米朝師匠が三人の息子を呼びつけてもし自分が死んだらどのように弔うか聞いていく、って、三人の息子って、やっぱり米朝師匠じゃないすか!
米朝師匠のモノマネもふんだんに取り入れ、葬儀の会場も尼崎アルカイックホールだったり(米朝師匠は武庫之荘在住)、葬儀で日本全国巡業したり(米朝師匠も日本全国津々浦々で独演会を開催)、京都では祇園の山鉾の上に米朝アンドロイドを乗せたりと、もうやりたい放題で。ずるいよ、こんなん。笑わないわけないじゃないの!

で、その後トリの米二さんは、もはやおなじみとなったマクラに続けて「青菜」。これも今まで何回も聞かせてもらった既視感のあるネタ。とんでもないサプライズの直後だからこれはどうかなあとか思っていたんだけれど、最終的にはもう思いっきり楽しんでしまったのだから、本当、落語ってわからない。
今日の米二さんはものすごくリズミカルに感じた。というか、もしかして私が「リズミカルな落語とはこういうことだ」ということにようやく気が付いたのか。どちらなのかはわからないけれど、とにかく、ものすごくリズミカルに感じられた。
淀みなくテンポ良く、まるで良質のビートのようにトントントーンと植木屋が話していく。その淀みない流れがふっと断ち切られたり、ひょっとテンポが変わったりする。するとそこで笑いが巻き起こる。
そしてまた心地よいビートが始まる。それがまたひょっと変わる。そこでまた笑いが巻き起こる。ずっとその繰り返し。
白状すると、気が付くと米二さんがどこでブレスを入れるのかに注目しながら高座に見入っていた。もっとも、途中からそんなことも忘れて笑っていたけれど。
落語について考えるときは、どうしても枝雀師匠の、笑いが巻き起こるメカニズムとしての「緊張の緩和」の理論を思い起こさずにはいられないのだけれど、考えてみれば、「どのようにして客席の緊張を高めていき、どのようにしてその緊張を開放するのか」という具体的技術について語られたものと言うのは、不勉強にして読んだことがない。
心地よいビートとその変調。ひょっとしたら、これがその方法のひとつなのかもしれない、などと考えながら、帰宅するにもちょっとまだ早いからと映画館に入り、そして「GODZILLA ゴジラ」を見て大満足したわけである。いや、面白かったよ! ゴジラ

「GODZILLA ゴジラ」の感想を書きますよ(ネタバレあり)

GODZILLA ゴジラ」の感想を書きます。ネタバレあり。それもかなり盛大に。未見の方はくれぐれもこの先を読まないでください。











では、いきます。
もうね、大絶賛しますよ?
これは「子どもにもわかるように作られた震災映画」です。異論は無かろう?
一番のポイントは、ゴジラだけが出てくるのではなく、敵役の怪獣が登場すること。ムートーと言う名前で、おそらくはコウモリがモチーフだと思います。空飛ぶし、妙に手が長いし、エコロケーション*1するし。
でね、この映画では怪獣は震災のメタファーなのですけれど、そのメタファーたる怪獣を2種類用意したというのが、おそらくはこの映画の最大のポイントです。
これもまあ、作品内でこれ以上ないくらいに明確に描かれているので「何をいまさら」と言う感じでちょっと気恥ずかしいんですけれど。
ゴジラが「震災」ひいては「自然」
ムートーが「原発事故・放射線被害」ひいては「人災」の象徴なんですわ。
んで、ゴジラとムートーが、人間の思惑とかほぼ完全に無視して、動きまくります。
災害の前では、あまりに無力ですね。うん。
それでもこの映画はハッピーエンドです。
ゴジラがムートーを倒したからハッピーエンド? 何言ってんですか。全然違いますよ。
ゴジラとムートーが散々暴れ回り、町が破壊され、多くの犠牲者が出て、それでも救助活動がなされ、多くの人が助けられ、避難場所で再会が叶った主人公たち家族の様に、人々が前を向いているからハッピーエンドなんですよ。
これを私は「災害の前では私たちはあまりにも無力だけれども、それでも助け合って前を向いていく、そこにしか希望はないんだ」という強いメッセージだと受け取りました。
もうね、このメッセージを、怪獣映画のフォーマットで、できるだけわかりやすく伝えることに細心の注意を払いながら、作った。
もうね、大絶賛ですよ。


最後にひとつだけ、印象に残ったシーンを。
ゴジラとムートーを、核兵器を餌にして太平洋の沖合に誘き出し、そのまま核兵器で葬り去ろうという作戦に渡辺謙演じる芹沢博士は強硬に反対し、やがて博士の父親が広島の原爆で亡くなっていることが判明するのですけどね? その芹沢博士の対案と言うのが「ムートーをやっつけてもらおう。ゴジラを利用しよう」というものなんです。
その是非はさておき、これはかなり強烈な反原発自然エネルギーへの転換を訴えたメッセージですぜ、これ*2



ごめん、最後つったけど蛇足でもう一個だけ。
あのヘリが飛んでくるのは、アメリカならではですよねー! 日本だったらあのヘリは飛んでこないよ! 絶対!

*1:音響定位。超音波を発してその反射をとらえることでソナーみたいな感じで周囲の様子を探るというアレです。動物ではイルカとコウモリのそれが有名

*2:どうでもいいことですが私自身は、何十年スパンで原発をなくしていく計画を立てた上でその間のつなぎで一部の原発再稼働ってな流れにならないかなぁ、とか思ってます

自動販売機の不可能性について

人工知能に関するトピックの一つにフレーム問題と言うものがある。
ウィキペディアの当該項目(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A0%E5%95%8F%E9%A1%8C)から引用すると
「フレーム問題(フレームもんだい)とは、人工知能における重要な難問の一つで、有限の情報処理能力しかないロボットには、現実に起こりうる問題全てに対処することができないことを示すものである。」

同じようなことが小売業についてもあてはまる。
ゲームなどが顕著だと思うのだが、昨今のゲームは色々と複雑化しており、店頭において全ての注意点を説明することなど不可能に近い。
あなたの家のテレビにHDMI端子がついているかどうかなど我々店員には知りようがないし、あなたが買った初回限定盤CDについているのがDVDではなくブルーレイで自宅の機器では再生できなかったからと言って開封済の限定盤を返品に来られても困るのである。
そして、なぜだか知らないがそういう人に限って、なぜか怒った状態で店にやってくる。
店側は説明をするのだが、その後には必ずと言っていいほどこのような言葉を浴びせかけられる。
「そんなこと説明しなかったじゃないか!」
かくして商品購入前のお客さんに説明する項目が一つずつ増えていき、レジでのオペレーションが複雑化していくのである。このように、店頭での接客と言うのは「どこまでを説明するか」というフレーム問題と密接に関連しており、人工知能では対処しがたい。
翻って自動販売機である。自動販売機でも商品を顧客へ販売しているという点では同様であるので、商品に関する事前の説明もまた必要となるに違いない。
売店での現象は、自動販売機においても商品説明のフレーム問題が常に付きまとう事を示唆するものであり、自動販売機の運営も人工知能では困難であると考えざるを得ない。
結論として、自動販売機の中には、誰か入っている。

「松喬十六夜」の「寄合酒」

DVDBOX「松喬十六夜」を少し前に購入した。癌であることを公表され闘病生活に入ってからの高座が収録されている。期間的には2012年の10月から2013年の4月まで。闘病生活に入られたのが2011年の12月、亡くなられたのが2013年の7月30日。
楽しみにはしていたのだが、少々追悼めいた気持ちがあったことは否定しない。見ていてしみじみしちゃおうというか。
さっそく見始めたのだが、感傷に浸る余裕など全くなかった。もう、そんなこと忘れて見入っていた。面白いんだ、これが!
闘病前はふっくらされていたのだけれど、すっかり痩せられている。張りのあった声も若干弱くなっている。それなのに、余裕綽々ですっごくいいんですよ。もしかしたら、闘病直前に収録されたDVD「松喬ひとり舞台ファイナル」よりこちらの方が好きかも知れない。
特にお気に入り、度肝を抜かれたのが「寄合酒」。今まで聞いた中では米二さんの独演会で聞いたものが私の中でのベストだったんだけれど、もうひとつ頂上が出来てしまった。こんなにそれぞれのキャラの立っている「寄合酒」聞いたのは初めて。
以前からこう言った形でやられていたのか知りたくなったもので「寄合酒」収録のCDを注文したのだけれど、まだ届いていないのでその点はわからない。
先ほどキャラが立っていると書いたけれども、その中でも特に印象に残る二人がいる。「オカマ」の人物と「口が回らない」人物が出てくるんだ。うぉう。二人とも大活躍。
特にすごいなと思ったのが「口のまわらない」人物の演じ方。以前に読んだ著書「おやっさん」で、落語における酔っ払いの演じ方として、呂律を怪しくするのではなくて言葉自体はしっかりと喋り、間で酔っていることを表現するというようなことが書いてあったのだけれど、まさにそれの応用とでもいうのだろうか。私がたまに日常生活で出会う喋るのが不自由な人は聞き取ること自体に労力がいるのだけれど、むしろ聞き取りやすいのである。それでいて話すことに苦労していることははっきりとわかる。
でね、そういった人を「愚鈍」に描写してしまっていたら、これは良くないと思うのだけれど(だって、話すことに苦労しているだけだし)、むしろ頭のまわる人物として描写されているのにまた好感を覚える。まあもちろん、落語の登場人物であるのでおかしなことはやらかすのだけれど(また「寄合酒」というのは、出てくる連中全員なにかしらおかしなことをやらかす演目なんだわ)。
それと比べるとオカマの姉さんのほうはちょっと引っかかるところがあるかもしれない。作中で馬鹿にされていると感じる部分はあまりないのだけれど「男らしさ」「女らしさ」にがっちり依存したつくりになっていると言えなくもないので、そこらへんに敏感な人はまた私とは違った感想を持つかもしれない。

真夏の「福禄寿」と「緊張の緩和」

今日は道頓堀ZAZAに行ってきた。柳家さん喬ひとり会。会の開演まで時間を潰そうとあたりを歩いたら、キャッチに声をかけられてウザったいことこの上なかった。行く度にそんな感じだから、道頓堀ってあまり好きじゃないんよ。
会の方は開口一番で小鯛さんが「平林」。おそらく客席にはすれっからしの落語ファンも多いであろう中、話が進むにしたがってきっちり盛り上げてバトンタッチ。
さん喬さん、最初の一席目は「千両みかん」。まずまくらで大阪の思い出や最近の雑感をフリートーク気味に(大阪に来て最初に食べたものは金龍ラーメンだったんですって!)。その後にお決まりのまくらに入ってから本編へ。コミカルで大変に楽しい。
「千両みかん」は、みかん問屋の番頭さんが気分を害して千両という値段をつけてしまうという上方の演出が大好きなんだけれども、今日見たさん喬さんのものでは、みかんを食べようとして若旦那が味わうよりも先にまず香りにやられてしまうところの様子がとても新鮮に感じられて心に残った。そこを強調して演じられる上方の落語家さんってそういえば見たことないかもしれない。
そのまま高座を降りずに二席目は「船徳」。これも大変にコミカルで楽しい。船に乗り込みまず見栄を切り、歌いながら興が乗って竿を振り回す若旦那の愉快なことと言ったらない。また、中盤以降で登場する二人組の客、その中でも船が嫌いな男性の存在感が印象に強く残った。

そんなこんなで笑い転げて中入。愉快な夏の話が続いたところで、トリの三席目には何を聞かせてくれるのかなと思っていたら、これがなんと「福禄寿」。真冬の話。しかも、笑う所もなくオチもない、ほんまもんの、狭義の『人情話』である。
しかも、人情話ではあるけれど号泣させるような話でもない。
でもそこはさん喬さんであるから、こちらも集中力を途切れさせることもなしに話にのめりこむのではあるけれど、でもやはり笑う所はほぼないみたいなものだし、オチもない。
で、噺の終りにさん喬さんが言った一言
三遊亭圓朝作『福禄寿』…少しは涼しくなりましたでしょうか?」
この一言で一気に高座の印象が良くなってしまったというか。客席からの拍手も、さん喬さんが袖に引っ込むまで弱まることがなかった。
で、帰りにご飯を食べながら、なぜあの一言であんなにも満足したのか考えていたんだけれども、あれかな、枝雀さんがいう所の「緊張の緩和」という奴かな、などと。
前述したように「福禄寿」にはあまり笑う所がない。つまり、笑いでお客さんが発散するところがないわけで、これはずっと緊張を強いられている状態であるという事もできると思う。
それが最後のあの一言で一気に発散されたわけで。「緊張の緩和」は笑いがどういうときに発生するかを説明付ける理論だけれど、今回は笑いではなくなかなか鳴り止まない拍手と言う形でそれが表に出たのかなぁ。
表出する形では「笑い」と「拍手」は違うけれど、「緊張した状態から軽やかで愉快な状態に遷移した」と言う点で共通するのかもしれない。

客席の雰囲気

今日は久しぶりに繁昌亭の昼席へ行ってきた。今週は二乗さんの繁昌亭輝き賞受賞記念ウィーク。二乗さんが出演するのはもちろんだが、毎日口上がある上に、米二さんが毎日トリをとられる。私が一番好きな落語家さんが米二さんであるので、前々からすごく楽しみにしていた。
本当は明日も行きたかったのだけれど、チケットが売り切れていたのよね。
私が落語に関心を持つようになってから米二さんが一週間トリをとられるのは初めてのことなので、どんなネタをかけられるのかと思っていたのだが、水曜日まで「青菜」「くしゃみ講釈」「茶の湯」と、普段中トリで出演される際には(おそらく)少し短めにまとめてかけているネタを、たっぷりと時間を使ってかけてらっしゃるようだ。
二乗さんは繁昌亭では「癪の合薬」の印象がやたらと強いのだけれど、初日は「癪の合薬」、それ以降は「短命」「阿弥陀池」と、こちらも毎日ネタを変えていて、普段の出番では見られない顔を見ることが出来ているようで。
おまけに中トリが塩鯛さん、脇を固めるのがよね吉さんに文都さんだから、これは強力なラインナップである。
それと、ネットでの配信でも感じたし、今日客席でも感じたんだが、客席の反応がとてもいい。すこし反応が鈍いときだとスルーされるようなクスグリでも敏感に反応し、つられてどんどん楽しい気分になってくる。受賞記念ウィークということで二乗さんや米二さんに思い入れのある人が多く来ているということもあるのだろうか。とにかく、みんな積極的に楽しみにきている感じがする。
以前福笑さんがまくらで、演者をどんどんのせていく客席と言う話をされていたのを聞いたことがあるが、今週の客席がそのようなものになれていたとしたら、聞く側としてもこれは大変に幸せなことである。

それで思い出したのが、少し前に行った動楽亭の昼席。これが見事な流れで。逆に客席の空気をうまいことコントロールされるような快感があり、とても心地よかった。
この時は開口一番の優々さんからして少し珍しいネタ(「裏向き丁稚」)で、少し得した気分で始まった。その次が雀太さんの必殺の爆笑ネタ「代書」で、つぎをわかばさんが「つる」で繋いで、中トリのよね吉さん「子は鎹」で最高潮に達する。実に濃い、涙腺こじ開けるような熱演。
さて、これがなんというか、普通の落語会だったらこれでもうおしまいで、「今日の『子は鎹』よかったなー」と余韻に浸って帰路に就く雰囲気であり、最高潮に達しちゃったんだから後は落ちる一方なんである、普通だったら。
(そういう意味では中トリでは少し重量級に過ぎるネタとその完成度だったのかもしれない)
ただ、ここから先が圧巻だった。中入が終わり文之助さんは「短命」。これが軽快さの権化みたいな素晴らしい高座で、重量級の「子は鎹」を受け止めて、感動しつつもすこし重々しくなっていたこちらの心を見事に軽やかに、愉快にさせてくれる。
トリは九雀さんの「筆まめ間男」これも小品であるけれど、実に気の利いた新作で。
終わってみると、重厚な「子は鎹」の余韻に浸って帰路につくはずが、実に軽やかで爽快感あふれる気分になっていたのである。実にお見事だった。
よく「普通は一番の大ネタをトリに持ってくるけれども、米朝一門では一番の大ネタを中トリに持ってきて最後は軽めにして締める」と聞くが、なるほど、それはこう言う事だったのか!

歌う落語家さんたち

今日は笑福亭仁智さんの勉強会「笑いのタニマチ」へ行ってきた。仁智さんみたいなベテランが、勉強会でジャンジャンネタおろししてるんだから、すごい。
常連さんが多いんだろう、時に観客から声が上がり、仁智さんもそれに応えるという、完全なホームの雰囲気。仁智さんが高座で長々と歌っているだけで(なに歌っとんねん!)(ていうかいつまで歌っとんねん!)という笑いの波が広がっていく。
そういえば、上方の創作落語、歌うベテランが多い。仁智さん、文枝さん、福笑さん。福笑さんに至っては、「ムーンライト伝説」から懐メロからボブ・マーリィまで、歌うジャンルがやたらと幅広い。
逆に、若手や中堅と言われる上方落語家さんで、歌が印象に残っているという人をパッと思いつかない。楽しいんだから、みんなじゃんじゃん歌えばいいのに。