万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

ケータイ小説は進化する。というか進化はする。

ケータイ小説を理解できない人間は既に老害化しているという衝撃の事実 - Aerodynamik - 航空力学

こどものもうそうblog | ケータイ小説を理解している人をニュータイプとか言う人間は既に老害化しているという衝撃の事実


とりあえず、思いついたことを適当に書き散らかしてみる。

小説というのもドーキンス言うところのミームにあたり、それが人の頭脳を媒介にして増殖していくうえで、生物の進化と似た様な過程を経ると考えることが出来る。
従来、小説というミームは本という環境において増殖してきた。よく増殖し、よく生存する小説は、それまでの小説(競合相手だ)よりも同質の特徴において優れていたり、それまでにない要素を持っていたりすることが多いと考えることが出来る。そうすると、自然淘汰があたかも「進化」を「進歩」と錯覚させてしまうように、見かけ上は次第に小説全体のレベルが上昇していくという風に、まあ、見えなくも無い。
ケータイ小説はどうか。思うに、これは小説というミームにとって全くの新天地。まだ競合相手に侵されていないエデンの園、もしくは原始の地球における分子のスープだったのではないか。
競合相手のいない環境において、小説はどんどん増殖していく。女子中高生によく適応し、そういった層に受けやすい内容となる。一方、競合相手が少ないので、外の世界(「本」の世界だ)では競合相手に負けてしまう程度の発達しか遂げていなくても、ケータイで増殖していくには充分機能する。問題ない。
おそらく、これはケータイ小説だけの特殊事情というわけでもないような気がする。ジャンル小説勃興のたびに、起こってきたことではないだろうか。そこに生じた新たな生息環境、新たなニッチでは十二分に機能するものが、外から見ると稚拙に見える。「人間が書けていない」「子供だましだ」。このような批判を受けたことがないジャンルなど、未だかつてあっただろうか?
小説は、趣味嗜好という様々なニッチに入り込んで、その中でもまた淘汰が起こり、精緻化されていった。
そして、今度は趣味嗜好ではなくケータイという「メディア」に入り込んで、また増殖しようとしている。
入り込んだばかりなのだから、外から稚拙に見える、充分に発達していないように見えるのはいたって当然の話だ。