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万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

露の新治「たちぎれ」/言葉と仕草と嗅覚

落語 日常

2016年10月30日日曜日。丹波橋の呉竹文化センターへ「ももやま亭 復活祭! 秋の陣」を聞きに出かけた。
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お目当ては露の新治さん、というか、いただいた案内メールに、今年は秋の独演会を休み、この会を独演会と位置付けて取り組むとの意気込みが書いてあった。これは期待しないわけにはいかない。
演目は以下のとおり。

新幸……鉄砲勇助
新治……千早ふる
豊来家板里(太神楽)
新治……源平
中入
席亭ご挨拶
新幸(ギター漫談)
新治……たちぎれ


果たして、たちぎれは素晴らしい出来であり、素晴らしい体験だった。
新治さんの高座は上品で華があると思うが、抑制のきいた様子で登場人物の感情を表現していく。
今まで生で接することに恵まれた「たちぎれ」では、ヒロインである小糸ちゃんの在りしの姿が非常に生き生きとした眩しさをもって表現され、それによって悲劇的な事態が増幅される桂文之助さんのそれや、「もうとりかえしがつかない」というどうしようもなく絶望的な事態の深刻さにスポットをあてた濃密な桂よね吉さんのそれが深く印象に残っているのだけれど、新治さんのは(当たり前だが)そのどちらとも異なる。それぞれの登場人物が相手を気遣い自制を効かせ、それでもつい漏れ出てきてしまう感情にこちらは心を打たれる。
そしてそれが最高潮に達したのが、仏壇に線香をあげ、手を合わせると仏壇に供えてあった三味線がひとりでに鳴り出す、あの名シーンだ。
それを聞いた様々な人物が、所作で表現される。下を向く、手を合わせる、思わず涙をぬぐう……登場人物の誰もが言葉を失い、一言も発することができない。沈黙の中で話が進み、その沈黙がこれ以上ないくらい雄弁にその場にいるものの哀しみを表現する。
(ああ、もうこれ以上余計な言葉は要らない)と、そう思っている時に、ふと気がついたのだ。
会場に、いい香りが漂っている。
線香の香りである。
余計な言葉はもう要らないと、所作で表現される感情を味わっている最中に、嗅覚を刺激されたのである。もう、完全に不意打ちだった。
この演目は「たちぎれ線香」である。この場面ではきっと線香の香りが立ち込めていたに違いない。そりゃそうだ。
でも、実際に嗅いでみるまで、そんなことは意識に昇らなかった。
これ以上何を足しても邪魔になってしまうような最高潮の場面で、邪魔にならない上品さで思いもよらないものを足してみせた。その演出に、ものすごく感動して、帰途についたのだった。