万来堂日記3rd(仮)

万来堂日記2nd( http://d.hatena.ne.jp/banraidou/ )の管理人が、せっかく招待されたのだからとなんとなく移行したブログ。

「招かれた天敵」を喧伝する試み

千葉聡「招かれた天敵」をようやく読み終わった。ゲームやネットばかりやっていてすっかり読書スピードが遅くなってしまった。今の私はもう趣味は読書だなどと言えない。

それはそうと、単行本はみすず書房から出ていて、電子書籍にもなっており、最近岩波文庫にもなった。読むなら今である。あなたの受け入れ態勢は既に整っている。

かの名著、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」にも比肩する名著だと断言したいところだが、問題は私が「沈黙の春」を読んでいないことだ。読んでおいた方がいい気もしてきた。楽しめる面白い本だといいのだが。

「招かれた天敵」は、扱っているテーマの「重さ」にもかかわらず、楽しく面白く読めるのである。むしろ抑えた語り口であり、事実の記述に徹している感すらある誠実さなのだが、どうしても文才は漏れてきてしまう。「わかりやすく平易で抑えた文章なのに、どうしようもなく面白い」本となんて、そうそう巡り合えるものではない。

本書のかなり序盤で「沈黙の春」は言及される。それもそのはずだ。「沈黙の春」は農薬の過剰な使用へ警鐘を鳴らして社会を動かした本として知られている。本書で扱っているのはそれとは別の(反対の、と言ってもいい)アプローチ。生物学的防除を扱ったものだからだ。ある生物を駆除するために天敵を連れてくる。ハブのためにマングースを連れてくるという、アレである。

本書の、というより、著者の特徴なのだが、その生物学的防除、天敵の導入について、現状や個別事例を引いてきて、それでよしとする本ではない。科学史の観点から、世界で「外来種」や「天敵」の導入が、まずどのように考えられ、変遷してきたかを、順を追って丁寧に記述していく。

こんなふうに書くと退屈な本と思われるだろうが、真逆だ。実に面白い。科学史の本で複数回、涙腺を刺激されることがあるなどとは予想もしていなかった。特に、ある昆虫学者が戦前の日本を旅する風景描写の美しいことと言ったら、類を見ない。衝撃的なその旅の結末含めて、本書の読みどころの一つと言えよう。

主に19世紀の思想や社会を背景にして、外来種は徐々に世界各国で問題となり、それに対する対策として化学的防除(農薬)と生物学的防除(天敵導入)が世界中で、少しずつ前進しつつ、時に後退しつつ、繰り返される。

科学史の本であるから、成功した事例も扱われている。しかし強く脳裏に残るのは、失敗の数々。時に知識不足のため、時に政治的思惑のため、時に両方が複雑に絡み合ったがために、とんでもないパンドラの箱を開けてしまったような。

そうして、読者は歴史と共に学んでいく。農薬も天敵も、どちらも万能ではない。両方とも使い分けられるべきものであるし、失敗したら別の方策に切り替えられるよう、研究され続けるべきものだ。こんな、言葉にすると当たり前のことを、人類は数多く失敗しながら、少しずつ学び、時に忘れ、また少し学んでいく。

科学史の本であるから、時系列を追ってことが進んでいく。本書の白眉は、なんと言っても最後の二章だ。

これまでは、過去の歴史の振り返りだった。それがとうとう、現在に追いついてしまうのだ。しかも、本職の学者である著者が深く関わった事例、それも失敗に終わった事例として。

背筋がぞっとした。ここにきて、本書で書かれてきた事柄、問題は過去のものでもなんでもない。現在も続いているものだし、身近な問題(なにせ、著者が目の当たりにしているのだ)であることに否応なしに気付かされる。過去が、襲ってきたような感覚を覚えた。

そして、この事例が如何にして失敗に終わったか、その顛末を記し、その失敗の原因を分析していく。淡々とした文章であるが、嘆きが漏れ出してくる。

「今の私たちならうまくやれる」類の本ではないのである。「今の私たちであっても、やはり社会の罠や思考の罠に翻弄され、容易には成功できない」ものなのだ。

まだまだ先は長く、困難だ。本書は現在も続いている、失敗の連鎖の歴史の記録だ。それでも、どこか希望を感じさせてくれる。前進するしかないのだ、と。そして、前進するというのはこういうふうにやるものなのだ、と。

言葉にすると簡単だが、これ以上難しいことはないかもしれない。しかし改めて学ばされる。失敗が愚かなのではなく、失敗から学べない者が愚かなのだ。